ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

掘ったイモいぢるな?

カレンダー

プルダウン 降順 昇順 年別


12月 | 2008年01月 | 02月
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -


最近の記事

プロフィール

ラード

Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

最近のコメント

データ取得中...

検索いのち(w

Google

WWW検索 ブログ内検索

こんなもんです・・・

カテゴリー

過去ログ

最近のトラックバック

検索順位チェックツール

スポンサーサイト

--/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

ラード的音楽の旅路 「エマーソン、レイク&パーマー」

2008/01/31(木) 23:56:02

elp_gestohlen.jpg

初音ミクの記事で少しご紹介したプログレの雄、「エマーソン、レイク&パーマー」をご紹介しよう。いつものように「ようつべ」など動画ビシバシ貼り付けで参ります。知ってるヒトには懐かしく、ご存知ないヒトには面白がってもらえるコト請け合いでしょう。

では、BGMがわりに、ヤングのワタシがビシッとハマった全盛時の1973年のアルバム「恐怖の頭脳改革」から、7分強の超絶インスト曲「トッカータ」をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=5jH9Z6FIORY&NR=1
絵は動かないので、曲を聴きながら駄文を読み進めていただきたい。おっと。もちろんボリュームは大きめでお願いします(w

ちなみに、このグロいアルバム・ジャケットは、後に映画「エイリアン」のあのデザインで有名になるH.R.ギーガーの作品。中坊だったワタシには、まず、このジャケットがじつに不気味だった。健全な少年にとってアングラ系アートはビビるよね。しかし、えたいが知れぬ知的さとか高級さも感じたものです。

エマーソン・レイク&パーマー、略して「ELP」(ワタシは昔ながらに「EL&P」と書いたほうがシックリくるけど)と呼ばれたプログレッシヴ・ロックの雄は、1974年、つまりワタシが中3の秋、ビートルズの次に夢中になった英国のバンド。しかしながら、悲しいかな、聴き始めたときが「ELP」の創作意欲がちょうど終わりを迎えたころ。「ヘッド・ロック」なんつーコトバもあったと思うのだが、こういった工夫をこらした楽曲とかコンセプト・ワークを売りものにしたバンドは、得てしてスグに行き詰ってしまうんだよなあ。輝いていた時期は長くはなく、ワタシはブームには少しばかり乗り遅れたワケですが、まあ、年齢的に致しかたなかった。

ここでプログレッシヴ・ロックについてご存知ないヒトのために、wikipediaから引用します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
同じくwikipediaから「Emerson、Lake&Palmer」を引用。記事では「音楽上の大きな特色」がラード的に目を通していただきたい部分です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC

当時、ロックを含めた洋楽全般の知識が豊富な、その方面でのワタシの師匠といえる同学年の利発な友人がいた。ひと前で平然とマスをかいたりするヤツだったのがアレだが(w 裕福な家庭で、LPを100枚以上持っていたっけ。その友人が「スゴいぜ」と薦めた1枚が、ELPの最新アルバムだった「恐怖の頭脳改革」というワケだ。

キーボード楽器といえば、オルガンとか電子ピアノのピラピラした安っぽいオトしか知らなかった時代に、初めて聴いたモーグ・シンセサイザーの音色は衝撃だったものだ。ELPというバンドの象徴であるモーグのオト(昔は「ムーグ」と呼んだものだが、今ではモーグで統一された模様)は、少年ラードにとって未来的なエレクトリック・サウンドだったのです。

また、複雑な楽曲の構成とか大作主義といった部分が素晴らしいと思った。クラシック音楽との融合とか、なんて素晴らしいのだ、なんてね。知的で高等なロック、クラスメートと差別化を図る(まわりの連中なんか「キャロル、最高」レベルだったしヨw)ステキな趣味でも、あったワケ。ま、愚か者と呼んでくれ(汁

さて、ELPはワタシのエバーグリーン、不世出のカリスマであるジミ・ヘンドリックスが不慮の死を遂げる半月前、ジミヘン最後のビッグ・ステージとなった1970年8月の英国「ワイト島ポップ・フェス」で、デビューしました。そのときのステージの様子を「ようつべ」から。なんか映像を編集しまくっていてワケわからんムード(w
「デヴュー・パフォーマンス」
http://www.youtube.com/watch?v=uvni9YK9Ees

続いて「ニコニコ」から、今回ラード的イチ押しの動画「ナイフ・エッジ」をどうぞ。デビュー・アルバムのオリジナル曲で、終盤のキースの暴れっぷりがナイス(w スタジオ録音時は、まだシンセサイザーを使っていない。シンプルでカッコイイ、作者のキースとグレッグの長所が生かされた名曲です。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm885887
え。ニコニコが見られんと。もう、前にも言ったでしょっ。とっととアカウントを取得したまいと。ええい。貴様それでも銃後の妻か。まあその。昔のワタシは、ベース兼ボーカルのグレッグ・レイクがカッコ良くて好きでしたね。彼の髪型をマネしてみたり(w ボーカルも深みがあって知的で。

「誰も彼のように狂えない」とLPのライナーノーツにキースのコトが書いてあるのに、どう狂ってるか昔はまったく想像もつかなかったんですね、当然だけど。その後、NHKだかで「展覧会の絵」という有名なライヴ動画を放映して、初めて動くキースを観たときにゃ、それはタマゲましたね(w で、いま観られる「ようつべ」でもっともファンキーなキース・エマーソンが、コレ。曲は「ロンド」。
http://www.youtube.com/watch?v=FWT6pWaMZdk&feature=related

1972年の後楽園球場での日本公演では、日本刀でハモンド・オルガンをいぢめていたハナシは有名(w 気の毒な「ハモンド」とは何か、wikiからご紹介。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3
キース・エマーソンは、オトをフィードバックさせたりスイッチをオンオフさせたり、およそアリとあらゆる奏法の工夫を凝らして、ハモンドの性能を引き出して、そうして悪目立ちしようとした、とか(w
http://www.kanshin.com/keyword/10665

現在のラード的には、2枚目のアルバム・タイトルになっている組曲「Tarcus」がもっとも好みですね。シンプルで美しい20分間のロック・シンフォニーです。彼らのライヴ動画、中期のモノで面白い作品がイマイチ無いのが残念です。今後、新たに「ようつべ」などにうpされたら追加でメンテしていくつもり。とりあえず、「ホウダウン」をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=N0FuFfcCZiE
中期のライヴのオープニング・ナンバー。積み上げまくって「箪笥」と呼ばれたアナログ・モーグがステキだ。

http://www.youtube.com/watch?v=p3zOB-nP5nk
珍しい動画になるんだろうが、「恐怖の頭脳改革」のリハーサル・シーンです。ワタシがELPを聴いたこの初めてのアルバムは、緻密で多彩なキーボードのオトの洪水なんです。つまり彼らの別の作品を聴くというのは、昔にさかのぼっていくというコト。だから、オトがどんどんシンプルになっちまうのだね、これは仕方ないワケだが。当時は何となく残念と思ったものだ。

http://www.youtube.com/watch?v=izVBmnrO5Ak&NR=1
踏んばったカールのドラム・ソロ。手数が多いスタイルに、当時は憧れたもの。この囲まれまくったドラムセットがカッコ良かったんだ。たしか木魚まで装備していたハズですぜ(w

中3のワタシがナケナシの小遣いをはたいて購入した、リリースされたばかりの3枚組み大作LP「レディース&ジェントルメン」というライヴ発表後、彼らは活動を停止してしまった。そうしてワタシの音楽的な興味もプログレから外れてしばらくたった1977年、高3の夏、いきなり出たアルバムが「ワークス」だった。そこで有名なインスト・ナンバー、「庶民のファンファーレ」を最後にお聴きいただこう。
http://www.youtube.com/watch?v=0OLWgrr671g

新作を引っさげてのカナダ・ツアー、これはリハーサル時の様子と思われますリラックスしたメロディーだが、「4年も待たされてコレかよ」と、ありとあらゆるヒトと同じ感想を当時のワタシも覚えたものだ(汁 あのオドロオドロしいアクはどこへ逝ってしまったのかと。まあ、そういったストイックなプログレ・ファンの身勝手な要求とバンドの間にギャップが生じたワケかも知れないなあ。だから活動が行き詰ってしまったのかも。

キースは、現代に通じるヤマハのポリフォニック・シンセサイザー「GX-1」をメインに弾いています。ちょっとオトが軽いなあ。やっぱキースはアナログ・モーグでなきゃイカンだろうが。え。いやマテ。6分あたりからのバリバリに歪ませた熱演は、いま聴くとスゴイぞ。ガンガン盛り上がっていくぞ。むーん。ちょっとコイツは、最高ではないか。
http://siesta.co.jp/nat/archives/000874.html

好みの音楽との付き合いかたってヤツ、もちろんトシを取るにつれて変わっていきますよね。ワタシも昔はラジオ(渋谷陽一のヤツだった)でこの曲を聴いたときは「終わった、ELP。完全に」なんて絶望したワケです。また当時はベスト盤なんかゼッタイ買わなかったしサ(汁 オリジナルこそが正規作品である、なーんて青々と叫んでおりました(w まあ、そんなに原理主義を振りかざすコトなく、広く付き合っていきたいものですね。

スポンサーサイト
音楽・映画・本TB:0CM:0

人生初のオーダーメイド

2008/01/28(月) 01:17:05

ウチのマンションが築10余年を経て、いよいよ外装の大規模修繕工事がおっぱじまってしまう。工期は何てこった、半年間(汁 つきましてはガーデニングがビシバシ施されたわが家のベランダに展開している全てのブツを「どかしなさい」との厳命に、対応が大慌てなわが家なんです。

なぜならウチの場合、プランターはプラスチックなんつービンボくさいモノなど使わずに、重いけど年月を経るとヨレた味わいが出る「テラコッタ」ひとすじ。ましてや数種類のレンガを盛り上げて高低差を演出したりして、レンガの総重量だけでも200Kgくらい。ほかにもオートキャンプの道具をバシバシ放りこんであるイナバ物置も部屋の中に収容しないとイケナイ。いやはやタイヘンなワケですが、その作業中に、どえらく懐かしいモノが包装紙から顔を覗かせた。

DSC04197_800.jpg

この3点です。メットは、岩登り用の製品で「エバニュー」の「滝谷」というモデル。購入日はハッキリしている。1979年4月24日、ショップは東京・新大久保の「ICI石井スポーツ」にて。3,500円だった。ナゼこんな赤裸々全裸々に分かるのかと言うと、前回の記事でご紹介した「登山手帖」に書いてあるから、なんですね。この2ヶ月前に1浪の末、某私大に合格して、親からもらったこづかいで山関連の道具をビシバシと買いまくったワタシでした。

4月24日は4回目のまとめ買いで、このときは他に、ナイロン製ダブル・オーバーヤッケの上下を7,700円、ICIオリジナルの森田勝デザインの全身用ハーネス(当時はゼルプストバンドと言ったね)を6,850円で購入。ほかに「ワンダーのバッテリー4ケ、520円」とある。しかしコイツがまるっきり思い出せない(汁 ググっても分からん。たしかヘッドランプ用の電池か何か、だったような。

さらに列記すると2月末、合格発表の翌日だが、鶴見の「IBS石井」にてオリジナル製品のアタックザック(大きさは65㍑くらいだったか)7,800円とか、ニッカボッカ4,200円とか2万円ちかいショッピングを敢行している。よっぽど溜まっていたんだナ(w また、その年の6月30日、5回目のショッピングでは今もフツーに愛用している「モンベル」の夏用シュラフ「ダクロンST」を6,860円で買っています。もう30年か。いやその。いいモノはイイんだ(w

当時の岩登り用メットでメジャーな製品は、この「滝谷」と「ガリビエール」くらいしか無かったような気がする。社会人クライマーとかベテランたちは、おフランス製で倍以上の値段のガリビエールをかぶっていた。この滝谷はやっぱりダサ目で、早くメットに「ハク」を付けたかったワタシ、わざと転がして塗装をハゲさせたりして。アホス。そうして年季が入りすぎて、遠くから見るとコイツは白いメットだと言われたもんです(w

松下製のエレキ、当時の山道具だったかと一瞬思ったけれど、コレは今から20年前に買った野宿ツーリング用の装備だったかと記憶する。あやふやだが(w たしかコレで4回に及ぶ夏の北海道野宿旅とか、神戸から出かけた全ての野宿旅に持ち出した愛用品だった、と思う。そのころは日本にミニマグ・ライトなんつー秀逸な懐中電灯は無かったからね。もちろんLED系も。ここらへんの機能進歩の恩恵はスゴイです。

DSC04193_800.jpg

さて、「ゴロー」の皮製登山靴をご紹介しよう。コイツはワタシの3足目の登山靴です。ちなみに初代はド定番だった布製のキャラバン・シューズ、2代目が神田「ニッピン」オリジナルの皮製登山靴。大学山岳部での20日間くらいの大縦走や3000㍍での冬季登山をこなすにはキチンとしたモノが必要だったので、雑誌で知ったのだと思うけれど、オーダーメイドの山靴屋「ゴロー」を訪ねてみたというワケです。
http://www.goro.co.jp/
ショップは今でも元気に営業しているようです。価格はさすがに高いね。まあ、今の時代に貴重な日本人職人による完全ハンドメイドなのだから当然か。ワタシの靴と同じ型は現行ラインナップには無いようです。1979年5月6日、GWの最終日に足型を取りに行き、受け取りが5月28日。値段は31、000円。当時の金銭価値からしても、やっぱり抜群に高価だナ。

DSC04190_800.jpg

コイツにまつわる思い出について、かつて記事にしたコトがありました。ちなみに、こんなの。
http://uemat.blog33.fc2.com/blog-entry-55.html
白状しますと、じつは文中にある「K」氏の捜索時にはレッドウイングのワークブーツで出撃しました。作文のクライマックスをねらってウソを書いた。今は反省している、なんつって(汁 実際には、すでに押入れの奥深くに仕舞いっぱなしで持ち出す気にもなれず、でした。

昔は、そういえば重い荷を背負って歩くには靴も重いほうがイイ、という言い伝えがあったんですねえ。足の運びがゆっくりになるから疲れにくいとかナントカ。また、キャラバンシューズなんかシロートが履くモノで、「お山の大将」たちはハイキングみたいな登山でも、こういった年季がビシバシの重登山靴でエッチラオッチラ登っていたワケ。TPOに合わせて靴をチョイスする合理な志向や風潮など、ドコにも無かったんです。見栄と根性でガンバッタ(w

コイツも片足分が1・5kgくらいあるんじゃないかな。計ってはいないが、十分すぎるほど重い(汁 だから大学2年の夏合宿からは、しばらく放っていたニッピンの登山靴をフッカツさせました。それは冬山用に「ゴロー」を温存させるねらいもあったけどね。

DSC04192_800.jpg

ワタシの人生で初めてとなる「オーダーメイド」だったんですよ。コイツは。もっとも、いま思うとイージーオーダーとかパターンオーダーといった程度ではあるけれど。そういえば、ワタシの右足は左より5㍉でかいコトが採寸時に教えられたっけ。こんなゴッツイ山靴だから、足に馴染ませるには結構な時間がかかったものです。でも、ひどい靴ズレになったコトは無かったな。そこはサスガだと言えましょう。

ビブラム・ソールが相当すり減っていますね。結局、ソールの張り替えは行わなかった。作った当初は色がベージュだったとは信じられない年季の入りようでもある。久しぶりに足を入れてみようとしたけれど、えらく革が硬くてあきらめた。靴の中を覗いたら、いったいいつから入っていたのか、ウールの登山靴下が出てきました(汁 厚めの保温インソールも入れてある。たしか最後にコイツを使ったのは、1981年3月に北ア・表銀座コースを縦走した春合宿、のハズ。むは。すると靴下君は27年間にも渡って、ココでじっとしていたコトになるのか。いやはや。


元「山ヤ」の体験談TB:0CM:6

山について思ったこと 「冒険or挑戦」(後篇)

2008/01/15(火) 23:23:35

DSC04160_800.jpg

次の登山チャレンジの目標は「積雪期のバリエーション縦走」でした。まあその。バリエーションと言っても、ピッケルとアイゼンを使った冬季縦走をしてみたいといったレベルですが。この写真(赤岳石室から横岳方面を見る)が、象徴的ですね。
こういう光景を見たかった。
こういうところをトレースしたかった。

ただし「沢」と同様にワタシの周辺では、そんなヤヤこしいコトを相談できるヒトがいない(w だからコレについても書物などから知識を得て、いきなり実戦デビューをしたという状況ですね。ネット環境が無かったのはもちろん、本や雑誌で得られる情報量も現代と比べたらごく少なかったものです。

目標は最初から「八ヶ岳」に決めていました。それも南部エリアの赤岳や横岳の縦走をロック・オン。理由は、ソコソコ手軽だから。アプローチは便利で入山者も多いからラッセルの心配が少ない。またベースとなる小屋「赤岳鉱泉」は快適で、気候も安定傾向のうえ各所に山小屋もあって安心できる。そのくせ主峰「赤岳」はアルペン的な風貌を備えた2,899㍍と勇ましい。ソロの冬山入門者にはイイことづくめというワケです。ついでに言うと、実施時期は高校3年生になる目前、3月下旬。もちろん厳冬期よりも何かとラクな部分が多いワケですが、つまりこの記録は「春山」登山というのが妥当ですね。

wiki「八ヶ岳」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3
wiki「赤岳」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%B3_%28%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3%E5%B1%B1%E7%B3%BB%29
wiki「横岳」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B2%B3_%28%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3%29

もちろん、この計画を行うに当たっては段階を踏んでいます。前年(1976年)のゴールデンウィークには、今回と同じ山「赤岳」ですが、東側に伸びる「真教寺尾根」から友人とピストン。宿泊した頂上にある小屋では1枚の布団に3名で寝る超カオス状態と、帰路では初体験となる吹雪を突いての下山というヒドい、否。得がたい体験をしました(w  その半年後の12月中旬には、ピッケルを購入して奥秩父の最高峰「金峰山」に岳友「H」君とアタック。また、そのころ読んだ新田次郎の名作「孤高の人」にキッチリとカブレていたので、直前の1月と2月は雪の「丹沢」主脈縦走の「横断」(バカ尾根から犬越路へ)と、「縦断」(バカ尾根から焼山へ)をカモシカ山行(2日の行程を日帰りで)で実践するなど、17歳になったばかりのワタシは気合い十分で八ヶ岳に臨んだものです。

DSC04142_800.jpg

これが当時の記録メモ。最初のページですが、その前に当時(1977年3月末)の諸物価が興味ぶかくてネ。「セブンスター」(大きな声では言えないがw)1箱が160円。国鉄「新宿=茅野」間の片道運賃が1,440円。駅売り朝刊(おそらく朝日新聞)が50円。そして山小屋の素泊まり1泊料金が、たったの2,200円です。

この山行に備えてアイゼンを買ってますね。今は亡き「東京TOP」製。たしか10本歯のモノ。大学時代は即「サレワ」の12本歯に買い換えたので、幸うすいヤツでした。ストーブについては「学校のガスコンロを持っていく」とあり、またスペアガスなるブツを事前購入しています。むは。すると当時のキャニスター・ストーブと言えば「キャンピング・ガス」製品しか有りえないハズだが、山岳部の共装で、そんなヤツを持っていたワケか。いやハァ。火器といえば「マナスル」の灯油ラジウスしか記憶に残っていなかったワタシです。

DSC04156_800.jpg

3月26日、入山日。自宅を早朝にデッパツ。新宿から中央線のドン行に乗車。茅野駅から乗り合いバス。終点から山小屋「赤岳鉱泉」まで、3本半のアプローチ。この日、山のお天気は画像のようなムードでした。ちなみにこの翌々日、右から左へと縦走する「横岳」です。画像左のデカい岩峰が「大同心」。その右上に「小同心」。これらは大学山岳部時代の2月に、何度か氷壁登攀しました。まあその。イノチを粗末にしちゃイカンと(w

DSC04158_800.jpg

3月27日、2日目。寒冷前線による吹雪を突いて赤岳をピストン。頂上にて記念撮影。地形が分かりづらいから(ハイ。じつはワタシもでしてw)地図を貼りましょう。
http://www.naganogakuren.net/tozanMap/saniki/05yastugatake/03akadake/index.htm

DSC04140_800.jpg

行動メモによると、単独行者2名とワタシで連れだって行動してますね。おk。元祖オフ会と呼びたいぜ(w  写真で見るかぎり、ワタシのウェアは下が雨具のズボンで、上衣なんざ防水性のないウインドブレーカーですよ。メモに「赤岳石室の破れた窓から入って休憩」とある。コレは現在の「赤岳天望荘」なのでしょうね。つまり地蔵尾根を使って、この天候の中を3本で登頂しているワケか。ガッツだ。無事でヨカッタ(汁

DSC04163_800.jpg

3月28日、3日目。うって変わって無風、ドピーカンです。横岳から硫黄岳の縦走にデッパツ。地蔵尾根(写真の左側に)に取り付く前に、凛々しい「赤岳西壁」を仰ぎ見る。やはり数年後の2月、この壁の「主稜」だの「ショルダー右」リッジだのを登攀したのは、今は昔(w

DSC04162_800.jpg
 主稜線に上がって、赤岳石室付近から赤岳を望む。これこそワタシが夢想した冬山の姿。コーフンしたものです。八ヶ岳というのが、四周をグルリと一望できる超絶パノラミックな山岳なのだから、それはシアワセだったコトでしょう。
(画像の元写真、このときは一眼レフを持って行ったので、少し退色してはいますが本来はキレイな仕上がりです。いつかスキャン画像に差し替える予定)

DSC04165_800.jpg

稜線から横岳方面を見る。横岳というのは、ゴジラの背びれ風ギザギザの集まりだから、なかなか荘厳な写真が撮れるんです。右側の岩に張りついた氷は「エビのシッポ」と呼ばれるモノ。

DSC04168_800.jpg

横岳主峰あたりで誰かに撮ってもらったもの。この写真を当時のクラスメートに見せたとき、「なんでオマエはこんなに足が短いのだ」などと逆ギレされのですが、あのその。まあその(w サングラスはアメ横で買ったレイバン風パチモノ、1,000円くらい。そういえば、このころまでは視力が良かったんだっけ。裸眼で1.2くらいあったんですヨ。しかし1浪して大学に入ったときには0.1の「C」が判別できなかったほどの急降下(汁

硫黄岳から下るとき、もう1泊せずとも、本日中に帰宅できる時間だというコトが分かった模様。大急ぎで小屋に残した荷物をまとめてデッパツして、再び中央線のドン行に乗りこんで、その晩23時に帰宅しています。

さて、今回ご紹介した山行記録たちは、実際、たいしたものではナイです。ただし、それはオトナの視線としてみた場合はという注釈がつくと心得る。いや、ぜひ註釈を付けたいところだ(w 現代ならネットで「あのー。ボクが登るべき手ごろな冬山ってドコがイイでしょうか」なーんて他力本願寺に質問しまくりゃ、モノズキな誰かが答えてくれるかも知れませんがネ。高校2年というヤングが、独学のうえで行った山行としては「ちょっとヤルじゃん」と思われませんかそうですか(汁 

あのころ、「死ぬかもしんない」「いや、死なないにしても半身不随になるかも」とドキドキ、いやホントはオロオロしながら登った山でした。でも、「無謀」な登山では決してなかった。ワタシとしてはキチンと準備したつもりだから。では、あれは「冒険」だったのか。たしかに自分のボーダーラインを冒したのだから、それは正しい。しかしそれ以上に雪に挑み、滝と戦った「挑戦」の対象として、これらは大切な思い出になっているようです。

ま、そのワリにはディテールを忘れていますけど(w そして今なら、あるいはこれからは、挑戦などという青くさい対象ではなく、山には「和むため」に行きたいと思うワタシでもあります。


元「山ヤ」の体験談TB:0CM:0

山について思ったこと 「冒険or挑戦」(前篇)

2008/01/14(月) 23:40:23

DSC04139_800.jpg

4冊の古い登山手帖がある。
これは「山と渓谷」誌の別冊付録でした。1976年、つまり高2の夏から4年間に及ぶワタシの登山記録がココにバッチリと記入されている、なーんて思うかもしんないけど、そこはワタクシであるからして。じつは中身がスッカスカ。ほぼ空白。いやその。いつか記録をキチンと書こう、なーんて思ってから早30余年(w すべては遠く忘却の彼方(汁 ところが、浪人生活を始めた1978年の春に、この手帖のメモ・ページにワタシが高校山岳部に入部して以降の登山の目的地と日時のみをカンタンに書き記していたコトを、先ごろ発見(それも完全に忘れていたw)。ちょっと嬉しかったりして。

「ヤマケイ」誌、手帖が付録で付いた1976年7月号以降は毎号を買って熟読したものです。また古本屋で少し前のタメになりそうな特集の号を見つけると買い足してもいた。山登りに関するありとあらゆる事柄を、ワタシは読んで学んだことになりますね。すべての記事が身につく思いだった。ナゼなら高校山岳部なんて大した登山なんかやらないし、顧問や先輩にも参考にできる経験者がいなかったものだから、すべてヤマケイやら「岳人」誌、登山の技術書から独習したワケで、それは大学の山岳部に入部するまで続きました。

1975年、高校1年生のワタシは完全に「山へ連れていってもらう」というスタンスだったんです。夏合宿で登った3千㍍超の南アルプス「北岳」では、美しい雲海が足元に広がる高山独特の光景に感動させてもらったけれど、その後といえば奥多摩やら谷川岳やら伊豆でのハイキング・レベルを部として登るような山行が続いたのだナ。

「もっと登り甲斐のあるコトをしてみたい」。
「もっとレベルが高い山を登りたい」。
そう切望したワタシでした。豁然と目覚めた。「オレが、やるんだ」。
いま思い返すと修行チックな青いニュアンスすら感じるけどねえ(w まあその。シゲキのあるコトをやりたかったのでしょう。直截の動機なんか、もう覚えてちゃいないけれど。小説や登山記録の書籍、そしてヤマケイの記事といった「テキスト」からハゲしくインスパイアされたと思う。そうして新たな領域に踏み出していった。単独行で。ビビリながら。
そんなころのエピソードをふたつ、今回はご紹介しましょう。

DSC04146_800.jpg

神奈川県の北西に広がる丹沢山塊の「新茅ノ沢」。ワタシが初めて「沢登り」をした場所です。アプローチが近く、もちろんグレード1級の入門者向けながらも、スリリングな小滝が連続するエンタテインメント性が豊かな良い沢だったと記憶します。否。ルート図を見て、そう思う(w 登山手帖のダイアリーを見ると、1976年8月2日、月曜の出来ごとですね。ちなみに右側のルート図は手書きで写したモノ。当時はコピー機なんつーモノは身の回りに存在していなかった(「デュプロ」と呼ばれたアイヤキ機は学校にあったけれど)。

DSC04148_800.jpg

これは行動予定表みたいなモノ。左頁の下に右頁が続く。やあ。昔のワタシ、マメではないか(w バス時刻についてのメモが多い。あたり前ですが、社会人になるまでの交通手段といえば電車とバスしか有りえなかった。

やっぱり現場の画像がないとイメージしづらいかもというコトで、優れた遡行レポ、またまた引用させていただきます。それにしても何という明るい記事。あのその。見習いたい(汁
http://nikochans.blog24.fc2.com/blog-entry-40.html
30年ぶりに「新茅ノ沢」の様子をながめたワケですが、山は変わらないね。懐かしい。最初の沢床に下降する場所で、あまりにダークなムードを発散して恐かった16歳のワタシ、「帰っちゃおうか」とホンキで悩んだコトを思い出しました(w クソくだらんハナシですが、大流行した映画「ジョーズ」を観たばっかだったワシ、カマの底から何やらあやしい物体が飛び出してきそうなキョーフも覚えたんです(w そして沢で見る光景のすべては新鮮でオドロキだった。大滝12㍍の直登は、ルート図のメモに書いてあるように最初から諦めていたようですね。

DSC04151_800.jpg

この当時の沢登りは、こんなカッコで行きました。ちなみに別の場所で、ココは西丹沢の「水棚沢」。同じ年の11月上旬。当時の岳友「H」君と初めて一緒に遡行した。ウールのニッカボッカが凛々しいワタシですが、恐ろしいコトに足元は神田「ニッピン」製の登山靴だ。小遣いで生活していた高校生だかんね、沢における正装「地下足袋+ワラジ」に割く予算が無かったのネ(汁 だから登山靴でもスリップしなさそうな乾いた沢を選んでいました。ザイルなんか山岳部にも無く、またその扱いかたも知らなかった。腰に下げた細引きは、まあ、おまじないのようなモノですか。コレで体重を支えられるワケなどないが、当時は「使えるかも」なんて思っていたかもしんない(w

DSC04155_800.jpg

その1段目の滝を登るワタシ。先行した「H」君が写したものですが、なかなかの高度感が吹き上がってくるじゃないか。写真プリント裏のメモを今回ひさしぶりに読んで、この滝が2段ではなく6段で、このときは2段目から上の滝を直登するのはムリと判断、2時間かけて「高巻き」したことが分かった。ええ。もちろん何ひとつ思い出せないです(w (昨年8月の山関連の記事中、この4年後にこの画像と同じ滝を登攀する写真を貼ったけれど、そのときは、まあきっと6段すべてを登りきったコトでしょう)

本格の岩登りは死んじゃうかもしれないけど、グレードの低い沢登りなら何とかイケるのではないだろうか。そう考えました。もちろん写真のような場所から万が一スリップでもしたら、イノチは大丈夫としても片足首くらいは軽く折るかも知れない。歩けない。そんなメに遭遇して他の遡行者にしばらく出会わなかったとしたら、干からびて死んじまう恐れすらあります。だから何ごともトラブルが起こらぬように、自分にできる最大限の注意を払いつつ、ドキドキしながら遡行した。そうしたチャレンジの末、無事に完登したときの大いなる達成感たるや麻薬的で、ワタシは沢へのチャレンジを続けたんです。

その1976年は、8月に「新茅ノ沢」「源次郎沢」「葛葉川本谷」の3本、10月に「水無川本谷」、11月に「水棚沢」「勘七ノ沢」の2本。自宅からソコソコに近い好立地だから丹沢はよく通ったものです。これは戦前から続く首都圏クライマーがバリエーション登山を始めるときの王道だと後に知ったが、ワタシも意図せずしてそのコースを歩んだというワケ。


元「山ヤ」の体験談TB:0CM:0

ボーカロイド・プログレッシヴ

2008/01/08(火) 20:37:12

miku-tmb_512.jpg

長期休暇中は「初音ミク」に「プログレ」を歌わす「ニコ動」を探しては、大笑いしつつ喜んでいた。

え。初音ミクとは何かと・・・・(・∀・;)?

ここな時代遅れめが。爺めでさえ知っておるっちゅーのに(w
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AF

は。ニコニコ動画とは何かと・・・・(・∀・;)?

今どきそんな未開人がこのアラモードを見ていただいてるなんて、爺めは思いつきもせなんだぜ(w
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E5%8B%95%E7%94%BB

こんな面白いモノを未だ見てないとは人生を浪費してるが如し。
とっととニコ動アカウントを申請するべし。

え。アカウントとは何かと・・・・(・∀・;)?
貴様それでも軍人かっ。
http://www.nicovideo.jp/

プログレとは、当然ながら「プログレッシヴ・ロック」のコトだ。ワタシが現在も愛聴しているツェッペリンとクリームとジミヘンに出あうまで、夢中になっていたロックの1ジャンル。爺が中3だった1974年から2年間くらいの出来事だ。このへん、けっこうネタが膨らんだから、次のエントリーで当時の思い出を書くつもりだが、「ビートルズ」でロックの世界を知り、聴き狂った次にハマったバンドがプログレの雄「エマーソン・レイク&パーマー」だったのだ。ほかには「イエス」と「キング・クリムゾン」。「ピンク・フロイド」は作品によっては好みで、これらのバンドはプログレ・ジャンルの「四天王」と呼ばれていた。

洋楽に詳しい友人のクチコミ以外には、「ミュージック・ライフ」「音楽専科」という雑誌くらいしか情報源が無かったダークな時代だから、もっとも売れセンのバンドなら知ってる、聴いてるという状態。まあ、しかたないでしょう。貴重な「こづかい」を握りしめて厳選したレコードを買うワケだからネ。

さて、ボーカロイドの「初音ミク」にナニを歌わすか、である。おそらくはワタシと同世代であろうヒトたちが、圧倒的な手間ヒマをかけてクヲリティの高い作品をバシバシと「うp」し始めているのだ。それもコダワリまくりのプログレ選曲で。いやもう、楽しい。ワタシの琴線に刺さりまくりの作品を、今回はご紹介させていただこう。

そういえば、発表の場として「ニコ動」が多いのがワタシには興味ぶかい。ニコニコは動画の視聴者が好き勝手にコメントを上書きで入れられて、動画と一緒に、そのコメント群を楽しむコトができるという「参加型」の場所だからね。ワタシが今回チョイスした作品たちをご覧いただければ、その好意的に馴れあった世界が良く分かるだろう。ワタシにとっても、それは有意義で楽しい内容なのだ。もう、どっぷり浸っております(w

さて。まずはエマーソン・レイク&パーマーの名曲「聖地エルサレム」をどうぞ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1371504

同じ作者がボーカロイドの第2弾「鏡音リン・レン」をゲットして、同曲を日本語で歌わせた新作がこちら。最後でハモってるが、これもイイ。神々しい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1880014

イエス全盛期の名曲、「シベリアン・カートゥル」。9分超の大作で、リメイクして再うpしたもの。画像も含めて格段にクヲリティが増している。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1843707

年末に、ひとり大ウケした「FOCUS」のヒット曲「悪魔の呪文」。いやその。フォーカスというマイナーのプログレ・バンド、じつは作品を聴いたコトが無かったワタシ。ここ、コレハ(汁
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1353407

こんなの見たら、思わず知らず調べたくなっちゃうよナ・・・・(・∀・;)?
で、実際のバンドのライヴ動画を見たら、あまりのハチャメチャ具合に腰を抜かしかけた(w
おっと。イイ意味で、だ。恐るべし、フォーカス!不勉強を恥じるぜ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm193917

あのその。おクチ直しです。
ミク、リン、レンの美しい合唱をどうぞ。ワタシの大好きな「カノン」だ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1880081

プログレではないが。あっ。イエスの「シベリヤ」つながりと言えるかもだが(w
大瀧泳一師匠の金字塔。泣ける。ところで、ここらあたりの選曲が、作者がワタシと同年代ではないかっつー推測の根拠であります(w
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1404512

音楽・映画・本TB:0CM:0

16連休中(喰いだおれ篇)

2008/01/06(日) 23:37:47

071223_1434~0001_512

これはクリスマス・イヴの昼メシ。もちろんメガマック、おっと。こいつは「メガトマト」と名乗るヤツでした。思い返すとほぼ1年前、第1号のメガマック発売当日に「アラモード」ネタとしてブリリアントに喰ったもんです。ただしそれ以降、食い気はヤマヤマなれど、やっぱりドタマにブッチギリの高カロリー数値がチラついちゃうワケでして、それ以来のメガマック。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF
長らくのガマンを解禁したから、たいそう美味しく感じましたね。

ちなみに、このハンバーガーは単品で注文しました。100円のコーヒーと合わせて500円ピッタリ。ポテトはカロリーが凄そう(ナニを今さらという説もありますがw)なのと、この記事を見てからはボッタクリ具合がハゲしく分かっちまったので、まあその。そのテに乗るもんかト。もう「セット」で注文なんかしないぞと誓うボクだ。
http://res2ch.blog76.fc2.com/blog-entry-2463.html

DSC04074_1024.jpg

暮れも押し詰まったある日、家族で南房へドライブ。いつもの「ばんや」へ昼メシに出かけたワケですが、恥ずかしながら初めて高速「館山道」の新規開通部分を走りました。バイクなら下」しか使わないからね。どえらく便利。おかげで、わずか70分程度で保田に到着。まだ11時15分だっつーの(w それでもサスガの人気店、200名ちかい先客がいましたね。入店した時点で、すでに売切れのメニューが4点ほどあるナ。一番人気なんでしょうか。次回ねらうべきブツとしてメモしておこう。

DSC04077_800.jpg

注文したのは、ごくシンプル。「ばんや寿司」と「刺身5点盛合わせ・定食」と「はまぐり汁」でした。そこそこに満腹。イナダの刺身がとくに美味かったナ。

DSC04079_800.jpg

引きつづき南へと流れる。いつもの寿司屋(回るヤツだけどサw)に連れてけとムスメが主張するからですね。そんなカンタンに腹が減るワケはないから、館山あたりを散策することに。

DSC04081_800.jpg

そういや、コイツを味わわせてやりたいねと「木村ピーナッツ」へ。コクがあってたいそう美味いピーナッツ・ソフトを2ケ注文しました。

DSC04086_800.jpg

ウニクロとか、ムスメが一度チェックしたがっていたファッションセンター「しまむら」(片田舎にしか出店しないという政策だからサw)で時間をつぶしてから「スーパー回転寿司やまと」館山店へ入ります。それでも何でも店に入った時間は、15時(w
http://www.yamato-f.com/index.html

DSC04083_800.jpg

もう10年以上も通っている、安くて美味い寿司屋です。とはいえウチからだって遠いから、行けても年に1~2回ですけどね。ちなみにココが、1号店。店内は回転寿司の体裁ですが、回っているネタを取って喰ったコトなど無いですね。かならず板さんに注文して握ってもらう。今ではたくさん支店が出ている「やまと」には何店か入りましたが、やっぱり館山店がもっとも美味いとワタシは思う。それは地元の各漁港からタイムラグが少なく仕入れられるメリットと、やはりドライブがてら片道100Kmも走って喰いに来るという、心情的な部分もデカいかも知れません。

DSC04088_800.jpg

この日は飽食のかぎりでしたが、中途半端な食事時間だったので、やっぱり夜にはハラが減る。晩メシは「どん兵衛」ってあたりがメリハリあって好印象だと言えまいか(w

DSC04092_800.jpg

ナニを血迷ったのか、実家から大量の「カニ」詰め合わせを送ってきました。それにしても3人家族という構成をキレイさっぱりと無視した大ボリュームです。アボガト。こういったものは、お姿そのままよりもカットされた状態のギフト・セットにしてくれんかの。バナナと。ネットを検索してタラバとかズワイとか毛ガニの調理法(剥きかた、ですね)を調べました。

DSC04098_800.jpg

大晦日の晩メシは、そういったワケで「カニ鍋」。大量のカニさん摂取ノルマが課せられて、背中に甲羅が生えました(w 

DSC04100_800.jpg

「紅白」を観ながら、いつもの稲毛「せんげん」の年越し蕎麦を喰います。むーん。今年のテイクアウトは出来がイマイチではないか。ツユは辛めで蕎麦もボソボソなムード。これで1,400円とはボッタ気味ではないか。
紅白そのものはアタマから最後まで観ていました。なんかオカマとかホモとかの出演比率が高いのが鼻につく(w それからトシのせいか、美空ひばりと小椋佳のコラボレーション「愛燦燦」(小椋佳の提供曲です)にグッときました。素晴らしい。記事からは外れますが、また、いつまでうpできるか知らんけど、その名シーンを「ようつべ」からどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=oM9zaARDuu4
テレビで観ていて「おおっ」と思いましたが、最後のあたりで美空ひばりをホログラムで出現ささせているのではないかと。他の出演者も含めてステージには結構な手間とカネを投入しているように見受けられました。ま、ワシらの受信料だけどサ(w

DSC04103_800.jpg

元日の朝の儀式。喰いきりの「おせち」ですから、ごく少量です。そういえば晦日に、正月系の食品アイテム在庫が最大と思われる最寄りのイトーヨーカドーに突撃したワケですが、ココでもやっぱりボッタクリをしてるんだよナ。仕方ないかもだが。イクラなんか、そんないっぱい要らんわってボリュームにして値段が50%乗せ。そのうえ芋を洗うような混雑でした。いやはや(汁

DSC04113_800.jpg

午後からは恒例、親戚宅への食い倒れツアーに出撃です。これまた恒例、関西風「スキヤキ」でキックオフ。

DSC04115_800.jpg

もちろんわが家の弾幕も濃密です(w 件のカニさんを持参金がわりに大量投入。ホットプレートでビシバシ焼きまくりますが、結論から言えば、そんなにカニって喰えるものではナイなと。大阪支社にいたころには、冬どきの山陰エリア、民宿カニ喰い放題パック旅行とかが盛んでした。いやワタシは逝ったコトはナイけれど。そんな大ボリュームは飽きちゃうから不要だと、今ならシタリ顔で申し述べられますね(w

DSC04116_800.jpg

牛スキヤキ鍋がウナリをあげております。猛烈なイキヲイで喰いまくるワタシですが、今年も肉は余ってしまった模様。買いすぎじゃん(汁 

余談ですが、関西地方で「肉」といえば、それは牛肉を指します。ワタシは川崎市内の中流ど真ん中の家庭で育ったワケで、ガキの時分から豚肉と鳥肉で育てられました。トンプラとか鶏のモモ唐揚げとか。一般的には下賤なメニューと言われるかも。だからなのか今でも牛肉は、それほど美味いと思えたことがないワケ。これは食にまつわる「刷り込み」であり「オフクロの味」なのだから仕方ないコトですが。
そんなワタシが衝撃を受けたのが21年前、初めて神戸の中華街「南京町」に行ったときなんです。「豚まん」なる商品を売っていた。「おおっ」と思った。だってソイツは「肉まん」なのだ、ワタシにとっては。豚まん。なんつーベタベタな響きのネーミングだと。
でも、それでウロコがハラハラと落ちるように長年の疑問だった「ボンカレーの謎」が解けたのです(w え。いやその。「ボンカレー」とか「ククレカレー」といったレトルトって、辛さは3種類あるけど味つけはビーフのみ、でしょ? ワタシはポークカレーとかを喰いたかった。でもやっぱり、いつまでたっても具財はビーフしかラインナップされてないという疑問ですね。正解は、大塚食品もハウス食品も関西の企業だから。トッピングが牛肉しか有りえないという理由。肉はフツーに牛肉を指し、豚はブタ肉で鳥肉は「かしわ」。今は昔のネタですが、上方のルールに裏打ちされた商品展開ってヤツでした。

DSC04118_800.jpg

朝食は関西風「おせち」です。今ではフツーに喰えますが、最初にこの雑煮を見たときゃビックリしたもんだ。風土料理ってヤツは、じつに奥ぶかいものがありますね。

DSC04123_800.jpg

晩メシは、焼肉屋で喰いまくり。今年も肉づくしのスタートってワケですが、まあその。喰えるもんだなあ(w とくにハラミが美味かった。

DSC04127_800.jpg

次の晩メシは再びの回転寿司。夕方に出かけて、小一時間ほど待たされて、ようやく座れたころにはネタが切れ始める時間帯でした。21時閉店だったか。まあその。翌4日から築地市場がスタートするワケだから、越年在庫の最終フェイズってことになりますね(w おいしくいただきましたが。

DSC04136_800.jpg

朝メシは、親戚宅からもらったモチを焼いて喰います。やっぱりハンドメイドは膨張スケールが違う。

DSC04129_800.jpg

ワタシはモチが大好物。冬のエモーショナルな情景を感じる食べものですよね。これは関西仕様だから、もちろんカタチは「丸」。雑煮のモチに焼き目を入れないコトを含め、ワタシは特に違和感はナイですが、四角ではないモチってヤツ、関東では鏡餅くらいですよね。義理の父に「丸いモチって、やっぱり縁起系の由来ですかネ?」と問うたら、「エグザクトリ」と。「すべて丸く収めるから、このカタチで決まってる。マル以外は喰われへん」と。食に関わる「お国事情」ってヤツは、こういったハレの場面でハッキリと現れちゃうのが面白いものですね。

きょうの出来事TB:0CM:0

16連休中(ショッピング篇)

2008/01/01(火) 02:36:41

読者の皆さん、あけましておめでとうございます。
本年も「アラモード」を、どうぞごひいきに。

いやその。ホントは「それでは皆さん良いお年を」なんつーコトバでシメるはずだったんですがねえ。まあその。またやってしまいました(w

ところでワタシ、ただいま長期休暇中なのです。とはいえ、弊社の年間で2回の取得が義務である「フリー・バカンス」5日間というお休みをこの時期に遂行中ってだけなんですが、まあその。キッチリと暦にハマっておりまして、なんと12/22(土)から1/6(日)まで5日を休むと16連休という美しいスケジュールなんですね。
とはいえ、べつだん旅行に行く予定などはナイです。わが家の年末はゆっくりとしていたいというのが基本スタンスですね。でも、クリスマス・ムード満開の浮かれた街の日々からボンヤリと休んでいるから、手帳に行動メモでも書きつけておかなければ、もはや覚えちゃいられぬ。いやその。ボケ老人かと(汁

DSC04054_800.jpg

そこでコレを買いました。ナニを今さらと笑われるかも、というアイテムですが、ニンテンドー「DSライト」。いまどき「品薄」作戦なんつーアコギな商法(え。違うの?)をしていたようですが、さすがに最近は行き渡ったのか、クリスマス直前の週末でもフツーに買えました。じつはソフト3本のうち、「DSトレーニング」とムスメ用の「レイトン教授」については、3週間ほど前にリサイクル・ショップの「千葉鑑定団」で中古を先行ゲットしていたんですけどね。ちょうどムスメが生まれるころ、スーファミで熱中していた「シムシティ」は、本体と抱き合わせ販売で新品ながら500円引きでした。

脳トレ系のソフト、コイツを手はじめに、これから取り組んでいこうと思います。じつは切実なんだよナ。悩んでいる。ワタシのドタマの中身の劣化について、ですね(汁 笑いゴトではないのです。最初に脳年齢を測ったら、ちょうど自分の年齢と同じでやんの(w マズイだろーよ、それではネ。まあその。ペーパー・ドリルなんかじゃヤル気も起きない怠惰なワタシですが、これならがんばれる、かも知れん。そう思う。でもシムシティなんか操作を覚えるのがメンドくさいから、まだ開封してもいないってのは、じつはナイショです(汁

DSC04095_800.jpg

コチラも名作カーゲーのリメイク、「セガラリー」。新作と旧作がニコイチのセットを中古で購入。2,480円ですよ。安いもんだ。10年ちょっと前、コイツと「バーチャファイター2」をプレイしたいがために「セガ・サターン」を並んで買ったもんですヨ。今ではかつての商売ガタキからリリースされているのも、10年ひと昔。荒淫矢の如し。おっと、光陰だ。ちょっと間違えた(w 

「セガラリー」を自宅でプレイできる環境になるまでは、ワタシは足しげくゲーセンに通ってチャレンジしていました。もともとワタシはデカい筐体のリアルなドライビング・ゲームが大好物。それもセガ製品の素晴らしいクオリティ「いのち」だったんです。かゆいトコロが分かっているト。「デイトナUSA」とかね。このゲームではスリップストリームとドリフト・コントロールが実用化され、現実と同じコーナリングでタイム短縮を図れるという「リアル」なカーゲーなので、そりゃもう、ハマりました。続いてハマった「セガラリー」では路面のミューの変化でステアリングに伝わるキックバックが変わるなんつーマニアックレベルに突入。いやもう、散財しました(汁 家庭用のゲームだから、フツーのコントローラーで遊ぶのが侘びしいかもしれんが、まあ、もうコダワリなんか無くなったからコレでイイですけどね。え。これもまだ開封していないんですけど。あのその(w 

DSC03967_800.jpg

真性「ウニクラー」のワタシ、昨年も相当量のお布施をしてきたものです。オンタイム用のワイシャツたちが昨年はいちどきに寿命を迎えやがったりして、以前は「スキャッティ」とか「チャップス・ラルフローレン」しか買わなかったドレス・コードには五月蠅かったワタシも、今ではすっかりハナシが分かる野郎に(w 年間で「ウニ」製ドレスシャツを10枚くらい買ったっけね。もちろん通常価格より1,000円ほど安くなる不定期のバーゲン時をねらい撃つワケで。セール情報のヲチは当然ながら欠かせないのだ。2ちゃんの登山板およびバイク板の「ウニ」スレは毎日チェックしてるんですが、ちょっとアレすぎかの(汁

さて、たくさん持ってるのに「ついついw」また買ってしまうのが、フリースとかスウェットとか。画像は「プリントフリース・リバーシブルジャケット」で、好みの色柄だから店頭で見つけたときに即購入。1,990円でした。コレは「ウニ」のネット通販で先行販売していたときから手ぐすねひきつつ、ショップに並ぶのをまっていたワケ。柔らかくて肌ざわりも良好。本格的な冬山登山では、さすがにワタシも使わないだろうけど、とりあえずそんな機会も無さそうだからネ(w 

DSC04051_800.jpg

コレは「MLBスウェットボア・フルジップパーカ」。左がワタシので、右は驚くなかれムスメのSサイズです。いやもう、ムスメがパパと「おそろい」の服を買うなんて初めてかも知れんなあ。彼女が物心ついてから、だけどサ。やれうれしや(w 
もちろんバーゲン品で、2,990円。定価は5千円だった。じつはコイツもネットショップで買おうかどうか、ジクジク考えていたモノ。買わずじまいだったけれど。これは通販オンリーという製品ラインナップと思われます。フツーの店頭では見かけなかったからね。「アリオ蘇我」内のメガ・ショップは、どうやらアンテナ店のような役どころらしく、こうしたレアものがサラリと置いてあるから、うかうかしてらんない(w このモコモコのボアが暖かなのだが、そのせいでジャスト・サイズがXLに。着たサマは森のクマさんとわが家で呼ばれております(汁

DSC04067_800.jpg

クリスマスも終わったし、さあ年賀状に取りかかるかってときになって、PCのプリンタが逝った(汁 いやもう、ねらいすましたように壊れたワケです。当時は上位グレードの「カラリオ」なのだが、購入してから8年近くは経っていましたか。でも、こういう周辺機器ってヤツ、ブッ壊れぬかぎり買い換えないよネ。アセリつつも「価格com」で調べてみると、今では比較するのもアホみたいな機能の進歩であり価格破壊でもある。

そこで近所のヤマダ電機に朝駆けして、パパッと買ったプリンタがコレです。
http://bbs.kakaku.com/bbs/00601011405/
キヤノンの「PIXUS」MP520。じつは売れ筋の商品たちは、ほとんどが売り切れになっていたのだ。ボーナス商戦でね(w そのときはプリンタ「売れ行き総合順位」でコイツは9位だったかな。しかし店頭でありながら、この「価格com」の最安値(当時。1万6千円強だった)よりも安い、15,000円ちょい。「DSライト」より安い。やるときはヤルではないか、ヤマダ電機。
8年ぶりとなるプリンタ諸機能の進化は、もちろんスゴかった。だってコピーとかスキャンができるんだもん(w 仕上がりもキレイだしね。写真などのプリント印刷なんざ、今まで1回しか使わなかったから、その高精細なんか不要だな。コレで十分だと思っています。

ちなみに上に乗ってるモノは「オムロン」の電動マッサージ器。肩こり症のヨメに買ってみたものです。もっともベーシックなヤツで、4,700円くらい。もちろん売り場では各種を比べましたが、それほど五月蠅くなく、持ちやすく、ツボのハマリやすいのが結局はコレだったと。マッサージ・チェアなんか特にそうだと思うんだが、こういう製品ってのは使うとクセになっちゃうのがアレだよナ。手放せなくなる。魔力がある。まあ、そこそこに使いたおして逝きましょう。

これだけは買わせろTB:0CM:0
ホーム全記事一覧

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSリンクの表示

アクセス解析
Copyright(C) 2006 ラード・アラモード All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. まとめ template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。