ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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ラード

Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

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腹をかかえて笑った日

2008/03/31(月) 23:57:32

3月のうららかな土曜日、おっと。すでに先週のネタになっちまったワケですが、いやその。
いつもの「チーム2ちゃん」ゲームに参戦しました。ヨロコビ勇んでね。ナゼかと言えば、今回もまた未体験フィールドで遊べるからであります。会場は印旛沼のヨコに新しくできたコチラ。
http://www.cimax.jp/

いつも楽しく拝見しているクラウンさんのゲーム・レポが「うp」られるのを待っていた、否。「いる」んですが、むは。どうしたコトか未だにレポ上がらず(汁
クラウン伍長の活動報告書

では、しかたない(w 
もはや荒淫矢の如し的にナニを何ゲームやったかとかゆー細かいコトは覚えていないから、まだシッカリ記憶の残る部分だけをヒネリなくお伝えしましょう、恥ずかしながら。

DSC04422_800.jpg

この日の様子はコレ1枚貼っておけば「おk!」かもしれん、そういう画像。
ど ー で す ! 楽しそうだろ(w 
もちろんハダカの怪人は「バッズ」氏で、フライパンを奉げているのは「クラウン」氏。うしろで「なま」氏と「T」氏が大笑いしています。この日は陽気だったからネ、しばらく全裸にはなっていなかったバッズさんもココロおきなく全裸に。グレートなお方である。

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これは昼メシの後、有志を集めて行ったシューティング・イベントのときです。試射レンジのヨコに、シューティング・コンペ用の施設が設けてあるのだ。20名くらいが体験したんだっけ。画像はワタシで、これがスタート時のポジション。銃は何でもOK、ワタシは電動ハンドガン「USP」をズボンの右ポケットに入れています。

DSC04424_800.jpg

このお方の場合は、必然的にこうなる。

DSC04426_800.jpg

しかしスタートすると様相がキリリと一変する。正確な動き。最初のマトは、このドアを蹴破ったトコロに3ケ。画像右の窓奥にマトが1ケ見えてますね。

DSC04437_800.jpg

同じポイントでの「T」氏。やたらスムーズ。

DSC04439_800.jpg

その次のポイントでの「なま」氏。射撃のポイント(呼びかたが分からんですが)は6ケ所で、左から右へ進む。マトは合計16個くらいだったかと。画像はナイけれど、しゃがんで足元位置から撃つマト、なんてのもあった。ハラがつかえて苦しかったのはナイショだ(汁

DSC04433_800.jpg

さらにその次のポイントでのワタシ。モッサリとした動きですが、自分ではアセアセなの(w 最後のポイントへ向かおうとしていますね。結局、ワタシは30秒を切れず、シューティングをやってみたいなどと恐れ多い野望を持つ「なま」氏が27秒。「T」氏はさすがに年季が入っていて、24秒台と相当な早撃ちガンマン。

DSC04427_800.jpg

ただひとり農夫コスで参加の対戦車猟兵氏。事前の本スレ・カキコの様子から、当日は農夫のカッコで参戦するヤシ続出っつー予想だったんですが、フタを開けたら氏のみだト(w リボルバー・ランチャーの2丁拳銃(しかしリボランは拳銃じゃナイかw)。グレイトとしか言えぬ。このゲーム1回でタマ代が「2せんえん!」とか何とか。
他には、マルシンの8mmライフルでシューティングに挑んだ勇者もおられた。ライブカートだから1発撃つたびにカートが排莢されるワケで、落としたカートを後ろから拾い集める従者の「うやうやしさ」に共感の笑いが起きました。



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オトコの「ままごと」プロジェクト(4) 山メシ研究

2008/03/28(金) 23:52:00

DSC04460_1024.jpg

ヨメとムスメが1泊で温泉旅行に逝ってしまったフリーダムなある日、バックパッキングの晩メシを研究してみようと思い立った堅実なボクさ(w

帰宅途中、「無印良品」のメガショップ・有楽町店に寄って、ごらんのラインナップを購入した。食品はバーゲン中の様子。レトルト3点は各168円、スープはよりどり3ケで250円。「ごはんにかける」シリーズが山でのメシにジャスト・フィットと知ったので、重点研究アイテムとして注目したのだ。とくに「胡麻味噌坦々スープ」が美味くてハラ持ちも良いと評判で、そう言われちゃ、喰わずにおられんでしょう(w

レトルトの目方は、それほど軽くはない。この画像の5アイテムだけでも、0.5Kgになるワケだ。3食すべてをパスタで喰うにしても、さらに麺が5百㌘近い重さになるのだなあ。食料の軽量化、まだまだ研究の要アリ。でも、カレーのレトルトが210㌘もあるようだから、まだこの無印ラインアップは軽いほうだ。

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バックパッキング時と同じ道具だてで、同じ手順でこさえてみた。ヒマだったんで(w まずは湯を沸かし、レトルトを4分間ほど茹でる。900ccのクッカーに600ccの水を入れたのだが、グラグラ煮ていると、どうしても少しは噴きこぼしてしまう。でもまあ、これ以上デカいクッカーを持っていきたくもナイから、注意するのみだ。「マ・マー」の5分間パスタを3分の1、約150㌘を二つ折りにしたのが、ごらんのボリュームになる。

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同じ湯で麺を茹でる。クッカーの大きさはジャスト・フィット。ストーブは極トロ火にしてあり、ちょうどよい火力といったムードだ。「ミネストローネ」は180ccの湯を注いで1分間待つというモノ。本格っぽい。この一連の作業を同じ湯を使いまわしで行うのが、こういった室内の明るい場所でやると赤裸々全裸々で何となくアレではあるけれど、山では暗いワケで、ぜーんぜん気にならんハズだ(w

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準備を始めてからおよそ15分後、ようやくメシにありつけた。胡麻味噌タンタンパスタ、こりゃなかなか美味いモンだ。「トレック700」のクッカーも、大きさがピッタリ。ラード的にはメシはお椀状の食器で喰いたいところだが、仕方ない。フリーズドライのスープが容量的に少ないけれど、その味はコダワリを感じる。まあその。だいたいハラは膨れたかな。トッピングで魚肉ソーセージの小さいヤツでも加えたら、満腹になるかな。

改めて気になったのが、チタン製のクッカーとスプーン・フォークがこすれる高周波キコキコ・ノイズが耳につくコト。アルミ製のクッカーは、まだ低めのノイズだからマシだと気づいた。これを嫌ってスプーンを木製モノにしているヒトが多いというコトを、その後に知ったワタシだ。ふむ。まだまだ道は険しく、そして遠いワケね(w

バックパッキング・道具考CM:2

山について思ったこと 「魔の岩壁」

2008/03/27(木) 23:55:11

いちのくら

谷川岳、一ノ倉沢の衝立岩。
昔むかし、そこで宙吊りになったロック・クライマーの遺体を自衛隊員の銃撃によって回収したという荒っぽいデキゴトについては、ワタシが現役「山ヤ」のときも聞いたことはあった。そして、そんなルートの存在にビビったものだ。でも、そのデキゴトの詳細は知らないし、谷川岳を根城にしていた山岳部のOBたちも同様だったように思う。こういうコトに触れるのは山ヤのタブーであって、忘れ去りたい事件だからなのだろうか。
写真は1981年の8月、その一ノ倉沢の出合に立つ気負ったワタシ。第3次夏山合宿のときで、主将として10日間ほど一ノ倉と幽ノ沢での岩登りを実施した。そして背後に聳え立つ特徴的な三角錐が銃撃事件の起こった現場、衝立岩正面壁だ。

それにしても良い時代になったナと感じ入る。その「事件」のニュース動画がカンタンにPCで見られるってんだからネ。
谷川岳の魔の岩壁

一ノ倉ザイル事件

【追記その3◆2010年4月28日】
「朝日ニュース」が映像配信を止め、同じ内容の「ようつべ」動画も、デリられたようです。現在、このニュース動画を見るコトができません。
いま思うと、この動画は画質が悪く、岩を知っている「山ヤ」なら凄惨なそのアリサマを具体的に想像できるだろうが、一般のヒトにとっては映像のリアルな詳細については判別できなかっただろうから、グロ動画というワケでは決してない。デリられた理由は何か。個人情報保護の観点から、なんでしょうかね。

「当ブログの歩きかた」という自選ベスト記事集にも詳述しましたが、相変わらず「衝立岩」「魔の岩壁」「正面岩壁」なんてコトバでこの記事を検索してくるヒトたちが引きもきらない。すべて当ブログにとっては一見さんなのだろうが、そしてまた、岩登りとは無縁のヒトがそのほとんどなんでしょうが、今月も合わせて40名くらいがこの記事にトンできているワケだ。50年も昔の、ついこないだまでは「ほぼ」忘れ去られていたカルトな事件に。この数が決して多いとは思わないし、きちんとこの一文を読み込むヒトなんざ、ごく少数だろう。しかしながらこの「検索」にまつわる一件というのは、ネット社会のさまざまな特性を端的に表していると思えてならない。

【追記その4◆2010年11月1日】
現在、ニコニコだけは、同じモノが見られます。

【追記その5◆2011年2月14日】
wikipediaの該当記事に新しいネタが出ていた。1963年に公開されたカルトな風俗映画に、この銃撃の映像シーンが唐突にインサートされているとの由。その映画評を記したブログ記事が、コチラ。今ではその映画もDVD化されているようです。
そして、もうひとつ。朝日ニュースではカットされていた「部分」が見られるモノを、発見。ああ。こんな「モロ」なヤツがうpされていたから、当記事の注目度も上がっていたのかと、今さらナットク(w 4:35から20秒ほどだが、クライマーの親御さんがたは、出合でこのシーンを見ていたのだろうか・・・。(追記ここまで)

さて、この事件(というか事故の顛末というべきか)が起きたのは、1960年の9月のこと。ちなみにワタシが生まれて半年後だ。暑い夏だったなァ。いや、ウソです。覚えてるもんかっての(w この動画サイトは、かつて映画館で流していたニュース映像のクリップ集と思われる。「ワイドの眼」というタイトルから、当時は映画館でしか味わえない珍しいワイド画面の映像だったのでしょう。それが、ココではフツーのヨコ幅に圧縮されちゃっていますね。画面が暗いから、余計に見づらい。
それにしても、このオドロオドロしたBGMは如何なモンかと(w だってサ、機関銃で銃撃して遭難者を回収するという、ただでさえショッキングなネタに、この圧倒的な一ノ倉の凄惨な光景が映っているワケでしょう。なんかもう、岩なだれと共にゴジラが現れそうなムードではないか。

以前にも書いたことですが、1950年代後半からは、マナスル登頂ブームを受けてのハイキングや登山が国民的なレジャーになっていた。町には社会人山岳会がさまざまのレベルで林立して、「3人寄れば、さん岳会」なんてニュアンスで言われていたらしい(「初登攀行」松本龍雄著より)。それでも、こんな信じらんない岩壁をヒトが攀じているなんて、一般レベルのハイカーたちには理解できなかったに違いない。だから事故死しても当然、「そんな場所に逝くからこんな最期を迎えちまうのだ、親不孝ものめ」などと、ハゲしく世間に対してトラウマを与えるニュース動画だったのではないかと想像する。

ザイル・パートナーの2名が共に死んでしまったというレア・ケースの理由は、調べてみてもよく分からない。当時のビレイ方法は「肩がらみ」式という古典的なやりかただったろうし、ハーネスは、使っていたとしても胴ベルトのみだろうから、大きな墜落をした場合、両者のカラダへのダメージは深刻だったのかも知れない。当事者である山岳会の事故報告書が編まれていたら、そこには「推測」の考察が記されていたのではあるまいか。
しかし遺体だけ切り落とし捨てて、いっさいの現場検証は行わなかったコトになる。現代では考えられないハナシだが、あのころ、衝立岩とはそれくらい隔絶された場所だったワケだ。
このサイト「誰か昭和を想わざる」の中に「恨みのザイル一斉射撃」という記事があり、ネット上では現在もっとも詳しくこの事故について報じている。まあその。文中、不謹慎ながら「伝書鳩で連絡」ってところで笑ったね。時代を満喫。伝書鳩の到着タイムを競うコンテストが盛んだったんだっけ。

【追記その2◆2009年10月】
あまりにも多くの読者がこの記事を検索して読みに来るので、より正確を期さねばイカン、そう一念発起(w
「あの現場」のもっとも近くで、銃撃による解決を図るよりも前に、当事者山岳会と一緒に遭難者2名を収容するべく奮闘を続けた凄腕のクライマー・小森康行氏のエッセイを引用してきました。「続き」を開けて、ご覧ください。(追記ここまで)

wikipediaにも事件の項目が掲載されている。しかし記述にマチガイがあるナ。「当時登頂に成功したのは1例のみの超難所」という部分。先のニュース動画中でも大時代な読みかたをするアナウンサーが「15人しか登られていない」と言ってるじゃん(w

セピア_1280

ただし「超難所」というのはまったく事実で、1960年当時のクライマーたちにとって衝立岩正面壁は最高難易度の登攀ルートで、生半可に挑戦すらできない圧倒的な存在でもあったのだ。ちなみに「難しい登攀」という尺度もさまざまなのだが、この壁の場合は、オーバーハングだらけで困難な人工登攀に頼るハメになるからだ。詳しいクライミング・スキルの解説は端折るけど。

こういう登攀ってのは、最初に完登したパーティが当然ながらもっとも偉大だ。数十年間にわたって未踏の王冠を誇った壁に、登れるラインが存在することを証明できたから。だから第2登はグッと気楽になる。初登パーティが猿でなく同じ人類なら、なんとか対応できるワケだ。ルートに埋込みボルトやハーケンを打ち足せば、よりラクに登攀できるし、また続登されるにつれ、残置された補助支点も増えていく。そんなこんなでそのルートが100登くらいされたら、技術的な難易度はドンドン引きずり降ろされてしまうという嘆かわしい事態になる。今は初登から50年近くたっているから、数万登を数えるくらいなのだろうか。

ヨセミテから発信された「クリーン・アッセント」という倫理的ガイドラインが日本に根づくまでは、長きにわたってわが国の人工的なアルパイン・ルートは埋め込みボルトなどの支点がバシバシ打ち足され、残置され、そのためにルートの難易度が下げられてしまう運命にあったワケだ。
この衝立岩の初登時は、それまで「雲稜会」による数次の試登で、固定ロープを難関の第1ハング上まで張ってある状態でスタート、それから4日間を費やして完登している。第2登はその2週間後、ワタシのココロの師「雲表倶楽部」の松本龍雄氏パーティだ。これは2日間のラッシュ・アタックで攀りきっている。それから20年後となるワタシが現役のころには、所要5~7時間というのが一般的な登攀タイムというルートになっていた。

衝立トポ

その後、この衝立岩正面壁には何本も別のルートが拓かれ、初登ラインはそのクライマー・南氏が属する「雲稜会」の名を取って「雲稜第1ルート」と呼ばれている。その初登攀のレポートがネットで読めるから、うれしいものだ。
http://unryo.cliff.jp/data/history/tuitateiwa1st.htm

谷川岳は昭和の初頭に「近くて良い山なり」と紹介されて以来、最近までに800名近くの遭難者を出しているという世界的にみても珍しい場所だ。中でも一ノ倉沢での岩登り中の事故死が最多なのだろう。象徴的なモノがある。沢の出合、車道と水流がぶつかる場所に、今は知らないが大がかりな「ネット」が設置されていたのだ。それは本谷の雪渓を長い間かけて運ばれてきた「オロク」さんを掬い取るための金網製のネット、なんですけどね(汁
衝立岩という大岩壁は国内の大方の岩場と違って、観光客でもその凄惨な姿を一ノ倉「出合」という間近で安全な位置から簡単に眺めるコトができる。これが大きな特徴であって、つまり悪目立ちするスター性を持つ壁と言えるのだ。

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これは、初登攀から20年後に発行された写真によるルート図集「谷川岳の岩場」(山と渓谷社・1980年5月刊・絶版)。ロッククライミングをご存知ないヒトはアゼンとしちゃうに違いない表紙カバー写真は、衝立岩「A字ハングルート」の核心部。背景にはワタシの最終目標だった「滝沢スラブ」が美しい。
この本は豊富な写真で当時の日本3大岩場、すなわち「穂高」「剣」とこの「谷川」の各アルパイン・ルートを紹介するガイド図集なのだ(後で気づいたのだが、「北岳・甲斐駒」も出ていました)が、ワタシが現役クライマーのときに刊行したから、アタックする際の実技的アンチョコとして、まったく重宝するモノだった。まあその。今ならば、そんな一挙手一投足がバレバレになるルート解説を見て、あたら挑戦のヨロコビを減じるなんて意味ないじゃんとも思える。しかし当時は自分の能力で完登できるかどうかのジャッジは死活問題、正しく「イノチがけ」だったもんでネ。
こういった「本チャン」の登攀ルートにおいては、技術的なムーブの難しさのみでなく、アプローチを含めた登攀の所要時間、岩の脆さ、濡れ、落石、確保支点の数と効き具合、さらに悪天につかまった場合の脱出の難しさ、あるいはザイル・パートナーのコンディションなど、さまざまのヤヤコシい心配ごとがあってモチベーションを維持するのが結構タイヘンなワケです。

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とりあえず衝立岩のシチュエーションに近い、自前の写真で勝負しますと、コレは同じ一ノ倉「コップ状岩壁」正面壁の「緑ルート」、約4㍍のハングを乗越そうとしているトップのワタシ。取り付き点から真上を仰いで撮影しています。1981年の8月、雨に降られまくった合宿だった。「コップ」とは、セピア色の一ノ倉沢全景画像で、ツイタテの右上に位置する岩壁だ。
このときは台風後の悪コンディションで、足元は何とフエルトを貼った渓流タビ(w ヌメヌメの壁では有効でした。逆に雪渓ではすぐに目が詰まって滑りまくりだったけれど。じつはワタシが本チャンでいつも愛用していたシューズは、千円のズック靴だったのだ。あの時代、ラバーソールのクライミングシューズなんてのは元祖「EBシューズ」が輸入されたかどうかという時期であり、峠の岩とか日和田のようなゲレンデならイザ知らず、一ノ倉の草付ミックスで「実際ソイツは使えるんかい、え?」、そんな時代。
写真が暗いのだが、右足はアブミ最上段に乗って巻き込んでいます。ザイルは9mm40㍍のドッペル。間違ってもダブル・ロープなどと言わぬよーに(w 「人工」が苦手なワタシは、アブミのかけかえとはいえ、このハングと続く濡れた垂壁では苦労の連続だった。これに取りつく前、すぐ右にある「雲表ルート」をやっつけていたのが原因かも知れませんが。

この「コップ正面」のクラシックな両ルートも日本登攀史にその名を刻んでいる。ひとつは、わが国の岩壁で初めて手製の埋め込みボルトが実用的に使われたコト。もうひとつは丁々発止の初登攀争いとして、1958年の6月、同日同時刻に攀られたというドラマを持つ、「戦後」の重点課題だった難攻不落の壁。その日は「ツイタテ銃撃」のときのように取材のTVカメラ(日テレ)が一ノ倉に入って、初登攀争いの様子を茶の間に放映したというエポック・メイキングな場所なのだ。それが映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のあの時代のこと。

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またまたハナシが本筋からそれてしまいました(w さて、梅雨明けどきから秋にかけて、残雪が消えた一ノ倉の人気ルートに取り付くには「テールリッジ」というアプローチ・ルートを登るハメになるのだが、その尾根の上部までくると、ごらんのように壁はクライマーを威圧するがごとく覆いかぶさる。それでは年季の入ったこのガイドブックから、銃撃事件の現場である「衝立岩」という壁の存在を引用してみよう。
・・・・・
衝立岩正面壁は一ノ倉沢に残された最大の課題でありながら、垂直のフェースとオーバーハングのために、登攀は不可能視されていた。ところが、1959年8月18日に南博人、藤芳泰の両氏により、埋込みボルトと縄梯子による新しい人工的テクニックを駆使して拓かれたルートである。
初登から2年で、あのショッキングな宙吊り事件が起きたことでも知られ、国内でも最も難しいルートとされていた。しかし、60年代から70年代にかけて奥鐘山西壁や海谷山塊などにおいて、このルートをしのぐ困難な壁が次々と開拓された現在、スケールやテクニックも最高のものではなくなった。しかし、ルートの合理性、ルートの存在する位置、明るさなど抜群であり、ルートに要求されるすべての要素を備えているから、日本の岩場の中でも代表的なすばらしいルートのひとつに数えることができる。
(後略)
・・・・・

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くわあ。たまらん。じつにココロ踊る。え。踊らないか?(w ただし白状しますと、ワタシは衝立岩のルート(当時は5本ほど)は1本も登攀したコトがないのだ。いわゆる人工登攀よりもフリー主体の難しいルート、つまり「滝沢第3スラブ」を攀りたかったワケ。腕力イノチという「人工」は苦手だったし、最後まで惹かれるコトはなかった。
そんなワタシの現役時代の後半期は、いま思い返すとロック・クライミングという遊びにおける大きな流行の「端境期」。20年ほど続いた「鉄の時代」と呼ばれる人工登攀主体の長く困難なルートがグレード・ヒエラルキーの頂点、そんな考えかたの最後の時期だったと言えるだろう。それからは、アメリカナイズされた「フリー・クライミング」というスポーツ的なロック・クライミング思想とルールやスタイルが輸入されて、現役クライマーの意識革命が湧き起こり、国内に根付き、そうしてハードなルート開拓がガンガン実践され始めていった。それ以前の「命がけ」という外的な危険要素をなるべく排除したやりかたで、あくまでもスポーツ的に。まあワタシなんか、そのフリーの潮流が押し寄せる直前で活動を終えたワケで、なんとも前時代的クライマーであったコトよ。

そして日本ロック・クライミング界の大きな流れという観点からも、この衝立岩正面壁は象徴的な役まわりの場になったというのが興味ぶかい。「鉄の時代」とは、埋め込みボルトという人工補助用具が多用され、この壁が初登攀されたコトで実質的にスタートしたコトになるし、ワタシが最終目標の「3スラ」を登った数ヵ月後(1982年夏)には、なんてこった、この衝立岩の初登ラインである「雲稜第1」ルートがオールフリーで完登(その場合のルート名は「グリズリー」)され、それが現在に続く本格的なフリー・クライミング発展の嚆矢(こうし)となったからだ。
「本チャン」と「ゲレンデ」のふたつだけだった岩登りを行う「場所」というのは、そのころから、おもしろい「課題」があれば東伊豆にある海沿いの断崖(城ケ崎の開拓が始まった)でもイイし、江戸城遺構の石垣(常盤橋公園ってのがブームになった)でもイイし、河原の大石(奥多摩のボルダーがブームになった)でもイイし、さらに時を経て、建物の側壁にしつらえた人造のウォールでも結構という「内容を厳しく問われる」新たな時代に突入していったのだ。そうしてワタシは完全に前時代のヒトに成り果てた。

【追記その1◆2008年4月】
こういう紹介記事を書くと、当然のコトながら、検索でトンで来てくれるヒトがたくさん出てくるワケです。いま、ワレながら恥ずかしい思いなんですけどね。もしかしたら相当な数のホンモノ「山ヤ」が「攀ってもいないでヨタ飛ばしやがって」、なーんて感想をお持ちかも知れん。
逆に、アクセス解析から知ったというか教えられた、こんなナイス・ブログをご紹介しましょう。ツイタテの初登者・南博人氏のブログです。なんと言いましょうか、見事な好々爺におなりになっている。風流な老人とは、ワタシの理想。すばらしい。人生のお手本とさせていただきたいものです。

南氏の昨年末の記事に、ともかく注目しました。コレ、「岳人」誌に記載された20世紀の偉業として衝立岩初登攀が紹介されており、その文章をそっくり引用しているもの。けっこう誤字(打ち間違い)があって微笑ましい、なんて言ったら失礼なんですが、その登攀の内容は凄まじい。でも、ちゃっかりとジマンをくれてるところなんか、じつにオチャメだ(w 神さまだから許されるワケですが。いやその。こういうおじいちゃんになりたい。(追記ここまで)

まあしかし、現代では絶対に有りえない「超」荒っぽい事故の解決法「ザイル銃撃遺体収容」が起きたころのわが国は、コレに限らず、無茶苦茶に荒っぽく騒然とした時代だったようだ。その年の5月・6月は「60年安保闘争」。東大生の樺美智子が殉死したコトで有名な国会突入デモがあったり、岸内閣が総辞職したり、三池炭鉱での壮絶な労使闘争が続いたり、そして10月には社会党の浅沼委員長が演説中に右翼少年に刺殺されたり
ハナシが逸れるけれど、この浅沼暗殺事件の「ようつべ」もある。フシギと消されないのだ。最後のスロー映像(ドスが丸見え)が、恐怖。「60年安保」のまとめ動画もあるから、ごらんいただくと凄まじくホットな世相がよく分かるハズだ。

それにしても、現代では理解不能な珍妙な文化風俗とか事件が多くて目がくらむ。泉麻人の名著「B級ニュース図鑑」っぽいネタも多い。この「昭和35年・上期」ニュースでの「吸血少年団」なんか最高だ。ギョッとしたもんね、このタイトル(w ただし当時の社会世相として、自分の血を売って生活する底辺のヒトたちが大都市にワンサカいたことや「黄色い血」というその撲滅キャンペーンなどは、知っておかねばならないだろう。映画「ALWAYS 3丁目の夕日」なんかじゃ決して描かれない生活を、だ。

誰か昭和を想わざる・昭和35年



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元「山ヤ」の体験談CM:0

オトコの「ままごと」プロジェクト(3) スタッキングを考える

2008/03/23(日) 23:49:17

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昨日のサバゲ疲れから外出する気にもならず、自宅でグダグダと(汁
ハタ!と気づいて、新しいオモチャ「P-113」を使って「JALビーフコンソメ」スープを作るコトにした。ワタシの好物なんだ。

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300cc強の水を全開で沸かしたら、1分40秒くらいだった。久しぶりに持ちだした「TREK700」のハンドルが熱い。軍手は左手用のみ、やっぱり持っていくべきか。「P-113」を手厚く収納できるしネ。もちろんスープは美味かったが、まあその。今まで愛用してきた「EPI」から何秒くらい短縮できたかどうかなんて瑣末事は、どうでもイイんだ。

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そんなコトよりも、ワタシの関心は1泊以上の「バックパッキング」に持っていくクッカーの組み合わせに向いている。ええ。コレはもう、重要案件なんです(w 朝昼晩のメシの内容を検討するのが先決だろっつームードでもあるが、おそらくは「ナニをブッカケたドンブリメシなのか」とか「ナニ味のパスタなのか」とか、そういった分かりやすいレベルで推移するハズであって、まあその。味よりも各食材の重量および飽きのこないローテーションってヤツに注力しておけば何とかなると心得る。

メインのナベは、中列右のスノピ「TREK900」を使う。メシ炊きにも使うから、多少重くなるこのアルミ製でヨシとしよう。チタン素材で炊飯するとコゲ対策が面倒だから。小クッカー兼メインの食器は、画像中央のスノピ「チタンTREK700」しかないナ。ホントはお椀状の食器で喰いたいところだが。「700」は「900」の中にビシッとスタッキングできるから、コレしかない。妙に座りの悪い900のフタには退場してもらい、フィールドギアーの隠れた名品「チタン皿蓋」を2枚、持っていこう。前列の両側のヤツね。知ってるヒトは知っている裏ワザだが、皿蓋は900用のフタとしてピッタンコなのだ。オマケに裏返せば700にもピッタンコであって、これまた700純正のビミョーに不便なフタより使い回しが効くワケだ。ココ、次回の試験に出ますから良く覚えておくこと(w

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さて、ちなみに先ほど飲んだ「JALビーフコンソメ」でスープ・パスタを作るってのも、現時点でラインナップ入りしているラード的定番メニュー。美味いモンですぜ。その場合の製作工程はカンタンだ。900で湯を沸かし、茹でる。700にスープの素を2袋、ブチまけとく。茹で汁200cc程度を先に700に注いでおき、皿蓋を上手に使って湯切り、700に麺を入れて召し上がれ。アホでもできる。 
このあたり、重くなってはしまうが、ウインナなどの「おかず」も加えて煮込みたいところだ。そういえば、と思い出した。食器ひとつが基本の山メシでは、どうも視覚的に満腹中枢がゴー・サインを出しにくいらしく、いつもハラを減らしていたことに。ま、ワタシだけの気質(かたぎ)かも知れんけど(w

味付けのネタについては、研究用として買ってみたいのが、これら「無印良品」のアウトドアズ・メンに評判の食品ラインナップ。
http://www.muji.net/store/cmdty/section/S02207
「ごはんにかけるスープ」シリーズにはココロ打たれるものがあるけれど、ちょっと重いという事実をどう受け止めるか、だネ。むは。今まで、デジタル表示のキッチン・メーターを使って、細かいパーツごとに計量しつつ、ホレ、何グラム軽くなったとか何とか嬉しそうにカキコしている計量厨のアウトドア系記事を「ちっさいなァ」と唾棄してきたワタシなのだが、いやその。どうやらホムセンで小型優秀なデジタル表示の「ハカリ」を買わねば逝けなくなっちまったかもだ(汁 コレが転向ってヤツですね。ああっ。量りたい、目方を。

銀シャリを炊いてボンカレー、なんて場合も使うクッカーは同様だ。700で0.5合のメシを炊く。15分ほど蒸している間に900で湯を沸かしてレトルトを茹でる。700にルーをブッカケる。こんだけ。野宿の晩メシと比較するとごくシンプルになるメニューだろうから、ナベはこの2ケでまかなえる。そうして、画像のように美しくスタッキングできるワケだ。ふむ。100均の太いゴムバンドを買ってきて結束すれば、カンペキではないか。

あとはカップが1ケ、必要だ。しかしコイツが悩みどころではある。コーヒーとかスープに使うのがメインで、何か食べものとか食材を入れておける容器としても使えるモノだ。スノピをはじめとしたフツーの折りたたみ取っ手がついたコップ、ソイツはイマイチ色気がナイんだよナ。さあ。いよいよ核心に入ったぜ(w まずワタシの琴線をノックしたのが、コレ。

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「フィールドギアースピリッツ」のニュー・アイテム「純チタン 折畳式ハンドル ロッキーカップ12cm」。
https://www.skintl.co.jp/ver10/list.html
相かわらず超ダサダサのネーミング・センス(HPの見にくさも相当ですわナw)だが、内容はスルドイ。ワタシも購入した優秀な厚手チタン製のロッキーカップ・レプリカから、特徴的なハンドルを折りたたみ方式に改めたモノ。やるではないか。480mlという容量がまた絶妙で、コーヒーカップにも茶碗にもOKというワタシにはもう、オールマイティなサイズ。81gとは少し重いが、買う!と思った。しかし待て。ちょっとマテ(汁 きちんと収納はできるのだろうか?

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このようなピッタンコ具合では、マチガイなく折りたたみハンドル部分が邪魔をして、700どころか900にもスタッキングできませんね。いやもう、残念。
すると、現状でベストは、コレしかないのか。「エバニュー」の「チタン・カップ400FD」。
http://www.naturum.co.jp/item/item.asp?item=546780
あんまりエバニューの製品に良き思い出がナイってのがアレだけど、しかし今回のワタシの意図するポイントに、コレはドンズバ。きれいにスタッキングできるハズ。ハンドルの熱くならない工夫も結構。これでハンドルがフラフラ動かなければ、文句ナシ。

ちょっと今週は御徒町にでも出かけて、「ODボックス」を覗いみようか。


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Keep on Walkin' ということ

2008/03/19(水) 23:56:50

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ネットを回っていて、ハタと気づいた。
「BE-PAL」が、ワタシのために巻頭特集を組んでくれたというコトに(w
さっそく買ってきた。
え。いや、ピンバッヂに目が眩んだからではナイです。
大好きだけどネ、こーゆーの。

まあその。
いつもながらのビーパルだもんね、役に立つ部分、およそ20頁くらいかな。
なーんて思っていたワタシを、いったい誰が責められよう(汁
ところが、だ。
帰りの京葉線で読み始めたのだが、もう、ハマるハマる。
この滋養に富んだ編集内容は、正しくワタシのためにある(w

はじめて知りました。
恥ずかしながら。
なんですか、「信越トレイル」って。
「国内&国外のおすすめトレイル13」特集の筆頭をかざる「信越トレイル」って。
「里山の自然を色濃く残すロングトレイル」って。4泊5日って。

(・∀・)キタ !!

いやその。550円という今回のビーパル誌の対価、超安い。
いまのワタシには、だ。



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炸裂した(後篇)

2008/03/18(火) 16:56:58

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「P-113」についてネットを検索してみた。ほら、「イイもん買った」というジコマン的ヨロコビを誰か知らんブロガーたちとシェアしたいではないか。そうして、こういうブログに出合った。
http://hs4407.hp.infoseek.co.jp/stove04.html
ちょっとビックリした。ストーブのラインナップがワタシと同じ組み合わせなんだから。いやはや珍しいコトもあるもんだ。メーカーの製品づくりの哲学と文化論にまで触れた筆者のインプレは、深い。参考になるなあ。

ラード的には、いまの今まで、ガス・ストーブのブランドといえば「EPI」と決まっていたのだ。「EPI」はワタシが山ヤの現役時代最後のころに輸入され始めたブランドで、それ以前の石器時代(そんなムードねw)の独占的製品であった「キャンピングガス」より高性能な火器だった。当時は今で言うところの「無印」キャニスターしかラインナップされていなかったのだが、それでも能力は段違いだったと聞く。
さて、それより少し後になるが、黄色がブランド・カラーの有名どころ「PRIMUS」も上陸してきた。ところが、何の理由か知らないが、たしかスグに撤退しちまったと記憶する。一時撤退だか何だか。当時(1980年代の半ば)のワタシは会社のヒトたちとテキトーに登山していたころで、オフロード・バイクにも野宿にも開眼していなかった。だから個人装備である「コンロ」という商品に興味はとくに持たなかったワケだが、それにしたって、大々的に本邦初上陸を謳っておいて即撤退とは「なんじゃそりゃ」っつー正しい感想を植え込まれたのだ。メーカーに罪があったのか、ディストリビューターにモンダイがあったのか。いまは「どうでもイイや」と落ち着いたけれど、ラード的には「イノチを預ける道具」火器部門イコール「EPI」であるとカタチ作られたというワケだ。

そうして20年前のこと、決定打的に小さくて軽いガス・ストーブ、2ケ目の「EPI」を林道野宿旅のために買ったのが、画像のコイツ。型番なんかナイと思いこんでいたのだが、改めてよく見ると側面のシールに「BPS型(8807製)」とあるではないか。ふむ。「型」っつー表記に時代を感じていただきたい(w しかし、ちょっと嬉しいね。「BPS」といえば現行ラインナップにも継承されている「EPI」ブランドの超ロングセラーなのだから。

「P-113」が今のガス・ストーブの最小・最軽量レベルなのだから比べるのも気の毒だが、じつはこの「BPS型」も、20年前には全ストーブ系ラインナップにおいて最小・最軽量レベルだったのだ。持ったカンジでは「P-113」の3ケ分くらいの目方なんだけどサ。 
しかし読者諸氏には思い描いていただきたい。それ以前ってば、現役のときに山で使っていたストーブは「ホエーブス」だったんだぜ。いわゆる「大ブス」。収納ケースがブリキ缶で、ケースだけでも「EPI」の2ケ分くらいな重さだったんだぜ(汁 他には、たいへんゼイタクな個人装備的ジャンルとして「オプティマス8R」とか「スベア123」、ナウい系では「コールマンPeak1」といったマイクロサイズの白ガソリン用ストーブはあったが、それでもこの「EPI」の3ケ分ほどの目方と、比較するのもアホらしい収納サイズ。そりゃあ、元「山ヤ」としては飛びつくのも道理、でしょ?(w 「BPS型」は画期的なウルトラライト・グッズだったのだ。

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さっそく点火してみた。室内だから、ごく小さくネ。全開にすると50㌢くらいの炎になるようだが、テントの前室で調理する場合は気をつけないとイカンね。手持ちの中古ブタンガス・ボンベを引っぱりだして装着しているのだが、ふと気づいたコトがある。右のボンベ、何と大阪支社勤務時代に購入したモノだった。値札に「ロッジ」と読めるから、それは「駅前第4ビル」(地下にナゼか銭湯がテナントとして入っていたデカい雑居ビル)のアウトドア・ショップではないか。最短で考えても、17年モノ(w もちろんキチンと火が点いた。グッジョブではないか、「EPI」。そして今まで20年間、ありがとう。お疲れさま、なーんて思ったのだが、いやその。ちょっとマテ。どうやら「EPI」が完全にお蔵入りするのはムリではないかと気がついてしまったぞ。もちろん購入後に、だけど。

なま氏のかつてのレポを読むと、「P-113」ってば、たかだか600ccの水を入れたクッカーを乗せたら首がしなるとは、どんだけかと(汁
http://namatee.exblog.jp/5324460/
こんなレベルで鉄製「100スキ」を乗せて肉を焼いたりしたら、軽くポッキリ折れちまうかも知れんよね。また、ゴトクのモンダイもある。思いっきり小さいから、調理のときにはいろんな場面で神経を使いそうだ。まあその。バックパッキングでは工夫して対応できるコトだが、さほど軽量化を徹底する必要もないバイク旅では、頑丈で安定する「EPI」を使い続けるとしよう。要はTPO、ひとつで何でもまかなう・済ます時代は保守派のワタシですら終わりを告げた、そんなムード。ええ。そう考え直してみよう。

ところで、TPOというコトバで思い出したエピソードがある。突き詰めた「ウルトラライト」も諸刃の剣、そういう記録だ。
http://odboxannex.exblog.jp/5991598/
外野はナンボでもコメントできるが、さて自分がその立場で現場にいたら、どう対処しただろう。「イケんじゃねーの?」なーんて軽く考えてヒドい目に遭いそうではあるナ、ワシは(汁 こういった先達(筆者・土屋氏はこの世界のカリスマ)でもハマってしまう落とし穴。やっぱり「山」は怖い。また、そこに深みと楽しみがある。

ともかく、ソロ用のストーブなんか20年ぶりに買ったんだから、死ぬまで(もう十分に射程圏内のフレーズですが何かw)大事に使っていこう。前篇のコメント欄、なま氏がくれたアドバイスを受けて都会の夕陽に誓うコトは、コレだな。

「スパゲッティとラーメンは、ふきこぼさない。絶対に」。

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炸裂した(前篇)

2008/03/17(月) 20:53:09

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ワタシのショッピング魂が(w
いやその。えんえんと悩んだ末にキヨミズったワケで。ええ。こんな程度だけどサ。

週末は、家族で千葉ニュータウンにあるモール「BIGHOP」へと出かけた。ワタシはオープン直後に行ってから半年ぶりの再訪になる。もちろん用があるショップとは、「WILD1」のみ。もう、ウンウン唸りまくった。そうして画像のブツたちを手にレジへ並んだのは、入店からおよそ100分後(汁

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今回の買いものは、つまりバックパッキングを想定しての装備のリフレッシュというニュアンスになった。「チタンカトラリーFS」は、「ユニフレーム」のフォールディングできるチタン製フォークおよびスプーンと一騎打ちとなり、およそ20分は悩んでいた(w 野宿と違ってごくシンプルなメシ内容になるであろう「山」では、箸も不要かな。つまり軽いブキにしたい。とはいえ「スポーク」なんつー不便なブツには手を出したくない。二つ折りになるユニフレのギミックにココロ打たれたワタシだが、やっぱり2倍近い高価格、またシンプルな作りのほうが結局は愛用できると考えを改めた。カタチもちょっとユニークだし。長らく野宿で使っているのが米軍制式のステンレス製で、デカいのはブキとして良いのだが重いからね。コレはセットで35㌘。

「ナルゲン厨」を自負するワタシが久しぶりに実力を発揮した水筒(500cc)は、1,260円。とはいえ水を入れるために買ったのではナイ。コイツにはご覧のパスタを真ん中から折って入れ、麺のコンテナとして使用するのだ。しばらくは「サラスパ」にハマったワタシだが、アレはつるつるしすぎでイマイチ満腹感がナイんだ(汁 うで時間が5分とは、燃料消費の点でもセーフと言える「短さ」だと考える。バックパッキングのときは、重いうえにメンドーな銀シャリ炊飯をしたくない。3日間くらいなら朝晩のメシはすべてスパゲッティでもワタシはOK。いやその、たぶん(w 味を変えながらネ。あるいはマカロニを織り交ぜながら。コメとか麺を持ち歩くのに、広口の500ペットボトルを使うアイデアはグッドなのだが、ペットボトルなんてビンボー臭いからキライなんだヨ、ワタシはサ。

さて、ハナシは20年ぶりに新調したソロ用のガスストーブについて、だ。コレは「PRIMUS」の「P-113 スーパーマイクロメッシュバーナー3」。名前が長いが、まあその。こういう立派な型番とかペットネームがついた製品を買いたかったのだ。いやその。もちろんソレはジョークで、小さく軽い上に点火装置つきのガス・ストーブを、ゆるく物色し続けてきていた。そんなワタシに、4,284円というバーゲン・プライス。定価は7千円超、実勢価格でも5千円を下回るネットショップは無いから、良い買いものだった。決心するには30分を要したけどナ。
http://www.iwatani-primus.co.jp/products/primus/primus_p113.html
じつは、ワタシのサバゲの友「T」氏が昨夏に「P-113」を買ったのだが、そのとき野宿とサバゲの友「なま」氏がこのストーブについて披露したコメントに、ワタシはココロ動かされていたのだ。それは、こんな内容だった。

>P113は重くないです。点火装置付で76gは世界最軽量。
>何が良いって2300kcalと出力は控えめ(十分ですが)だけど、ガス消費も
>150g/hと控えめなんですよ。
>コレが高出力だからなんて調子に乗ってP153とかにすると245g/hとか、
>信じがたいガス消費率になっちゃうんです。
>P113は真剣に軽量化を考える通が使うストーブだと思いますね。
>実はわたしもP113使ってますが、わたしの場合は安売りされてたので
>買っただけだったりしますが。W

最後のクダリは、なま氏のご謙遜であろう。だって氏は89ケもの各種ストーブと73ケもの各種ランタンを持っているお大尽であるからネ(w 守備範囲のモノに対する造詣はディープかつスルドい。そのときワタシのウロコがパラパラ落ちたのは、ガス・ストーブにも「燃費」という概念が存在するのだ!という事実だ。いやその。思い至らなかったのだ。



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グッときた。

2008/03/15(土) 23:57:26

【2010年1月17日】
あれから、ちょうど15年とのこと。少しブラッシュ・アップします。

この琴線にピンピン響く2ちゃんエピソードを紹介するために、記事を立てよう。いやその。エントリー数かせぎの埋め草ってワケではナイよ。超ピンポイント引用をしつつ、ラード的に「阪神大震災」を語ります。
その1
その2

そして、その3 
「泣ける2ちゃんねる」系のネタ。

阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。

阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。

夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。

「 あ り が と う  は ん き ゅ う で ん し ゃ 」

運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。

ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。

以上です。コピペによって語り継がれている泣ける話だが、最後の2行は追加・改変されているムード。おそらく中越地震のときのバージョンだと思われる。上記のエピソードが、誰か知らん「名無し」さんの実体験だとすれば、それはこのサイトによれば震災から5ヵ月後、6月12日の出来事のようだ。

匿名掲示板である「2ちゃんねる」とは面白いもので、おおかたのヒトがイメージする通りの煽りや誹謗のカキコがはびこる反面、ごく一部では、こういったムネを打つおハナシが集まる場所があるワケだ。まあ、事実かどうかは定かではナイけれど(w 
しかし、よしんばこれらが創作であったとしても、ワタシを感動させてくれる「ネタ」つまりエピソードであることに変わりはない。語り継がれていく日本の「良心」ではないかとワタシは考えている。そして、記名では赤面して書きこめないようなネタでも、匿名掲示板だから披露できちゃうという利点もあるのではないか。まとめサイトを貼っておこう。

「2ちゃん」発のネタで書籍化やら映画化やらTVドラマ化したパイオニアは「電車男」だが、しかしあの長篇に比べれば、コチラは草の根マインド満載の掌編ばかりで、自分好みのエピソードを読み進めながら見つけるといった楽しみも。語弊があるかも知れないが、あえて言えば敬虔なキモチで「聖書」をひもとく、そんなムード(w

この阪急電車のネタを最初に読んだ後で思い出したのが、浅田次郎氏の小説「鉄道員(ぽっぽや)」だ。10数年前、ワタシはあの短篇を帰宅途中の京葉線で読んでしまったのだ。下車駅に着くまでに読み終えたワケだが、あの物語の「ツボ」部分、お分かりですよね? シートに腰掛けていたワタシだが、けっこう混雑して前にヒトが立っていた状態で助かった。ボロ泣きしたもんでネ。

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神戸には、ワタシは大震災の起こる2年ちょっと前までの5年半、住んでいた。その間に時代はバブルに突入して、そしてハジケていった。当初から女と暮らせるであろう広さの2DKをチョイスした識見はスルドい(w 3階建て12戸の1階のカド部屋。けっこう壁が薄くてオトが漏れたから「軽量鉄骨なのかネ」なんて思っていたのだが、退去時に家主に確認したら、ちゃんと鉄筋のマンションだった。入居時の家賃は7万円で、その後に7万3千円に値上がった。ところが退去のとき「いくらでこの部屋を貸すのか」と聞いて、ちょっと驚いたものだ。そのとき築6年を経ていたその部屋は9万円で貸すとのこと。これが当時の関西の物価推移というコトだろう。

ハナシが少し前後する。大震災が起きてから1年後の冬のこと、大阪支社時代によく遊んだ同期のヤツが出張がてら、思い出多き阪神間エリアを回って地震後の様子を見てきたことがあった。そのとき、ワタシが住んだマンションを撮影したスナップをもらった。そうして改めてビックリした。その建物自体は、まあキチンと建っている。しかしわが部屋の前に鎮座して日当たりをジャマしていた大きな和風の一軒家は、きれいな更地なのだ(汁 その手前にあった何軒もの家々も取っぱらわれて更地で、その写真を見たときに覚えた違和感とは、すなわちその撮影場所からわがマンションは、以前は見えるワケなかったからなのだ。

そのマンション右側には、壁を挟んで築30年以上に違いない木造モルタル2階建ての長屋のようなボロアパートが隣接していたのだが、もちろん写真には跡形も無い。幽霊物件などではなく、ちゃんと人びとが生活していたそのアパートなんか、一瞬でペチャっと潰されたに違いない。死者とか出たのだろうな(汁 阿鼻叫喚だったのかな。もしワタシとヨメが住んでいたときにこの地震に遭遇したら、はたしてどうなったのだろうと話し合ったものだ。建物はつぶれなくても、デカい嫁入り道具のタンス2棹が高速で倒れてきて、圧死はしないかも知れないが、蓑虫のように身動きがとれなくてヒドイ目に遭ったに違いない。
そのマンション、最寄りの駅は阪神電車の芦屋だったが、住所上では神戸市東灘区深江で、国道2号と43号という大動脈に挟まれた住宅街だった。古くからの住宅街だったから、倒壊の被害は多かったハズだ。そして画像の高速道路がひっくり返った有名な場所は、そう、マンションから1kmも離れちゃいない。阪神高速の出入り口があったあたりで、よく白バイが張っていたっけ。

有名なそのときの宿直の様子
7分間も伝える米国内でのニュース

阪神大震災が起きるまで、今では笑っちまうハナシなのだが、関西のヒトたちは「関西では地震は起きない」という信念を持っていたのだ。「え。地震? ないねん、こっちは」(w この際、イントネーションは「い」と「こ」を強調して読んでいただきたい。ともかく皆が皆、そんなレベルだったのは確かだ。別のエピソードで、こんなのがある。ある出版社のオジサンが出張で東京本社に行った。そのとき、たまたま震度3程度の地震が発生した。おや、けっこう揺れるネ、なんて関東人が感想を言いつつフト気づいたら、そのオジサン、まるで避難マニュアルに描いてあるよーに、デスクの下にアタマ抱えてもぐりこんでいたとか何とか。
すでに神戸を離れてから16年がたった。当時のワタシは独身の遊び盛りで、オマケに時代はバブルで、そりゃあ思い出はたくさんある。モノ、コト、ヒトに。でも、この震災によって記憶が分断されてしまった気がしてならない。再訪するキモチが起きないのだ。それが残念だ。


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ケムリの行方(4)「マイ・タバコ・ヒストリー 番外篇」 集めたモノたち

2008/03/04(火) 15:45:04

次はタバコについての番外篇をお届けしよう。喫煙グッズとか、それらコレクションにまつわる考えかたを含めたアレコレです。いつもハナシが長くなる。ああっと。番外の前篇、でありマス(w

先日、ヨメがキッチンの天袋を片付けていて、あるハコからドッサリ出てきたのが、マッチだった。保管しておいたコトを忘れて久しかった。「ただちに捨てよ」と厳命が下ったのだが、どれも古いもので、そのころの情景などがビシバシ思い出されたワタシ、思わず知らず「おもひで」にひたってしまったのだった。

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昭和の終わりごろ、どんな場所でも誰の前でも遠慮会釈なくバシバシ喫煙していた「芦屋」に住む独身のワタシは、ちょっと考えた。ああ。住所表記では神戸市東灘区ですが。マンション名に「芦屋」と誇大表記されていたのだ(w もちろん世間的にもラード的にもバブリーな時代で、クリスマスには3年連続でティファニー製品を違う女性にプレゼントしたり、バイクを3台所有したり、彼女をウチへ呼ぶためにラブソファ(たしかそんな名前だったw)だのバーカウンター・セットだのを買ったり、なんつーオロカな行いをしていた。
カッコつけるには、100円ライターなんかじゃイカンのではないか。シブくキメるには小道具が必要ではないかと、そう考えた。で、タバコはマッチで火をつけることにしてみた。思い描いてもみよ、その着火動作の煩雑さを。そうして、それがビシッとキマったときの美しさを。あくまで自分のスガタを美化しまくっている事実は、ヨコに置いといてだ(w

まず、セブンスターをクチにくわえる。このときの位置は唇の中央ではなく、少し左オフセットで。左手の親指と中指で持った箱マッチを、人差し指で中箱を手前にスライドさせて開ける。このときマッチの「頭」が手前にくるよう、また箱のヤスリは右側に見えるように普段からセッティングしておくのが望ましい。さて、右手親指と中指でマッチをつまみ、1本取り出す。あくまで優雅に(w で、親指で中箱を押し戻しつつ長辺を指2本と1本にして持ち替える。右手親指・人差し指・中指でシッカリ保持した1本を、「やすり」の手前10㌢で仰角30度の位置から思いきりよく振りぬく。周囲に風が吹く場合なら、さらに手間が増える。着火したマッチを右手親指と人差し指に持ちかえ、左手(相かわらずマッチ箱もつまんでいる状態なのが高等技術を要す)および右手を美しいボウル状の風よけにカタチ作りながら火を絶やさぬよう養生しつつ、顔を近づけてタバコに火をともす。この際、あくまで手の位置は動かさずに首を近づけて着火するべく心がけたい。無事にタバコに火が入れられたら最初のひとクチを大きく吸いこむ前に、右手のスナップを効かせつつ上からマッチ棒をエレガントかつ勢い良く振り抜いて、1発で消火させる。

文字にするとココまで精密な諸動作を要するマッチで着火の儀、最高。シブいだろ(w さらに言うとブックマッチの場合は。いやいや。もう、ヤメておこう。コチラの方が、より繊細さを要求されるから流れるようにこなせば「粋」だけど、モノとしては非常用という印象があるのは否めないよね。

さて、上の画像のマッチについて述べてみようか。「パイプ印」は国産の汎用品だが、ワタシには馴染みだったのとデザインがイケているので使った、のだと思う。徳用の大箱は昔なつかしノスタルジーから。コミック「三丁目の夕日」でも各家庭の台所に常備された記号的な道具で描かれている。とにかく使いでがある(w メーカーは「ダイドー」といい、ググると現在も営業中の模様で、なんの因果か神戸に本社があるのだ。
「OHIO BLUETIP MATCHES」は神戸・三宮の「東急ハンズ」で好んで買っていたもの。昭和末期で8個パックが300円か。消費税も無かった時代だ。コレはいわゆるロウマッチで、長くアメリカで愛用されてきた。ほら。カウボーイがブーツのカカトでシュッと擦る、アレですよ。実際は、あんなカンタンに着火できないワケだが。でも、この涼しげなアメリカン・デザインと多少のプレミアム性、しかしドトーのウンチクが加わって、ああ。あの美しい5年間ほどは彼女を切らしたことが無いワタシなのだった。ま、ハナシ半分ですから念のため(w 現在でもフツーに着火できるこのオハイオ・マッチは、知らぬうちにデッドストック品になってしまったらしい。悲しいかな、時代は流れる。
http://www.nostalgia.co.jp/matchlab/info_world.html

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これらもキッチンから発掘されたモノ(のごく一部)で、飲食店系のマッチを並べてみた。収集時期は先にも述べたように20年前後の昔のこと。エリアは関西がメイン。面白がりつつ解説を少々(w マッチのカタチはご覧のように箱入りとブック型に大別され、あとは大きさと各店のデザインで千差万別というワケだ。ブックマッチもヤスリ面の位置違いがある。
真ん中の「ジョリー・ロジャー」は、1990年だかにワイキキで入店したカフェバーではなかったか。恐ろしいことに、ある出版社の招待で、アゴ・アシ・マクラと日々のこづかいまで頂戴したバブル時代のタマモノ的旅行。当時はかの禁煙大国でも名入りマッチを常備する余裕があったのですナ。しかし3年ほど前からは、米国圏へ渡航する際、ヒコーキへのいかなるライターと箱マッチの持ち込みが禁止されたのだそうだ。さあ、スモーカー。もうワイハも逝けないね(w

左上の「珈琲ん」は、神戸のたしかトア・ロードにあった店。大ファンだった筒井康隆氏のエッセイ集「狂気の沙汰も金次第」だったかに書かれたエピソードがあったのだ。電話帳で「ん」で始まる店など無いから目立つぞ、なんて書いたらホントにそんな店を開いたヤツが出たとかナントカ。店の印象は何ひとつ記憶に残っていないけど。
妙に小っこいマッチは「マンドリーノ」という神戸の喫茶店だったようだ。しかしコイツは、ウケねらいかっての(w 軸の長さは2㌢弱だもんね、楽しいけど。
右下の「草泊り」は九州・阿蘇の「やまなみハイウェイ」というパラダイス・ロードの近くにあった民芸調レストラン。新婚のGWにヨメとオンロード・バイク「ゼファー」の2ケツで旅したとき、お昼を喰った。各テーブル代わりの囲炉裏で焼く地の食材が豊富で美味かった。平成の初めにあっては斬新な店舗スタイルだったし、なにより立地が素晴らしかったから今でも印象的なのだ。

右上の「カナダ館」と「ドライブインなぎさ」は高知県の店。「なぎさ」は土佐清水市と書いてあり、それがドコにあるか今ではオボロなので調べたら、足摺岬の根元にあった。ワタシは平成元年から5回くらい、四国を旅した。もちろん「ナチュラルツーリング」の記事などにカブレて訪ねたワケだが、言っちゃなんだが20年前の四国各地なんざ観光地としてはクソで、ところが林道野宿ツーリングをするには桃源郷なのだった。今も鮮烈な印象が残る最初の四国林道旅、GWの7日間では四万十川の河原で、同じくバイク旅のヤングたちと意気投合、川エビを獲って茹でて喰ったり、「楽しんでください、四国の道を」なんてカッコいいフレーズを別れ際に言う4駆乗りに感心したり。山中で立ち止まって地図を確認していたら声をかけられたワケで、そのヒトは「ツールド・ブルー・アイランド」という四国を舞台にした現在も続く大規模なラリー・レイドのスタッフで、ちょうど第1回目のレースを実施中だったのだ。帰宅してから知ったコトだけどね(w

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お次はホテル・旅館の思い出ぽろぽろ。もちろん宿泊記念だから状態もきれいだ。上の「オクマ・リゾート」はケッコン前のヨメと夏に訪ねたが、ファミリーだらけでゲンナリ。左上の「メリディアン・パシフィック」は新婚初夜を過ごしたところ。左下の「ANAゴールドコースト」はハネムーンの2ケ所目の場所。ビーチはトップレスだらけで、ひとりコーフン(w ピンクのブックマッチはもちろんワイキキの「ロイヤル・ハワイアン」で、夫婦で宿泊した最高クラスだな。もはや有りえない(汁 日に3度もベッドメイクが入る鬼ホスピタリティに感心したものだ。その下に「シェラトン・マウイ」ってのがあるが、これはヨメが臨月のとき、ある出版社の招待旅行で、3泊5日。ヨメが苦しんでいるころ、体験ダイビングやらホエール・ウォッチングで遊び倒していた(w

「宇奈月グランド」は20年前の夏、かつて記事にした「K」さんの遭難事件で会社の捜索隊本部が置かれたホテル。豪華なメシが喰い放題、ではあった。
右の「運龍」は伊豆にある高級旅館で、千葉にマンションを買うまでは何回か通った素晴らしいところ。なんたって裏に山ひとつ所有していて、山頂までワイルドな花の散策路をこさえているほど。数年は盆暮れに地どりのいろんな作物を贈ってきたっけ。ま、不動産のローン・レンジャーとなると失うモノが多いってこった。

中央のブックマッチは道東の「チミケップ・ホテル」。独身の野宿旅人時代にキャンプしたチミケップ湖畔に建つ北欧調の瀟洒なホテルで、ワタシの憧れとなった。それから6年後、ムスメが1歳児の夏にマイカーで北海道ツーリングをしたとき、ようやく宿泊できたのだが、なんか夢想していた通りの最高のホスピタリティを受けた。忘れられない家族の記憶だ。
さて、赤いヤツは南房総の「アクシオン館山」というコスタ・デルソル・ムードの高級リゾートホテル。ある夏、ココのハート型屋外プール(の水)でヒドイ目に遭遇した。少し疲れ気味だったワタシ、千葉まで帰宅ドライブ中に左耳の奥がギンギンと痛くなり始めた。そうして覗いた館山市内の耳鼻科は大混雑であるという「運命」(w 諦めて何とかガマンししつつ自宅に戻ったのだが、それから一晩中、万力で「ウメボシ」(分かりますね?)されている状態で一睡もできずにシクシク泣き続けた。これ、たまたま鼻からウイルスが入って中耳炎を発症したとのコト(2軒目のお医者から「バッドラックでしたね」と言われて、ようやく癒された。ひるがえって最初のヤブ医者はモノも言わずにコネくり回しやがった)なのだが、それが分かる数日後までは不安でもあって、忘れられない真夏の悪夢だ(汁

ア・ラ・カルトTB:0CM:0
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