ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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ラード

Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

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夏の最後の日

2009/08/31(月) 23:47:08

北アの山旅で自己マンゾクしちまって、ナニもしなかった8月がこうして終わっていく。
とりとめもない記事になるかも知れないが、これから書きだすネタの予告篇を含めて、3題バナシで進めてみましょう。

まずは、去りゆく夏に捧ぐ歌をお聴きいただきながら、読んでほしい。「夏の幻影夏の幻影」。
コレ、もちろんあの至高のアイドルです。「ラード的音楽の旅路」で、どんなキリクチでも紹介できるほど今では「ようつべ」がうpされまくった。グッジョブ。さて、どうまとめようか。ゆるーくご期待ください。1985年の、これは尾崎亜美の名曲です。GOひろみとケッコンするのかしないのかヤキモキさせられた時期の、しかし円熟の歌唱。好き好き(w

最後の週末、土曜はいつものビーチに歩いて出かけた。甲羅干しにね。手には鴨下信一著「ユリ・ゲラーがやってきた」(文春新書)。副題が「40年代の昭和」といい、しかしユリゲラーのハナシはマッタク登場しない詐欺のような内容(w 

閑話休題。ちなみに今(8月31日)、「スマスマ」の番組内でユリゲラー御大が出演しておりますが、コレもマッタク当記事のネタとは関係ないです。ああ。でも氏がオカルト・ネタで大評判を取っていたのは「中3」当時のワタシ、良く覚えている。とくに「スマスマ」でもやった、止まってしまった腕時計を念力で動かすパフォーマンス、氏が視聴者に向かってTV越しに念を送ると、ワタシが持っていた父親の動かぬ機械式(そのころクオーツ時計なんて誰も持っていなかった)ウォッチが、「おわーっ。動いたッ」と叫んだ35年前。
まあその。止まった機械式時計なんて内部のオイルが固形化しているだけで、ぎゅっとソイツを握り続ければ温まって蘇生する、そんな実もフタもロマンもない「からくり」らしいですけどネ、じつは(w

さておき、では何のための本かと言うと、参考書なのだ。かれこれ2年は温め続けている個人史的ネタ、つまり1973年あたりの歌謡曲と、急速に反動化・軟弱化したカルチャーについて、ワタシが感じた違和感を書くための資料ってワケです。あの時代、雑誌やレコードジャケットなどで必ず目にした「ある活字書体」を中心に述べていく予定だ。期待もせずにお待ち願います。
そして「ユリゲラー」を読了。参考になった。TBSのプロデューサーであった氏が、「昭和40年代は正しい日本が喪失した10年」であると、映画、テレビ、歌謡曲や事件から分かりやすく解き明かすという内容です。しかし、男女アイドル歌手がビシバシ湧き出た理由と背景などには触れていないのが不満ではある。

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さて、8月最大のラード的収穫はコイツ、「あわあわソーダ」だ。近所の安普請な食品スーパー「つるかめ」でコレを発見したときは「おおおっ」と虚空に吼えました。棚にはこの2種類が並んでおり、迷わず2つともゲット。210円也。
この粉末ソーダ、ワタシが何回かご紹介してきた山岳部時代の楽しい夏の息抜き、「イカポン」の素、なのです。ついに見つけた。

ところで、次の曲をどうぞ。遊佐未森の「潮見表」。
このヒトのファン歴も、じつはけっこう長い。昭和の終わりくらいからだ。大阪にいたとき、コンサートも観にいきました。作品のトーンはメルヘン調の前期から写実風・私小説ムードへと大きく変わったが、ワタシはどれも好み。ただし最近の10年くらいは「好みのメロディー」から外れてきて残念なんですが、この歌は、1996年のラード的傑作アルバム「Roka」から。寂しくも温もりのあるイメージが素敵と思うんですが、いかが。彼女の隠れファンは多いハズなのだが、イマイチ動画がうpされない。虎視眈眈と記事にできる日をねらい続けています。

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「ユリゲラー」を読み終わってビーチから戻ったワタシ、さっそく電動カキ氷マシーンを久しぶりに引っぱりだして、シェラカップにブチかました。渇いたノドに、コイツは美味そうではないか。
とはいえ、「あわあわソーダ」は正統な子孫というワケではナイ。というのも愛用した「フルフル」はメーカーがツブレて廃番だからね。ただし、この製造元は「クラシエフーズ」だから昔の「カネボウ食品」の後継、生まれ変わりといっていい。ところが中身がパケ写にあるように発泡性が高いモノにアレンジを施してあり、そこが「あの味」とはイメージが異なっちまう。ま、気にしないでおこう。

昔、あれは稜線上のドコだったっけか、夏の午後、シオ吹いたカラダで汚れた残雪を取り巻くワシら。表面を削ってゴミを除け、この粉末をザバッとブチまけ、コップとブキを手に「それっ」と特攻して奪いあいガッツクという。「イカポン」、それはもう浅ましいイベントだった。そして間違いなくサイコーに美味いのだ。

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むーん。マシーン・メイドの氷じゃあ、ちょっと上品すぎるかナ。そもそもエアコンの効いた自宅じゃムードでないわな。いやその。30年前だって、20日間の夏山合宿などというハードで忍耐のイベント時でもなけりゃ、こんなの、喰いませんよ(w 

それ以前のワタシの少年時代でも、ワタナベ粉末ジュースは愛飲した記憶はあまり無い。小学低学年ののワタシに「プラッシー」とかコカコーラ、「コアップガラナ」といった瓶入りドリンクは高級品(ちなみに「オロナミンC」なんか最高級クラスw)でスルーだし、駄菓子屋のチューブ入りのヤツを飲んでいたのか。ちょっと記憶が乏しいが、「チクロ渦」でワタナベ製品が絶滅したときもショックは無かったワタシ。


最後にご紹介するのは、ちょっと趣を変えてこの曲、「ポーラスター」。
じつはコレ、「源流から岩稜へ」で何回も引き合いに出した1979年の夏、大学1年次の縦走合宿で実に印象的だった歌なのです。合宿では、「にいよん」つまり2時起きの4時デッパツで、ほとんどスープのないマルタイとか汁っけのないお茶漬けという劣悪な朝メシを喰いつつ、点けたAMラジオが「歌うヘッドライト」とか「走れ歌謡曲」なんつートラッカー向けの番組を聴かされていたワケ。
そんな中、新曲として紹介されたこの歌は、あれは「ゴタテ」の冷池だったか、夜明け前、静謐な高みの幕営地にこのクリア・ボイス。正しくベストマッチだと皆で深く感銘を受けたものだ。「おれたちの歌だ」、なんて(w そして未だに北極星がドレだか分からんのはナイショ。

先日のシリーズ記事では、露悪的に30年も昔のいろんなトピックス、いやらしいバリエーション・ネタを頻出させましたが、それはまあ、昔と現在を対比させながら述べるために意識してヤリました。なんだろう。「使用前・使用後」なんつーニュアンス、ですか(w あるいは昔の個人的体験というモノから決別して、新たな思い出をコレから作るため、だったのかも知れません。
世間もワタシもどんどん贅沢になっていって、「3丁目の夕日」当時には少年少女たち(どころか大人たちもだ)の愛飲ドリンクであった(ハズの)こんな商品、今ではひっそりと作られ売られているワケですが、こういうモノを山に持っていくという遊びゴコロは、ワタシは忘れたくはないなあ、などと思うのだ。

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源流から岩稜へ 8日目

2009/08/24(月) 18:06:29

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目が覚めたら、またまたテントを打つ雨音が。げんなり。まあ、どうせ下山日だ、もう知らんもんねとイジケつつ儀式を執り行う。え。ナニをするのかト。いやその。オリジナル・マルタイ棒ラーメンを学生のとき以来、久々に「山上」で喰うのです(w FD野菜を豊富にブチこんだ博多ラーメン、こいつは美味く仕上がりました。まあその。山岳部時代は水をほとんど使わずに数人分を煮たから、なんともヘドロチックなシロモノになっちまったワケで。30年ぶりの今、フツーにワシワシと喰いました。8日連続ラーメン朝食の儀、これにてミッション・コンプリート。

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ふと気づいたのだが、外が明るくなっているみたいです。ジッパーを開けると、うおっ。

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この山旅で、はじめてのご来光ではないですか。

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最終日の朝、ついにモルゲンロートが面前に。
あまりにもうれしいので、画像ペタペタでご紹介しちゃおう(w この日、朝焼けは4:54に始まりました。

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常念岳の向こうに、きっかり5:00、お出ましです。

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朝日に輝く奥穂高岳。右奥の影はジャンダルム。他のキャンパーに「出たよ~」と声をかけたんですが、気づかない模様。それにしても早起きは三文のトクだ。このスペクタクルな光景は20分ちょっと続きました。

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前穂北尾根に雲流れる。この旅で打ち続いた荒天もコレで帳消しだな、などと思いました。いや、このときはネ(w 

右上の前穂ピーク、ひとかたまりに見えますが、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ峰に小分け状態。その左の顕著な「Ⅳ峰」の間が、「3・4のコル」。いちばん左のピーク「Ⅵ峰」の右側が少し拓けた「5・6のコル」で、ココが涸沢のベースから「奥又白」方面の岩登りに出かけるときに通過する近道ポイントです。昔はこんな残雪レベルならピッケルのみで、アイゼン持っていくヤツなんかイモ。
あるとき、前穂東壁DフェースだかをやっつけてBCに帰還するとき、「3・4のコル」からグリセードをしたらネバー・ストップ状態になっちまった(w 雪渓がガッチガチで。この写真でも残雪が前穂ピークから一直線につながっていますね。このときよりは少なかったから、余計にヤバい。滑落停止ポーズをとってもマッタク止まれず、この高速のまま雪渓が切れた瓦礫ゾーンに突っこんで全身バラバラかッ。再び前へ向き直ったのだが、登山靴のつま先をピンと立てて制動をかけ続けているから雪しぶきで目が見えぬ。ひえええ。
結局、300㍍ほど滑り落ちて瓦礫帯にケツから突っこみました(この恐怖のシーンは今でも忘れられませんネ)が、当時のワタシはナゼか不死身につき無傷。ずいぶん後から後輩が下りてきて「スゴイっすねー」。「お、おう。お茶の子よ」なーんて返しつつも、ピッケルを握りしめていた両手指が開かない、そんな愉快な思い出の場所なんです。

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ところで、毎朝の儀式をどうすっか、考えました。というのもこのテン場は岩石を整地した場所があるだけで、トイレは何と「登り20分」の北穂小屋にあるのみ。ヤダ、そんなシンドイのは(汁 昔みたいにソコらへんでやる(昔は、ね)ワケにもいかず、コレはどうかと手にしたのが、医科向けのゲリ止め「フェロベリン」錠。じつにコイツが良い仕事をしてくれた。なんと上高地(8日ぶりのウォシュレット!)までキャリーオーバー。次回からは入るのもためらわれるような荒くれ便所にも、コレで対応していこう。さて、再びガスに包まれる中、デッパツは6:15。

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北穂南稜の岩尾根を涸沢に向けて下る。はるか下にヒュッテとテント村が望めます。

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「いつか、また」。去り行くワタシに、奥穂がステキな挨拶をしてくれた。

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とはいえ、南稜はキビシかった。昔はコイツを何回往復したコトか。これはクサリ場の下りですが、ありゃ。こんなトコあったっけ状態(汁

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このあたりまでは晴れていたんですけどネ。

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きょうは8月の初日、土曜日。登山者たちが陸続と登ってきます。ココは先にクサリ場をエイヤッと下らせてもらった場所。やりすごすのもタイヘンです。

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ミヤマキンバイ、可憐。

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ソンキョしながら力水、ではない(w 数日ぶりに天然の沢で顔を洗いました。そういえば、アタマをちょいと掻けばフケがボロボロ。うう。洗髪してえ(汁

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8:15、涸沢に到着。図ったように雨が降り出しました。涸沢小屋でオレンジジュース(400円!)を買う。コイツがしかし、美味いこと。甘さが舌に染みこむようです。飲み干す。それにしても残雪が多いですね。昨シーズンは山雪だったのだろうか。この場所は25年ぶりでした。

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雨具上下で、上高地に向けてデッパツ。やはり残雪が多いですね。この雪渓、こんな時期でも長さ1kmくらい残っていました。

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本谷橋、9:50着。なんつーんですかネ、この日が実質的な夏山開き、そんな印象を受けましたね(w 登山ツアーや涸沢キャンプが夢(・∀・)でした風ナチュブロ系ファミリーとか山ガールとかヤングなアベックとかが、引きも切らず。

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雨は止んだりまた降ったり。ずいぶん久しぶりに歩くフラットな林道です。雰囲気ヨシ。そういえば、いつの間にやら鼻水は止まり、痰もからまなくなっていたようだ。この日、北穂から上高地の標高差は、1600㍍。もう、この時点でヒザはカックンカックンです(w

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そうそう。「お天気のツンデレ」はココにも現れました。わが青春のターゲットのひとつ、屏風岩です。といっても1ルンゼと東壁雲稜の2本しか攀ってないけど。

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フシギなことに、この岩壁を望めるポイントだけ、一瞬ガスが切れて姿を見せてくれた。雲稜ルートって、ドコだったっけ。画像中央の顕著な「青白ハング」の少し右だったハズですが。ともあれ、いいものを見せてもらいました。

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10:55、横尾に到着。路傍にはヒメシャジンが慎ましい。

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徳沢から、しっかりした雨が降り出します。以降、上高地を発つときも、ずーっと雨。このあたりからはビニールカッパ姿のツアー観光客もビシバシ湧き出す。気の毒に。え。ワタシ? もうね、慣れっこdeath(w

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13:30、上高地にたどり着きました。しばらく様子を見ていたら小降りになったので、河童橋へ。お約束の一枚。

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バス時刻までは余裕ありまくり。昼メシにしよう。さあ、ワシに肉を喰わしてくれる食堂はドコだッ(w 橋の真横の「かっぱ食堂」なる工夫もないレストランに特攻。ロースカツ丼定食、1350円也。都会ならばボッタクリ料金と断じるこの値段にしてこのフツーな味、なんですがね。ところが…。
ナミダがでるほど、今のワタシにとっては美味かった(w ああ。肉汁のうま味がしみこむようだ。カツの衣がサクサクじゃんか。店の兄ちゃんに思わず「美味いです」と吼えてしまったもんね。文字どおり、噛みしめるように食べました。

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レストランから見下ろした河童橋。そういえば昔、3週間ぶりに見るスカートをはいた女性にコーフンしたっけね。今はもう、どうでもイイけれど。おっと。身だしなみを整えなくては。トイレで結果的に1枚で通してしまったツンパを初めて替え、股間等にベビーパウダーをバンバンまぶし、Tシャツも3枚目に。狭い個室内でゴソゴソ身もだえまくるワケ。トレッキングパンツから漂うサンキスト系の異臭には、ハッカスプレーを3プッシュして封じ込めました。ま、なんとかなるだろ(w こぎれいなこの食堂は、いま思い返すと美味いメシにありつけたコトもさりながら、超キモチよろしいウォシュレットが配備されていたカンドーのほうがデカいかも知れません。

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ラード的には初めてとなる場所「上高地バス・ターミナル」へ。ドシャ降り。新宿駅西口に直行する高速バス「さわやか信州号」、それもグリーンカー(8500円)を予約済み。まあその。くじけて途中キャンセルするコトもなく、とりあえずはミッション・コンプリートです。
ところが「グリーンカーすら残1席」で慌てふためいて予約したこのバス、この日の乗客数は「9名です」とのこと。は。なんですと?(汁 だったら料金6000円の普通車でもイケたかも知れんなあ。まあ、以前みたいに松本くんだりで中央本線に乗り換える手間なく新宿まで「1本!」ってのは、初体験のワシには絶頂ですよ(w 
やってきたバスがオンボロで一瞬アセりましたが、どうやら配車の都合から沢渡でデラックス号に乗り換えるらしい。予定をくり上げて、バスは15:50にデッパツ。

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これがデラックス・バスの室内です。右側2席、通路をはさんで左に1席という3列で、フル・リクライニングに毛布、スリッパ付き。わずか9名だから、ワタシも2席をゆったりと。こりゃあ天国だ。バスの運ちゃんが「科学者も首をかしげる今夏の上高地の荒天」についてイイワケをしていましたが、松本インターから高速に乗ったころ、北アルプスにおわす神は雲の切れ間に大きな虹を架けるという大ワザで、山で暮らしてきたワタシを祝福してくれました。

21時ちょっと前、新宿駅着。JRを乗り継いで、22:30に帰宅。
長い旅が終わった。

バックパッキングCM:24

源流から岩稜へ 7日目

2009/08/21(金) 12:57:52

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3:20、目覚めて外を見るとあたりは濃いガスでした。先生がチャイというモノを振舞ってくれる。甘くて美味いね、コレ。撤収中に霧雨が降り出す。うーむ。さて、これからどうする?と考えました。選択肢は3つ。ひとつは、もちろん予定を貫徹。あるいは槍沢を下って徳沢あたりでダラダラキャンプ。あるいはこの場でダラダラもう一泊か。
テント以外はザックにパッキングしましたが、そのままちょっと様子見と決めこむ。先生は双六に向かってデッパツして行き、昨日のデキゴトを「この旅いちばんの想い出」としてラクになっちゃおーよー、なんつー悪魔のささやきがアタマを渦巻く中、ちょっと周囲が明るくなった。それでワタシは立ち直りました。いやはや。 

晴れるかどうかなんざ、もはや関係ない。ミッション・コンプリートを果たすんだ。

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30分ほど遅れてしまって、デッパツは5:40。本日は大キレットを越えて、北穂のテン場で暮らします。ほかのキャンパーたちは誰もまだ撤収状態に入っていない。

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タカネヤハズハハコ、という名の花。よくよく登山道を気をつけながら歩いていると、楽しいもんですね。

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中岳手前に現れたハシゴ場。相かわらずクリーミーなガスが周囲を覆い、東風のせいかメガネの右レンズだけが濡れる。指でマメに拭くしかないですが。

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中岳と南岳の中間地点あたり。たいして登下降はないものの、こんな瓦礫累々の記憶に残らぬ稜線が続きました。槍の小屋泊まりの2パーティが先行していきます。
このあたりで、ところでワタシはこの記事の通しタイトルにした「源流から岩稜へ」というフレーズを思いついたんです。「おお。コレだ」「カッコよろしいじゃん」「一応、韻を踏んでるし」。まあその。ヒマなときは下らぬコトを考えるワケです(w

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南岳小屋が眼下に見えるころ、急にガスが取れ始めました。ヘタすりゃ雨の中でクサリにぶら下がったりしなきゃならんのかとゲンナリしていたんですが、ラッキー。なぜなら、大キレットは大学1年と2年次の夏に同じコースで歩いていますが、どちらも雨の中だったハズ。あ。やっぱり何ひとつ覚えていなかったですけど。まあ、それよりは楽しめるというか、濡れてるクサリなんかチビっちゃうもん、ワシ(汁

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7:55、南岳小屋着。20分間の大休止を取って、さあ、取りかかろう。再び装備はドライ化して食糧パックも残り1ケ、水は2.5㍑くらい持っているから、ザックは15Kg弱と身軽になっています。
ところがカラダが快調ではない。左のアバラが痛むんです。というのもこの前々日、双六までの巻道で、何かの拍子に左手に持つストックのグリップ先端がワキ腹にめりこんだ。「うぐっ」。医科向け軟膏「インテバン」をヌリヌリしても、どんどん左アバラ下部の痛みが強くなってきたのです。ちなみに半月以上たった現在も、まだ少し痛い。折れてたらこんなレベルで済むハズはなかったろうし、いったい何なのだ。

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「大キレット」という場所は、その距離は1200㍍程度です。ただしその内容が、まず280㍍ほど崖を下り、ナイフリッジを越え、最後はガレガレの崖を350㍍くらい這い上がって北穂山頂に出る、というもの。槍の穂先よりは長くて厳しく、スリルもありますね。で、ココから下りがスタート。ストックはザックに括りつけました。

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これは下降途中でルートを見返した写真。白ペンキの○印や矢印が見えますね。どえらい傾斜ですが、下りだからラク。ともかく岩につまづかないように気をつけます。

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画像右上が最低コル。このとき、早くも反対方向からクサリをワシワシ登ってくるソロの男性に会いました。この日、逆方向へ進むヒトに会ったのは彼だけ。お互いに早立ちはトクってもんです。

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崖を下りきったところ。岩の堆積の向こうに「長谷川ピーク」、いま調べると(w そのピークの頂点から下りが、難所その1というワケです。いま振り返ると。その先、ガスに隠れた北穂高岳のピークへと崖登りが待っています。

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大キレットの最低コル、9:15着。ルートを振り返っています。中央が「獅子鼻」というピークで、そのスグ左から下ってきた。真正面から写真に写すと垂壁に見えちゃいますね(w

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このとき、一瞬だけ、これから進む方向のガスが切れました。北穂のピークの右、ガスがかかっているあたりが「滝谷」の岩場(のごく一部)。尾根左側がスッパリ切れ落ちているのが分かりますね。じつは右側も同様のスリリングなナイフエッジなんです。

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いま考えると、ガスが濃かったから高度感ビシバシな足元を見ずにすんだ、とも言えるナ(w これは長谷川ピーク前半を超えたところ、かと。ともかく、カラダがグラッときて瞬時に立て直す反射神経が衰えているのを自覚しているワタシ、前につまづくコトだけは全力で気をつけました。「足を上げろ。擦るな」。振り返ると、ある後続パーティが結構なスピードで追いついて来ています。

【追記:2010年1月】
大キレット越えの動画、いくつも「うp」されているコトを今さら発見。ただし岩稜を歩きながらの片手撮影で、ヨッパらいそうなヤツばっか(w いちばん穏便なものを貼りましょう。左右のキッパリ切れ落ち感は十分なのだが、登下降の高低差ってのは、スチール同様にイマイチ伝わらんものなんですねえ。

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進行方向に現れたコイツには、「え。なんじゃコレ」。不安定なスタンスで撮影をしています。ココが、すなわち長谷川ピークの核心部でした。遠近感があって分かりづらいでしょうが、このクサリ、ど太いもの。5㍍ほど先で左からリッジを乗り越えて右に移動し、クライムダウンしていきます。「ほひー。ケツがスースーするのう」。まあその。濡れていたり風が吹いていたら、こりゃ「オッカネー…」はず、今のワタシにとっては。

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それを下りきって、見返したところ。クライムダウンを始めた後続パーティ。彼らは女性も含めたキムチの国から来た登山ツアーのグループ、10名強です。在日ではなく、登山旅行のためにはるばる来日しているらしい。リッチだ。だって結構な費用のハズですよ。日本語の話せるアルパイン・ガイドが2名くらい、要所ではアンザイレンしてスタカットにしていた。よく見ると、客はオスプレーの今年モデル「アトモス50」など道具立てもいい。この北ア登山ツアー、近ごろ流行っているらしい。団塊ジジババの多さでもビックリしているワシには、これまたハードルの高い「最新ニッポン登山情勢」です(w 

メンドーだから直接的なコトのみ述べます。ワタシ、ともかく彼らに追いつかれるコトだけは避けたかった。小屋泊まり仕様だから、歩行ペースがワシよりは少し速い。しかし大人数だから悪場を突破するときは時間がかかる、すなわちいったん追い越されたら一団化しちまう。そりゃあ勘弁だ。何より五月蠅い。きゃつら、昨晩19時過ぎにもテン場の横まで出歩いてきてガアガア叫んでいたし。ましてマナーやモラルがとかくクイヒーな傍若無人っぷり、だかんな(要ご参照)。この旅で見かけたジャンキーチックな高校生なんかとは異次元レベルの怒りに苛まれるかもだ。
まあその。ワキ腹痛いわ両ヒザもシンドいわ、そんなワタシのバッド・コンディションでも踏ん張るモチベーションになってくれたコトには、感謝の意を捧げようか(w

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緊張する場所を越えて、「A沢のコル」という休憩適地は、10:15に通過。ソコから腐り気味の急な壁をガシガシ登ります。このルートは壁の弱点を右へ左へ巧みにつないでいて、感心できますね。しかしラクを出さぬよう、要注意。画像は登って来たほうを見下ろしていて、ガスに隠れた画像右上が長谷川ピーク。そして後続のキムチーズがA沢のコルに集結しています。
30年前、雨の大キレット越えのとき、皆でエスパースのフライシートをすっぽりかぶってレーションを喰ったというシーンは、おそらくこのコルだったワケでしょう。やはりフラッシュバックは無かったけれど。

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なんか陰険なムードのピナクルが現れましたよ。ラード的には、マント姿の怪人か。気分は「ローンブロゾー 」。

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盛りあがってるワシ(w このピナクルが、つまり「飛騨泣き」のスタート地点だったようです。クサリではなく、ぶっとい釘が出だしのホールドとして数本打ちこんである。ソレが無けりゃ登れないレベルです。それにしてもケツがスースー(汁 
様子は見えなかったものの、その核心部でキムチーズの女性客が落ちたらしい。短い叫びとガイドらしき男の「OK」という声が。ザイルで止めた、そんなムードでした。

【追記:2010年1月】
これはワタシの背後のピナクル基部、レディースがザイルにぶら下がった「飛騨泣き」の核心部を先に乗越したヒトが、後続を撮りおろした動画。なんかモッサリと登っているけれど、考えてみたら泣き言もいわずにクサリを攀じてくるオバサンは、断じて立派だ。そのゴチャゴチャくくり付けたザックには一言いいたいけど(w

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このあたりがナイフエッジのフィニッシュ・ワークかな。大キレット、いまもよく死者を出しているようですね。そんな記事には、たいてい滑落というコトバが使われますが、どちらかと言えば「転落」ではないかと。スリップダウンよりはコケて落ちる方が多いと思う。

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こんな岩壁にもコイワカガミが一所懸命に咲いています。

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悪場が終わると、あとは崖登りがガンガン続きます。再び空気が薄いコトを実感できるアルバイトが連発。それにしてもコレ、逆方向に進む(つまり北穂から最初の下り場面)ヒトはオッカネーだろうな。「獅子鼻」からの下降より急傾斜で、ガレガレで、クサリなどの補助手段も少ない、そんなムード。
北穂周辺の岩ってのは、腐っているのだ。もろいんです。今では滝谷で登攀禁止のアルパイン・ルートが多いらしい。ワタシもその昔、第1尾根だかドーム西壁だかで、手で叩いてOKと判断したガバ・ホールドが体重をかけようとしたときボッコリひと抱えも抜け落ちて、危うく「岩の墓場」の藻屑と消えかけるヤバい体験がありました。さらに腐り度が進行しているのかも。

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11:45、北穂高小屋着。はあ、くたびれた。ココもオーストラリア人っぽいギャルが売店に立っていました。キャンプの受付けをし、水を2㍑(400円)とカンビール(500円)を購入。テラスのテーブルでザックを整理していると、キムチーズがドヤドヤと上がって来ました。で、ワタシが座っていたベンチをメンズキムチが取っちゃうというステキな振る舞い。マッタク(w その後の対応と感想は、メンドーなので省きます。

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北穂のテン場も小屋から遠く、15分くらい下った所にあります。12:15着。またもや到着する直前に小雨が降り始める。マッタク(汁 ココも吹きさらし、風対策は入念にやらないと。小石が敷き詰められたこのサイトですが、注意ぶかく背中あたりの石をならせば浸水するコト無くじつは快適に寝られるんです。

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装備を片付けて、カンパイ。ちょっと周辺のガスが薄くなった。ガンバレガンバレ。

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素手で岩のエッジとかクサリを握りしめていたからマッカッカになったワタシの指。その後、10日間ほど、両手の指の皮がササクレて剥け続けました。ヤワになったもんだ。
そういえば、クライマーが1組、小屋のテラスに休憩していた。まあ、こんな天気の中で攀るヤツはいないでしょうが、テン場にもクライマーがいないんですよ。ワタシがココに到着したとき、テン場はカラ。「岩の殿堂」滝谷の喧騒も今は昔ってワケでしょうか。

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14時くらいから本格的な雨降りになりました。まあその。行動中ではなかったのが救いってモンか。風は吹かないしヒドイ状況ではない。相も変わらず「au」ケータイは電波が入らんが(w フライを打つ雨音の中、甲府のFM放送を聴いていたとき「ハタ!」とひらめいた。この雨水を集めよう。結局、600ccくらいプラティパスに汲みました。5分間ほど煮沸して、夕食用に使ったんだっけか。

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この旅で最後の山メシ。豚味噌ジャージャンぶっかけ五目ごはん、おじゃこ付きサラダとオニオン・スープ。食欲はやはりなく、カルパスは喰わず。アーリータイムズは最後の100ml弱を飲みきりました。ちょっとキモチよくなるくらいで終わる、毎夕、そんなレベル。高所ではサケが回りやすいから気をつけないといけませんが、次回の酒量は一日130ml平均に設定する他あるまい(w

メシを喰い終わったのが18時、くらいでしたか。ふと気づいた。外が静かだ。フライをめくると、おお。なんてこった。夕景色が展開しているではないですか。グッジョブ。

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いつの間にかテントが2張追加。皆、外にまろび出てきた。

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前穂北尾根がチラッと見えます。このときです、「お天気のツンデレ」という神の采配をワタシが実感したのは(w

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天気が良ければ滝谷の岩場、ドーム壁くらいは見える場所に行きたいと思っていたのだが、結局、ナニもできずでした。就寝は19時くらい。けっこう寒い。フル装備(+シュラフカバー+靴下+ベスト)で横になったが、それでも夜半、寒さで3度ほど目が覚めました。

バックパッキングCM:7

源流から岩稜へ 6日目

2009/08/18(火) 18:04:31

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それでも何でも朝はやって来る。4:10、10㍍ほど離れた高校パーティの絶叫的な話し声に目が覚めた。寝過ごすトコだった。サンクス(w いやその。昨日の昼すぎ、他にナンボでも張る場所が余ってるクセして、きゃつらはワタシの真横に張ろうとしたワケです。全員が絶叫調で会話するんですねえ(汁 こりゃたまらんと、フライをめくってヒト払いをしたんですが、もうクダクダしいコトは省く(w
もちろん状況は風雨強シ。とりあえず、ネスカフェを。FD野菜をブチこんだマルタイ・ラーメンもキッチリ喰いました。本日は槍まで、600㍍くらいの登りです。

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狭い室内でテント以外の装備をザックに詰め、気合いを入れて外に出ます。おや。風は凄いものの雨は降り止んでいる。

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テントの張り綱、風上側の片方が大石から外れていました。それでも無傷だからヨカッタ。サイトも水ハケだけは良好で、こんな場所に16時間くらいを過ごしたワケですが、まあ、最新のアメニティ・グッズで武装したワタシだから「ただ悲惨であった」というだけでは、無かったかと。

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キャンパー用の掃除のいき届いたトイレを借り、ついで外の水場でプラティパスに計5㍑を詰めます。槍穂エリアでは、水は「商品」になるからですね。だいぶ食糧およびサケが減って軽くなっているハズですが、テントなどが再び濡れているから、ザックは18kgくらいあったかも。6:30、デッパツ。

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この日のルートは西鎌尾根の明瞭な一本道をガシガシ上っていくもの。晴れていれば絶景が周囲に拡がっているんでしょう。なーんも期待なんかしなかったワタシだが(汁 このころには風も収まってきたようです。粒子の細かい「クリーミー」なガスに包まれています。

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クルマユリ。この縦走路にはさまざまの高山植物が咲き乱れています。昔はまったく関心のなかったネタですが、ああ。ワシもトシ取ったもんじゃの。げほごほ。うおっほん。

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この毒々しい色は、硫黄尾根。このあたりからガスが時たま切れるようになり、がぜんワタシは意欲が出てきました。当記事もようやく画像ペタペタの「絵日記」状態にできるってモンです。
そういえば、ワタシが主将の年のメイン・イベント「春合宿」は、この硫黄尾根を登攀して北鎌を下降しようと画策しましたが、いろいろあって企画は流れました。まあその。ちょっと無茶だったか(w

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Tシャツの上にフリースベストを着て雨具上衣をウインドブレーカーにしていましたが、ベストはこのあたりで脱ぐ。高度が上がるまでは、ほぼ無風の尾根歩きが続きます。

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雷鳥の親子と遭遇。見事な擬態でアレですが、じーっと睨んでいるとその5羽が見えてくる、かも知れません。

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雪渓を巻いたときに登山道から外れた場所で見つけたゼンマイ。こんな高所でも山菜は育つんですね。

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ちょうどこのころ、槍から下ってきた団塊世代のオッサン5名くらいのパーティとすれ違いました。きょうは、なんと笠ケ岳の小屋まで行くらしい。おお。ハードなスケジュールですね。ま、大丈夫よと余裕で笑う。うむ。元気をもらいました。

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「千丈乗越」が近づくころには、尾根周辺のガスもだいぶ落ち着きました。その大槍にまとわりつくウザいヤツ、消えよ。

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消えた!

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岩と砂の地で、イワツメクサがまばゆい。

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10:50、千丈乗越に到着。ココから急登が始まるので、20分の大休止とします。

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コレはおそらく気圧でエアバッグ状態となった塩キャラメルの袋を撮ったモノかと。たしかこの日からようやく2足目のスマートウール・ソックスに履き替えたハズ。それでも濡れて不快なツオロミーブーツを乾かそうとインソールまで取り外して風に当てています。

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ほとんど登山者に出会わない静かな上りが続きます。結局この日、西鎌尾根ですれ違ったのは3組のみ。槍を目指しているのは、見える範囲で先行のソロが1名、後続のやはりソロが1名。
それにしても、ホント、昨日のような状況でココを上らなくてヨカッタ(w 雨はともかく強風が、ですね。逃げ場所はドコにも無いし、相当つらい目に遭ったことでしょう。

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ガレガレでザレザレの苦しいフィニッシュ・ワーク。オマケに空気が薄いコトを実感できます。でもまあ、周辺の風景が見えるからありがたい。これは登ってきた方向を見返していて、画像中央にマメツブのような後続の単独行者が見えます。画像左側のジグザグは、槍平からの登山道。

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12:25、槍の肩に到着。おお。さすが日本で2番目に有名な山、一挙に人口が増えました。

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槍ヶ岳山荘にて。今までで一番システマチックなキャンプ場の受付です。「suica」定期券の申し込み、そんなムード(w 料金は他と同じく500円。

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現役時代に「肩の小屋」(昔の呼び名ですね)での幕営は、そういえば経験ナシ。広めの場所が確保できなかったから殺生小屋まで下って張っていたんです(冬場はもちろん無人の冬季小屋を借りていた)。というワケで初めての「肩」でのキャンプ、見たところ一等地と思しき「B」サイトをゲット。サンド系のフラットな地べたです。速攻で設営。
この場所は後から振り返っても、われながらグッジョブなチョイスでした。ともかくキャンプサイトでもっとも高い位置。まあその。ワシは「お山の大将」だしサ(w 穂先も眼前にバーンと展開しています。

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すぐ後からテントを張りにきたソロのオジサンが、ワタシの真横になる「A」サイトに決めました。彼が張る前、晴れているうちに穂先をピストンしませんかというハナシになって、一緒に攀るコトに。

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ワタシはカメラだけポケットに入れました。穂先の標高差は天地50㍍くらい、だったっけか。だってサ、無雪期は29年ぶり、積雪期なら27年半ぶりですからネ。そりゃワシもジジイになっちまったよ。あー。空気薄い。オマケに何でこんなにケツがスースーしやがるのでしょう。
下るときに気づいたコトですが、このルート、浮石などは丹念に接着(セメントみたいなモノか)してあるんですね。事故が起きにくいように。すごい労力のいるメンテナンスがしてあり、頭が下がります。
この一方通行のハシゴも迫力あるなあ。コレが無けりゃフツーにアンザイレンだよナ。槍の開祖・播隆上人なんか、江戸末期の天保年間にワラジで祠を背負ってコイツを超えたワケですよね。グレイトだ。新田次郎の「槍ヶ岳開山」、読まねば。

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約15分で頂上へ。
ずいぶん久しぶりに、ぼくはこの場所へ戻ってきた。
ちょっと感無量、そして幸せ。

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山荘とキャンプサイトを見下ろしたところ。わが愛すべきテントも小さく見えています。穂高方面や笠ケ岳などはガスに隠れていました。

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これは北鎌尾根と独標。キタカマから頂上に飛び出すところなんか、いま見ると絶壁なんですね。おっとろし(汁

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一緒に登ったオジサンが、今日は槍沢から上がってきて、そのとき一緒だったという小屋泊りの男女グループの写真を撮ってあげるなどサービス。30分ほど頂上でまったりしたワシらが下りはじめようとしたとき、オッサンのひとりがいきなり名刺交換を、などと言い出して大笑い。こんなシチュエーションでのご挨拶、なかなか無いだろ(w

このグループのオバサンのひとりが登頂の感激のあまり泣いていたと、後で聞きました。100名山を制覇するためにココを極めなくちゃならんヒトたちにとっては、えらくハードなイベントでしょうね。山荘には、おそらく穂先の登攀だけを案内するガイドがいる模様。下るときに、それらしきハーネスを付けてアンザイレンしている老人グループがいましたから。それからハヤリの山ガーリーっぽいヤングギャルもいたナ(w ずいぶん槍もサマがわりしちまったもんじゃの。げほごほ。

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山荘の前に咲くイワベンケイ。

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スーパードライ・ロング、750円也。最高。

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一緒に登ったオジサンは、はるばる長崎からやって来た高校(地理)の先生、53歳の味わいぶかいヒトでした。それにしても、今回の旅は良きにつけ悪しきにつけ「高校」関連が付きまとうナ(w 盛り上がって、いろいろお話しさせてもらった。先生、紙パックの梅酒を飲み始めたけど、あのー。先にテントを張っちゃったほうがよろしいかと。

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これは幕営地の最上端の大岩から見下ろした反対側(南方向)の「千枚田」みたいな区画になっているサイト群。30張分くらいありそうだが、どれも狭い。いまどきの大学サークル(ワンゲルっぽい)って、「マザハバ」なんつーナウいテントを使っているんですナ。

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光と雲の動きを追うのが楽しい。

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この女性は小屋のバイト、オーストラリアからワーキングホリデー中の学生さんです。テン場周辺のゴミを拾っているスガタに先生ともども胸打たれて、少しお話し。最後に「ナイス・ワーク!」、彼女は「サンキュー」。

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山荘の真ん前で歓声があがりました。「なにごと?」かと思いきや、ブロッケン現象が。1枚は撮れた。ラッキー。コイツを写真に残せたのは、なんと高校1年の夏合宿、ワタシの最初の3千㍍物件となった北岳は肩の小屋で撮影できて以来、すなわち34年ぶりなんです(w

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濡れものをスッキリと干しまくったら、ゆっくりアーリータイムズの水割りでも飲もう。先生は小屋で水(200円/1㍑)を買っていましたが、ワタシは余裕ありまくり。
思い返せばですね、この山旅でこの日はじめて、ようやく、外で寛ぐコトができた午後になります。ヤホーイ(w さておき、ワタシが腰かけている椅子状の岩がデキたヤツで、ぴたりとケツが収まって、そして真ん前に大槍がドッカリ望めるワケです。たまにガスるようにはなったが、無風で快適な思い出ぶかい午後になりました。

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きょうもレーションはけっこう余ってしまった。これまた初めてフライを開放したまま晩メシを喰えます。うれしいなあ。先生から、ナマのキューリを1本とマヨネーズをもらいました。サンクス。しかし彼のデカいザック、3日間の行程なのに30kgってのは、こんなトコロが原因なワケですね。カンヅメとかサトウのパックごはんとか。ワタシのメシとかクッカーを見せ、ダブルストックが如何に優れモノかと同様、レクチャーを差しあげました。

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残念ながら夕焼けにはならず。就寝は、19:30。こんな高みでも寒くはない。シュラフカバーは外して、ズボンとソックスも脱いで熟睡しました。

バックパッキングCM:8

源流から岩稜へ 5日目

2009/08/17(月) 17:35:29

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【7月29日】
もっとも天候がシビアな一日が始まりました。4時半ごろ、いったん目覚めるも雨音強し。二度寝をします。次に目覚めたら、5:30。テントのジッパーを開けたらビックリ。周辺が池になっています。まだ新品と言っていいわが「VL-12」だから、ボトムや天井から浸水などは無いものの、しかしコレではマズイですね。
コーヒーを飲みながら考える。延泊するのも楽しくなさそうだし、黒部五郎のピストンも天候が悪けりゃタダの徒労だし、今から槍の肩には辿り着けん。それならリエゾンの一日として双六小屋まで少し移動すっか、そう決めました。翌日の槍までの行程をラクにするためですね。

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フル装備(もうメンドーだから入山以来まだ履き換えていないツンパの上に直接、雨具のズボンを履きましたw)の上、本降りの中、撤収してから小屋にトイレを借りに行きます。
高天原山荘で最初に世話を焼いてくれた姉さん(昨日の朝、出がけに話したときは今日もまた延泊するかも、なんて言っていた落ち着いたムードのイラストレーターです。岩苔から巻道経由で上がってきたところを、ビールを外で飲んでいたワシと遭遇。いったい食事つき小屋泊まりで何泊しているのか、ワタシには考えられない優雅な休暇の過ごしかたに憧れますね)が、再び世話を焼いてくれました。
小屋内にあるトイレだからブーツを脱ぐワケですが、すでにビショ濡れ雨具のワタシ、ズボンを脱いで下半身はツンパ一丁で特攻しました(w 今シーズンからバイオトイレに改造したとのことで、一番きれい。カミはダンボール箱ではなく、面前に開いたスリットから専用コーナーに捨てました。

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再び姉さんとお話しなど。とはいえ、またまた「山賊」のネタを押し売りですが(w 彼女、その昔にもこの小屋に泊ったことがあり、そのときの夕食には主人つまり「山賊」の著者が自ら仕留めたというクマの肉を振舞ってくれたと言う。むは。ヒトに歴史ありレベルのネタですね。それでも、彼女くらいのキャリアある本好きのヒトが「黒部の山賊」をご存じないと。むーん。これはPRのやりかたに根本的なモンダイがある、そう考えざるを得ないわな。
この雨の中をカラ元気で出立せんとするワタシに、「強いですネ」。このコトバが強く印象に残りました。根源的なヨイショをブチかまされた、そんなムードです。「強いですネ」。そうだ。俺は行かねばならんのだ。お名前はと聞かれて本名を言いましたが、より分かりやすいはずの当ブログタイトルをお知らせする爽やかなキモチには、イマイチなれなかったシャイなボクさ(w

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そんなこんなでデッパツは、7:40。おっと。三俣蓮華への上りは登山道が沢と化しています。その流れがごく自然にテン場へと続いているワケか。そりゃ、池にもなるなあ(汁 ちなみに入山してから一回も電波が通じないファッキン・シットな「au」のカシオ携帯が防水仕様なのを思い出し、この日のみ数枚を撮っています。

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8:20、双六へのトラバース道分岐点着。15名くらいの大規模な登山ツアーのパーティと遭遇しました。同じルートを進むらしい。登山史上に名を残すだろう「トムラウシ」大量遭難事件の直後でもあり、ワタシは彼らに興味シンシン。

というのもワタシが現役当時、そんなパッケージは存在しなかったから知らんワケ。いや、すでにあったのかも知れませんが、北アや南アは対象エリアでは無かったんじゃないか。登山ツアーってのは平成以降、「中高年登山」と「百名山」の2大登山ブームを背景に拡大・充実した旅行システムだと思う。
昔はともかく山岳会とか登山サークルに所属するしか方法がなかったですからね、初心者が高山に登ろうと思った場合は。「組織所属からオフ会参加へ」、今どきのライト風味な流行は、高齢者の登山という遊びにもキチンと当てはまるワケでしょう。
まあその。あらゆる点でツアー登山は無意味と断じる「現在」のワタシですがネ、しかしながら今から15年後、長年の宿願ながら未実施のままだったトムラウシ山にコミコミ20万円で登らしてやりまっせと囁かれりゃ、ちょっと考えちまうかもだ。その場で山友だちの絆が生まれるかも、そんな期待もしてサ。

このツアー・パーティ、ガイドはおそらく3名で、60代くらいのオバサンがメイン。この朝はたぶん黒部五郎の小屋を立ち、今晩は双六小屋にて3泊目なのだろう。翌朝、双六で撤収中に再び会って、新穂高方面に下山していきました。悪天下でも早朝から行動して完遂しているから立派です。まあ、ツアーなんだから当然でしょうが。でも立派なのは、こんな天を呪いたくなる状況でもオバサンたちは皆、陽気なんです。グッジョブ。

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双六のトラバース・ルートは、こんな様子。残雪は多いですね。ルート上に風はなく、このころは雨が降り止んだりして、快調でした。

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これはガレ場のちょっとした上り。あのツアー・パーティがこちらへ向かってきています。

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コイワカガミ。カメラの収納には、こんな天気が続くから気を使いました。ザックの左肩のポーチに地図と一緒に入れています。シリカゲルを2ケ入れたジップロック・中にジップロック・小を2重で。撮影時はカサが欲しかったなあ。あるいはツバがデカいキャップとか。

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立派な施設の「双六小屋」には、11:00、早々に到着。その直前、巻道から稜線上に出た途端、すごい東風が吹きつけてきました。キャンプの受付をしようと玄関を入ると、朝、三俣の小屋で見かけた母と息子が小屋の主人に山行の苦労を猛アピール中。野口五郎あたりで遭難しかけた老人と一緒だったとか。するとこのオバサンはブナタテを上ったワケか。それは小屋泊まりとはいえ立派だが、ともかく五月蠅い(w そして主人も受付をしているワタシに分かりやすい差別をしたり。まあその。このふたりにコーヒーを淹れて差し上げてるワケね。しょせんワシは幕営代「500円也」の客ですよ、だ。ケッ。

ココにキャンプするのは初めてのワタシ、兄ちゃんに場所を聞いて小屋裏すなわち風上となる広い稜線東側の鞍部にあるテン場に出てみて、いやもうビックリ。ものすごい暴風雨だ。そして風を防げる工夫が何もできない、タダの風の通り道。ナニモノも飛ばされぬよう、注意しつつテントを設営し終わるのに、なんと小一時間もかかりました。雨で濡れたポールはツルツルすべり、テントポール末端をブチこむキツいポケットに入れにくいったらない。思わず呪いの雄たけび。ステラリッジはココがアンチ・スリップ加工してあるらしい。さすがモンチッチ。
さておき、フィニッシュはデカい石を運んできて、四隅のテクノーラ製ガイラインをギッチギチに踏ん張らせます。この風に対抗する唯一の生命線だ。頼むぜ。

建て終わって撮ったケータイ画像がコチラです。前日からいるのだろうか、モンベルULドームシェルター(あるいはODボックスのUL-UNO。ミニ・タープをフライ代わりにしている)が完全にヒシャゲている。中にヒトがいるのか分からんが、これじゃあ、おっつけツブレちまうだろう(夕方に外へ出たら、消えていた。小屋へ逃げたのか)。
その後、高校生らしきパーティが大騒ぎで2張り、設営していました。この晩、結局、この人気キャンプ場は2パーティ・3張りのみだったのだ。画像でお分かりのように、風は左(=東)から右へと吹いている。フライ短辺の真ん中を引っぱれない「「VL-12」だから、風で押されたフライシートと本体ウォールが密着して浸水しないように、大きい石を間に置いて防ぐ細工をしています。

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テントに入ってしまえば、とりあえずコッチのもんです。前室には石で囲って転がっていかぬようにした濡れたブーツを置いてあるくらい。フロアも何もかもビショ濡れなので、テント内でストーブをバシバシ焚いて強制的に乾かしにかかりました。え。ああ、自己責任でね(w 

お昼くらいからずーっと狭いテントに引きこもっているワケですが、このサイトは砂地でフラットだから、まだラクですね。リッジレスト・マットを座イスに変える新兵器の「コンパック・チェア」、安楽。このようなシチュエーションのためにあるよーなモンだ。しかし、テントをバタバタと揺るがす暴風とバリバリとフライに炸裂する雨音が恐ろしげで、とても新撰組ネタの小説を読むよーなムードではない(汁 大音量でウォークマンを聴いていました。
このときは「1970年代・洋楽ヒット」、CD6枚分のコンピ・アルバムがジャストフィット。この撮影時は、懐かしや「エマニエル夫人」のテーマソング(w 映画は映画館でしか観られぬその昔、封切りの翌々年だったか、高2のワタシは友人と名画座の「2本立て」でコレを観にいったもんだ。いやその。女性客が列を成した初めてのポルノなんですがネ、まったくソフトすぎて眠いだけの内容。当時はモザイクどころではない巨大なボカシが入るから、ナニやってんだかコドモには理解できなかったんです(w

そんな70年代の洋楽集なんつーのがフィットした理由は、きょう出会った登山ツアーのオバサンたちです。だって皆さんモノの見事に正しい老婆顔プラス老婆ボイス、なのだ。いや、ワシだって来年でもう50ですがね、ワシの10歳から15歳上という世代ですよ、たぶん。1975年くらいに大ヒットを飛ばしたエマニエル夫人なころ、ケッコンするとかコドモが生まれたなんつー世代ですよ。「タイガース」(ジュリーがいた方ね)に歓声をあげ、全共闘のメットをかぶっていた(かも知れぬ)世代、深夜放送の最初のリスナー、レモンちゃんの「セイ・ヤング」にドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」か何かリクエストしちゃった(かも知れぬ)ジェネレーションですよ。つまり「ニューファミリー」ですよ。
それが一体どうしたら、こういう昔から連綿と続く「日本の正しいオバサン」@山オンナ仕様に変貌しちまうのか。謎である。解決の糸口をあるいは摑めるかも、などと夢想しつつ、スリードッグナイトなんかを聴くワタシでした。

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14時半ごろ、意を決して張り綱をチェックしに外へ出る。相も変わらず凄まじい暴風雨です。稜線上でコレにやられたら、たまらんなあ。ヒト死にが出ているんではなかろうか。そうして、それだけで全身がズブ濡れ。再びテントを乾燥室化させます。この日、合わせて60分くらい乾燥のためにストーブを使いましたが、それで満タンだったひとつ目のキャニスターが、ほぼカラになりました。つまりワタシの食糧計画だったら「チタン地」ストーブは余裕で5日間を乗り切れるワケですね。燃費良好だ。
そんな中、太郎平のサイト以来、久しぶりにラジオが聴けました。といっても耳にスピーカーをくっつけて聴き取るという環境でしたが。ニュースが「本格的な梅雨明けは8月2日から」などとフザケたコトを言っている。ほ。ワシの下山した翌日からか。ジーザス・ファッキン・クライスト。

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前室でメシを作れず、こんなゴチャゴチャした中で、胡麻味噌タンタンごはんとサラダなど。食欲さらに減退(w この日のレーションはほとんど余ってしまいました。
狭っ苦しい天地205×左右90×室内高100cmのテントで、オマケに雨が吹き込んでくるから締め切った状態で午後をずっとコンパックチェアにもたれていたワタシですが、息苦しくて発狂するなんてコトには、ならなんだ。あれか、この黄色が明るく感じられるからなのかも。強風にケナゲに耐えている「VL-12」は可愛いくて、「ガンバレヨ」なーんて思わず擬人化しちゃうくらいです。まあその。よしんばテントが潰されたとしても、ココまでくれば翌日中には里に下れるから、それほど逼迫感はなかった。

19:50、就寝。その後は22時、0時、2時くらいと定期的に目が覚める。相変わらず全開の暴風雨が続いています。耳センをしていると、それほど気にはならんのがフシギといえばフシギ。

バックパッキングCM:8

源流から岩稜へ 4日目

2009/08/14(金) 18:20:47

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【7月28日】
4:35、起床。周囲はまだ寝静まる中、いつものラーメンを作りにテラスへ出る。雨がパラパラ模様。今日もダメか。それにしても、いつになったら梅雨が明けるのか。いや。関東甲信越エリアはとっくに明けているんでしたっけ。ナロー。
太郎平のテン場以来、ケータイはもちろん、ラジオ(ICF-R350)もウンともスンとも受信できず、情報オンチもイイところ。やっぱり同じソニー製でも「SW23」くらいの受信能力がないとダメなのかもね。何倍も重くなっちまうブツですが。今回のワタシは、8月1日・上高地発のバスに乗るコトだけをスケジュール上のケツに設定しているワケですが、しかしラジオの天気概況が受信できて「向こう数日間は雨なんだもんね」なんつー悲しいお知らせを聴いてしまったら、そこでココロがポッキリ折れちゃったかも知れん。むーん。まだ情報オンチのほうがマシとも言えようか(w

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ということで、この旅の正装「カッパ上下」の儀。デッパツは6:25で、きょうは鷲羽岳越えを目指します。

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この地に再び来られるか分からない年齢になると、見るもの全てが愛おしい、そんな思いを抱きました。
晴れなくても、まあ良い。せめて景色をワタシに見せてくれ、そんな願いを描きました。

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歩き始めの樹林帯の上りではヌタヌタのシングルトラックが続きます。なんか知らん羽虫も多く、ちょっと不快。

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水晶池に寄り道。おや。好天の兆しがありますね。

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枝沢から冷たい水がドバドバ。甘露。この日は「岩苔小谷」沿いの道を詰め上がるルートで、結局、岩苔乗越直下までは水筒がカラでもOKでした。

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ダケカンバ帯を過ぎると、ついに、この旅で初めてのピーカンになりました。願いが天に通じたのか。先行した3名パーティと会話。「これは?」「もしかして…」「明けましたか」「おおっ」。そうして、「明けまして、おめでとー」(w  雨具の下も脱いで、顔や腕に日焼け止めを塗ります。

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前方に見えるは裏銀座の主稜線、か。乾燥室のオカゲで、装備はすべてスーパードライ化。前日比で5kgくらいはザックが軽くなったムード。とはいえ、やっぱり地図のコースタイムどおりの牛歩に変わりはありません(w

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背後にビシリと屹立するのは、薬師岳。

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雪渓と水量が豊富な沢沿いの登山道には、高山植物が咲き乱れています。これはシナノキンバイ。

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こんなグッジョブなお花畑を行きます。だいぶ傾斜がついてきて、まもなく乗越か。
「ウェット」な光景とは、これでしばらくオサラバです。ガレ&ザレの「ドライ」な世界に数日を暮らすことになります。

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10:00、岩苔乗越に到着しました。大休止後、少し移動したココは裏銀座コース主稜線分岐の「ワリモ北分岐」点。北アルプスの峰峰が、眼前にバーンと展開します。オーシ。やっぱり眺望はワタシのエネルギー源、そんなムードです。これは北側の光景で、左奥の黒い岩山は水晶岳。コレは深田100名山のひとつで、そこでは「黒岳」と紹介されています。

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もちろんワリモ岳~鷲羽岳を稜線通しで踏むつもり。ワリモ沢の深い谷の向こうに、槍ヶ岳が顔を出してくれました。おお。凛々しいヤツよ。ナマでキミと対面するのなんて、1981年夏の穂高以来ではないか。

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足どりも軽く、稜線漫歩。しかし周辺には雲が出てきました。このエリアは通常でも午後から荒天になると聞いています。昼すぎにはテントを建ててしまいたいモンだ。これは西側の光景で、右手前の祖父岳の奥に凛々しいのが、黒部五郎岳。特徴的なカールには残雪がいっぱい。天気が良ければピストンしたい山なんですが、もうムリかもネ。

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槍がさらに迫力化。北鎌尾根と独標もクッキリ見えます。29年前のあの夏、雲ノ平から竹村新道を駆け下って、湯俣経由で登攀したっけね。20kg強を背負って。北鎌ルートってのは、槍のピークで劇的に一般道と合流するんですよ。頂上の祠に裏からヒョッコリ顔を出す、という。居合わせた一般登山者が拍手で迎えてくれるんですよね、それがたいそうキモチ良かったっけ。ま、昔バナシです(w

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ちょっとしたクサリ場を超え、ワリモ岳頂上付近から鷲羽岳のピークを望みます。ココから100下って、100ちょっとを登り返す。このエリアは「百名山」がひしめいているので、一挙に人口が増えましたね。もっとも、世代を問わずワタシのように幕営登山とひと目でわかるザックのヤツなんて、ほとんど見かけはしなかったワケですが。

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縦走路の西側には黒部源流の光景がクッキリさわやか。谷筋はまだスノーブリッジだらけですね。昨冬は「山雪」だったのか。中列右側のなだらかな膨らみが「雲ノ平」台地の南端で、その左端にジグザグに切ったトレイルが見えます。その尾根の背後に、祖父平という秘境がある。「なんで山登るねん」を読んでカブレた憧れの地です。まあその。最近の実際はブヨみたいなエタイの知れぬムシだらけで、快適ではないらしいが。

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11:45、鷲羽岳着。稜線に出てからは、東からの風が常にあったので雨具上衣を着っぱなし。ココも30年前に踏んでいるんですが、やっぱり覚えていないし、100名山のひとつとは言え特徴あるピークではないですね。

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小屋で一緒だった3人組。昼メシのラーメンか何かを作っているようです。雨の場合はどうするんだろうか、謎だ。きょうもテントですかと、そのオッサンのひとりが聞いてきた。ワタシは目いっぱいキリリと答えました。「ええ。もちろん」。このとき「だけ」は勇ましかったボクだと、いま振り返って思う(w

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これは鷲羽池。徐々にガスが低くなってきます。

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本日のテン場「三俣山荘」には、急な下りを400㍍。画像真ん中に立派なその小屋が見えますね。信州・越中・飛騨三国の県境を意味する北アルプス大山脈の連結ポイント、「三俣蓮華岳」もガスに隠れようとしています。降ってくるぞ、やれ急げ。
そんな下降途中ですれ違った団塊オヤジ2名パーティには、感銘を受けました。小屋泊まり仕様ですが、ナウい軽量ウェアとタイツでキメている。「どちらから」と問うと「槍から」。「どちらまで」には、なんと「野口五郎まで」。ええっ。すごいですね、雨は大丈夫ですか。まあ何とか、と余裕で笑っているんですねえ。最終的にはシロウマを目指して縦走するらしい。うーむ、ヤルなあ。元気をもらいました。

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13:00、三俣山荘に到着。その直前に雨が落ちてきました。大慌てで先にテントを張ります。周囲を潅木に囲まれたこのサイトは、強風で名を馳せるこのエリアでは有効なロケーションでしょう。周辺にころがるペグ代わりの石の数が先人たちの苦労を偲ばせる。地べたは砂地で、横を三俣蓮華岳から湧きだすクリークがとうとうと流れています。これまた雨が降り続いたらヤバい場所ですね。慎重に選んだのが、ココ。先着のテントがひと張りあり、結局、この日は2張りのみ。

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その後、テン場代500円の支払いに小屋まで。ついでにカンビール、600円也を買う。で、このかたは小屋のおかみさんです。ココにテンパるのも、まあその。表敬訪問みたいなモンですからね(w 
で、ワタシの新たなバイブル「黒部の山賊」(背後の棚でも売られている)について、お話しました。ああ。あの本に書かれた舞台というのが、この三俣山荘(とはいえ昭和20~30年代という昔のハナシ)を中心にしたもの、だからです。「いやもう、感銘を受けました。読んでから訪ねると尚いっそう新鮮です。それにしても、こんな面白い本があったなんてマッタク知らなかった」「昔の現役のときも?」「ええ、全然」。
そして少し突っこんだコトも聞き、また情報を話しました。たとえば、おかみさんは「amazon」をご存知ないようですが、ネット書店では初版本に8千円の値が付いていて、つまり市場でフツーにはゲットできない枯渇状態であること、現行改訂版の版元の「実日」に義理だてしているワケではなさそうなこと、より多くの読者に読んでもらいたいとお考えのこと、などなど。うーむ。なんとか橋渡しをしてみたいなあ。

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その後は、ずーっと雨がパラパラ。テン場には小バエが多い。そうしてマッキッキのわがテント(あまつさえワタシの血液型は「O型」、ある意味、最強コンボなんだなw)はヤツらに大好評で、蚊取り線香は持ってこなかったからウザいったらない。

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さて。この日あたりから、なんというコトでしょう、行動食が余りはじめてしまうんです。カロリーメイトを喰わなかった。む。なんだろう、心理的なものか知らん。ソロだったら、次回は少し減らしてもOKだな。とはいえ、バーボンの水割りは毎日100mlくらいづつ飲みました。こちらは気をつけてセーブしている状態(w

雨降りの中、19時くらいに就寝。ところがどうした、まったく眠れず(汁 ナゼか異常に暑い。スントの「コメット」で確認するとテント内は20℃くらい。ココの標高は2500㍍だってのに。これまた仕方なく、小説を読み続けるハメに。23時くらいに、ようやく眠くなりました。

バックパッキングCM:8

源流から岩稜へ 3日目

2009/08/13(木) 17:31:12

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【7月27日】
4:45、起床。相変わらずの雨。そういえばワタシは入山前までカゼ気味で、痰がからんで鼻声で鼻づまりだったんです。昔みたいに山に入れば気合いで直るわい、なーんて思っていたんですが、ちっとも快方に向かわぬ(汁 ジジイである。テンションさらに下降。
コーヒーを飲み、FD野菜ぶっこみラーメンを喰いつつ考えました。結局、この場所での延泊はやめて「高天原(たかまがはら)山荘」に素泊まりと決める。この濡れモノたちを何とかしたいと思ったワケです。ブログなどで見る限り時が止まったようなオンボロ小屋なんですが、乾燥室があるんじゃなかろうか。もともと、ココ雲ノ平から昔と同様に、軽装で高天原の露天風呂をピストンする予定だったワケですしね。すべてキャンプというコンセプトが早くも崩れてしまうけれど、まあその。空いてるだろうし面白い体験もできるでしょう。

隣りのオカシイ学生たちはさらに絶叫しまくっている。聞き耳をたてると、どうやら皆で「晴れろ」祈祷をしているらしい(w もちろん五月蠅い。ダラケた雨中の撤収が重なってしまった。朝の儀式後、コモンらしき若いオトコと会話。「ひとりで山に入るなんてスゴイと話していたんですよ」と。「そうかい。山は独りがイイんだよ。ところでドチラの学生さん?」「アザブです」「麻布…、(獣医大とかあったな)大学?」。ココで衝撃の発言が。「いえ。高校です」と誇らしそうに。フーン。ナニゴトも紙一重な連中って存在するんだね(w なんか今回は高校パーティに惑わされるなあなどと苦笑しつつ、6:30、デッパツ。ちなみに例の千葉MTK高のテント2張は、テン場にひとり取り残されています。動く気配ナシ。本日は沈殿なんだろうか。

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小屋から登山道は分岐します。火山岩のようなエッジの立った黒岩が累々と積み重なる、道と言うかルートを上ったり下りたり。雨は変わらずジャバジャバ。レーションのジップロック袋も開けられないような降りでした。
そんな中で注意しいしいカメラを出して撮影していたんですが、ドコか一時的に不調になっちまったのか、ごらんのように画像データが小さく荒いもの(これで最大サイズ)に。もちろん帰宅後に気づいたコトですがね。雨のバカ。

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黒岩累々が終わると、樹林帯の下降が始まります。水ハケが悪い登山道の水たまりを突破したり、まるで沢下り状態を続けるうちに、ブーツが浸水してビショ濡れに。汗をかくような気温ではないから、それほど不快ではなかったですが。テントは濡れてザックはそれ自体も水分をたんまり含んで肩に食い込む。
そんな中、向こうから歩いてくる登山者に見覚えがある。池袋駅でバスを待つ間のコンビニで見かけた男性です。小屋泊まりだからザックは軽く、昨日はタロベエから余力を持って高天原山荘まで入ったとのこと。「明け方の雨、すごかったでしょう」と聞かれましたが、ずーっと悪かったからとくに印象はないんですがネ(w 「雨の雲ノ平もイイもんですよね、尾瀬みたいで」には少しムッとしたが、「昨晩の宿泊者は5名でした」にはトキめいた。おまけに乾燥室もちゃんとあるとのこと。ヨーシ。

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岩苔小谷を渡る簡易橋を過ぎたあたりから、降り続くものの空は少し明るくなってきました。そして、いきなり視界が開けてニッコウキスゲが咲き乱れる平原が眼前に。おお。素晴らしい。こいつはご褒美だ(ちなみにこの画像は後に撮影しなおしたものです)。

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10:00、平原のスグ奥にある「高天原山荘」に到着(これも後に撮影したもの)。は。なんか画像が歪んじゃいないかト。いや、ご主人。アンタが正しい(w なんたって築60年くらいは経とうかという建物です。かつてこの小屋でバイトしていたという「町内の山」の筆者によるグッジョブな考察もあります。もともとは飯場なのだ。近々にも建て替えられるコトでしょうが、この古き良きお姿の最後の時代を共有するほうが断然イイ。

素泊まりの料金は、5500円。ヨタヨタしながら小屋内に入ろうとしていたら、テラスで本を読んでいた姉さん(ワタシがこのように表記する場合、年上を指します)が世話を焼いてくれました。どうやら雨で延泊を決めこんだらしい。素泊まりとはいえ、ワタシが営業小屋(布団で寝られる山小屋)に世話になるのは、1977年3月の赤岳鉱泉以来のハズ。つまり高校生のときからこのかた、テント泊以外ならば避難小屋と冬季小屋のみで生活してきたワタシなのです。スジガネ入りとホメていただいても結構、そんなムード(w

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雨も小降りだから、腰を落ち着ける前にと、カラ身で15分くらいの場所にある露天風呂へ傘を借りて出かけます。
下り気味の穏やかなトレイルを行くと、やがて風呂が現れました。橋を渡った右岸に露天が3ケ所と、後で気づいたこの撮影ポイントの右20㍍にも小さい露天がひとつ。ヨシズで囲われた立派なものは婦人用で、殿方はその右に踏跡が見える風呂へどうぞ、とのこと。昔はどうだったのか、やはり思い出せず。

とくに「温泉イノチ」っつー人種ではないワタシですが、ココはやはり超絶のロケーションという存在意義から、浸かるに値する露天風呂だと思います。なんたってもっとも近い登山基地「折立」からでも徒歩で2日かかる。さらに主稜線から遠く外れているから、いつでも静か。そして神秘の天然にごり湯。コイツはロマンです。

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湯はぬるい。夏以外ではつらいかも。うれしいコトに、いつの間にやら雨は上がっていました。後からやってきたオトコ2名、60代の山岳サークル所属の人たちと語りあいながら、長風呂を楽しみます。トムラウシ遭難事件のこと、ツアー登山のこと、百名山のこと。彼らオトコ2・オンナ2名のパーティは、黒部湖から水晶を越えてやって来たと。ルートがスグには合点できなかったワタシ、「え。つまり読売新道をわざわざ上がってきたってコトですか?」「そのとーり!」「め、めずらしいコトやりますねえ(w」で、大盛り上がり。 
他にも「北アから海抜ゼロの日本海へ」で有名な栂海新道を、やはり上がったとか。「めずらしい(ry」。なんでも、ツガミを開拓した「さわがに山岳会」の連中に焚きつけられてやったとかナントカ。ワタシはイチオシ本「黒部の山賊」の紹介をしたり。ちょうど今、ワシらはあの物語に描かれた現場にいるワケで、その韋駄天のごとき山賊たちの凄さが身にしみて理解(たとえば、三俣山荘を出て、この風呂の数km下流にある上の廊下「立石」でイワナを釣りまくって、再び小屋に日帰りで帰還する)できるから、これも大盛りあがりなのでした。

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ところで、今回の山旅で「ココは覚えてる!」という場所はこの露天風呂のみ、だったんです。手元に数少ない昔の写真が残っていても、それは写真にある光景を記憶しているだけというコトが分かった。ティーンエイジャー最後の夏に鮮烈な印象をもたらしたに違いない初めての北アルプスでのさまざまな出来事は、しかしキッチリと30年を経て、ほぼ全てが霧の彼方に去ってしまったというワケですね。
それが、昔の写真と同じ青味がかった乳白色の湯に大量に含まれる湯垢、否。「湯の花」を見たときに初めてフラッシュバックが起こったのです。「これだ!」。ご一緒していたオッサンたちと楽しい語らいをしていたから、おセンチな気分にはならなかったけどネ(w
1979年の8月アタマ、であったか。半月あまり続く縦走の息抜きの日、雲ノ平に張ったテントをカラ身でデッパツしたワシら4名は、飛ばしに飛ばして10日ぶりくらいとなるこの風呂で汗を流したのだった。
硫黄臭が充満する中、「このお湯って酒カスみたいな垢みたいなのがスゴイっすね。中をグルグル対流してるもん」「そりゃオマエ、湯の花っつーんだ」。ホモっ気のあった某先輩が曰く「それがボクのお肌をツルツルにしてくれるんだヨ」とのたまい、いきなり流し目をよこしつつ「イオナ、わたしは美しい」。ワシら声を合わせて裏声で叫ぶ。「イ~オナ~ァ」。
まあその。ワタシ、バカさにかけては何ほども進歩していないという自信があります(w ちなみに、あの特徴的なテレビCMは近ごろトンと見ないものの、IONA化粧品は今もキチンと商いをしている模様です。

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明るくなったトレイルを軽やかに戻り、この旅で初めてビールを飲もうと思いました。

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やはり、この風景を愛でながら飲みたい。モルツ600円、価値あり。

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ニッコウキスゲは、やはり7月が最盛期の高山植物なんでしょうかネ。

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ああ。ヒーリング。それにしても、当初の予定とした「雲ノ平からカラ身で温泉ピストン」なんてハタチのころと同じコト、本当にしなくてヨカッタ(w そんな無茶をしたらカラダがガタガタになったに違いありません。

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まったく違和感がないランプの宿。でも、旅館でコイツを売りものにしてるトコロを有り難がるキモチは、ワタシには分からんね。暗いだけじゃん(w この小屋も物資はヘリによる空輸とのこと。だから最奥の場所とはいえ、ビールなどの価格は他と同様の設定というワケでしょう。ヘリならば、ココもタロベエも「ごく近所」みたいなロケーションですからね。
さて、肝心の「乾燥室」だ。3畳くらいの小部屋中央に石油ストーブが15時から焚かれ、その天井には針金が網目に張られて針金ハンガーに濡れモノすべてを吊るして乾かすというシンプルなシステムです。ワタシはこのおかげで、テントもザックもパンツもタオルもキッチリ乾かすことができました。

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お天気は、また降ったり止んだりと目まぐるしく変わりました。広島からやって来たオッサン3人組が、クチが悪くて愉快で。ワタシが高速バスのハナシをしたら、そんな便利なアクセスが広島には無いと羨ましがるのはイイとして、「今、高知から北アに直行するバスがあるらしいよ」「えっ。そいつは許せんのう」「だいたい高知なんて(ry」。あるいはオッサン2+オンナ(若い)1名のパーティが雨具にスパッツまでフル装備で温泉に出かけたのを見て、「彼ら、スパッツ付けたまま入浴するんじゃないの」などなどと。うひー。ハラがよじれるではないか(w

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これはワタシの寝場所から見た2階の様子。ちょっと分かりづらいですが、両窓際と部屋中央に布団が並び、足先に見えているのは中央列の布団。ちなみに画像左側にも同じ数の布団が並んでいる広さです。1階にも布団10枚分くらいのカイコ棚式寝室がありました。この日の宿泊者、前日よりはグッと多く、25名くらい。でも、その程度であれば布団1枚に1名で寝られ、両脇の布団は空けている状態。これは天国です。

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自炊組はウッドデッキのテラスで炊事、これがルール。雨の中、天井があるのが左端部分のみだからスペースは僅少。この日はワタシ以外に露天でご一緒したオトコ2・オンナ2名のパーティと、はるばる鹿児島からやって来たソロのオトコ34歳氏の6名でした。
もちろん他の宿泊者は8500円だかで2食付きで泊まり歩いているワケですが、うーむ。幕営主義のワタシからすると、年に1回だとしても相当にリッチな旅行ですなあ。ところが、女性のひとりが山小屋におけるメニュー事情を解説するのだ。「最初の晩、オカズがてんぷらだったのよ」「すごーい。うれしい、なんて思った」「でもね、その次の日の別の小屋でも、さらに次の日も、やっぱりてんぷらだったのよ」。おおう、なるほど。山小屋でのリッチな食事はてんぷら、そんな記号と化しているト。勉強になるなあ(w まあその。毎晩カレーライスと聞いた昔よりはグレードアップしてますけど。そういえば、このときのわがメニューはキーマカリー・ライスだった。

ワタシがヒトの顔写真を撮るという志向がないため、こんな画像しか貼れませんが、このテーブルはじつに話題豊かな楽しい夕餉になりました。ビックリしたのが鹿児島クンで、彼の家族が雲ノ平で「集中登山」をしようとしているワケ。父親の誕生日を祝して長男の彼は折立から、次男が槍から、そして何と両親は鹿児島から長駆マイカー(ETC、片道わずか2千円とか。まるまる2日間のドライブとか)で雲ノ平を目指していると言うんです。ゴイスー。それが打ち続く荒天(北九州エリアが豪雨でヒドかったらしい)で予定が乱れ、このエリアの小屋同士の定時無線交信で宿泊者リストから両親の足跡が判明、明日、雲ノ平で無事に集合できそう、とかナントカ。なんともスケールがデカい、いいハナシです。つーか、ワシは彼が持っていたあの絶版クッカー「カスケードカップ」に目が釘づけだったワケですが(w

小屋の消灯は20時ですが、ワタシは19時半に就寝。やっぱり布団はイイものだ。少なからず傾斜しているので足元方向に10cmほどズリ落ちましたが、熟睡できました。

バックパッキングCM:4

源流から岩稜へ 2日目

2009/08/10(月) 12:57:39

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【7月26日】
3:15、起床。お隣のガミガミ声のおかげです(w 耳センを外すと雨がフライを叩くオトが五月蠅い。はあ。朝メシは、もちろん「マルタイ」の熊本ラーメン。最初はコイツでなけりゃね。まあその。これから朝は毎食ラーメンなんですけど。

入山するとナチュラリストに変貌するワタシ、このとき初めて北アルプスの最新トイレ事情を目の当たりにしました。太郎平テン場のトイレは掃除がゆき届いて清潔、和式便器は足元のポンプを踏んで消毒液を流す方式で、フキフキしたカミは何と鼻先に置いたダンボール箱に入れよ、流すな、との指示なんです。クソのついた紙は後で箱ごと燃やすワケか。グッジョブ。いつの間にやらメジャーな北アの大便所は、こういったシステムになっていました。
三俣山荘でも今年からバイオトイレに変更したと書いてあった。例外は最奥かつ最古な小屋「高天原山荘」くらいで、従来のボットン(オマルを乗せて「洋式」と称した大便所もあった)タイプながら、やはりカミは鼻先に置いてあるダンボール箱(これが何とも、意識せざるを得ないっつーw)に入れる仕組み。間もなくこの古き良き小屋も建て替えられるハズですから、最新のバイオ・トイレに変貌をとげるのかも知れません。

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撤収中のお隣さん。仁王立ちの赤いのがコモン君ですが、ココでついにワタシが怒りをブチまけました。ま、軽くネ。

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ラッキーなことに、雨は撤収のときのみ降り止んでくれました。5:15、デッパツ。まず、小屋方面に戻ります。テン場を振り返ったところ。

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ドローンとした雲が北ノ俣岳方面にかかっている。右に見える太郎平小屋から分岐し、薬師沢方面へと下っていきます。

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チングルマの群生がそこ彼処に咲き乱れる。可憐な花ですね。

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きょうのルートは、いったん黒部源流まで下ってから広大な台地状の雲ノ平へと登り返します。430㍍を下って、680㍍ぶん登るワケ。前方が雲ノ平方面。どうやら高いところが厚い雲に覆われている、そんなムードです。

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これは薬師沢の第1渡渉点、あたりかな。このルートの登山道はシングルトラックながらもシッカリしています。

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「黒部の山賊」を読むと強烈なイニシエーションを受けるマカ不思議な源流のダーク・スポット、ココが「カベッケが原」。本にあるようなオドロオドロしい印象とは違う明るさがありますね。まあその。そもそもココのヌシである河童(カベッケ)がワシをたぶらかして、このときだけ陽気を演出していたのかも。そんなコトを夢想したり。

さて、フザケたコトに、このあたりで例の千葉MTK高パーティに追いついてしまいました。ペースが遅いなあ。つーか黒部五郎方面に逝ったとばかり思っていました。雲ノ平の風景を味わうといった風雅なキモチなんか持ってんのか(w で、困ったコトに以後、ワタシと抜きつ抜かれつな間柄になってしまうのです。コモン君とは多少お話もして、まあ、ご無体な態度は許して差し上げることにした。

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黒部源流にたたずむ瀟洒な宿「薬師沢小屋」に、8:15着。昨晩の宿泊者はわずか5名だったと、途中ですれ違ったヒトが言っていました。タロベエからこの小屋を経由して赤木沢へと向かった昔の記憶は、しかしやっぱり何ひとつ思い出せぬ(汁 15分ほど休憩しているとき、スコールに見舞われる。以後、雨具の上衣は着っぱなしでした。

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雲ノ平への上りは、つまりこんなムード。苔むした沢をガシガシ直登するルートです。ヌルヌルと滑りやすくて神経をつかうし、岩の乗ッ越しは体力を使うしで、なかなかシンドい。結局、2回ほどズッコケました。反射神経が鈍ってしまった今、とっさの体重移動で立て直すとか手をつくといった昔は何でもない対処ができなくなったのが、じつに歯がゆい(汁

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大汗をかきつつ(w 今回、水の飲みすぎを防ぐために「キャメルバック」のチューチュー式ボトルをチョイスしたのは、大当たり。ただしコレ、飲み口を引き出すための「ツメ」がこの日か次の日だかに折れてしまいました。か弱い製品だの。それにしても、きょうはヒトに会わないなあ。ルート上ですれ違ったのは、3パーティくらい。皆、ワシより年上のオッサンたちでした。

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苦闘から解放され、ようやく平らな場所「アラスカ庭園」に出たのが、11:15。あとは雲ノ平を象徴する木道を歩いて行けばイイのですが、雨ジャバドビヤの中、カメラを出すのもひと苦労。モンベル・ツオロミーブーツは木道で抜群のグリップを発揮して快調だったのが救いでした。

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このエリアにビシバシ咲き誇る高山植物の代表格、ハクサンイチゲです。は。いえいえ、当然いま調べました(w 

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晴れていれば、この台地ぐるりを屏風のように取り囲む水晶岳なんかが絶景を演出してくれるのですが、まあその。残念ですね。

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雲ノ平山荘には、12:05着。キャンプの申し込みをして、幕営料金500円を支払います。ちなみに今回張った全てのテン場が500円。ウスラ寒くてビールを買うムードなどドコにもありません。さて、雲ノ平も昨日と同じくテン場がえらく離れた場所にあり、その移動中に雪渓を越えて行きます。

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雲ノ平台地の中央に鎮座まします「雷岩」。天地3㍍くらい。コレも大学2年次の今ごろ、停滞日のヒマつぶしとして、皆で「ボルダーリング」(1980年当時で、このコトバがあったワケだ)をしたと記録集に書いてありました。手ごろなムードの良い岩ですね。それでも何でも思い出せず(汁

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12:40、ようやくテン場に着きました。事前の情報収集で、雨天時のココは水がつくから要注意、とありました。しかし、今が正しくその雨が降り続いたときであるから、現状で浸水していないイケてる場所であれば大丈夫だろう、このときは、そう考えました。

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カラダが少なからず濡れて、テント設営後にまず作ったホット「抹茶あずき」が心底ウマイと思えたり。その後、凄まじい豪雨が降り出しました。2時間くらい続いたのではなかったか。ワタシの5㍍隣りに学生たちのダンロップ大テントがあり、そいつらが何やら奇声をのべつ叫び続ける。なんじゃコイツら。どっかの養護学校生なのか知らん。その嬌声が、わがフライシートを打つスコールのバリバリバリッというノイズにかき消されるほど、なんです。
ラジオも音楽も聴き取りにくいような状態だから、バーボンをなめながら、浅田次郎の小説「輪違屋糸里」を読んでいました。なんか山では時代小説が合うような気がしてネ。長い旅なので念のために上下巻約400gを持ち込んだ。結局、上巻をほぼ読み終わった程度で終わりましたが。

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それでも外の轟音に、落ち着いて読書なんつームードではナカッタ。雷(らい)さまも唸っている。風は吹いていないのが幸いです。14時半ごろだったか、フライをめくってテント前の状態をチェックすると、なんてこった。凄まじい雨量に増水してクリークが決壊、ワタシの設営場所に支流が流れ込もうとしています。

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コイツは危険だ。意を決し、雨具上下にビーサンで、荷物すべてを入れたままのテントを5㍍ほど「おりゃあ」と移動。ココならまあ、水没だけは無さそうと思う場所ですが、おかげでますます養護学級テントに接近(w
その後、最初に張ったトコロは水深5㌢くらいの太い流れに変貌していました。いやしかし(汁 このテン場、祖父沢に流れ落ちる沢の源頭部ともいえ、扇状の斜面に設けられているワケです。だから好天と雨天でのキャンプの印象がガラリと変わってしまうらしい。難しい立地だ。ワタシはココで張るのを楽しみに訪ねたワケで、けっこうココロが折れました(w

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晩メシは16時半くらいから取りかかった、のかな。カルパス半本とマカロニ、そしてFD野菜2種をドーピングした味噌汁です。この日、テントはワタシを入れて5組7張くらい。それにしてもシュラフカバーを持ってきたのは結果オーライでした。
就寝は18時。ところが19時に目が覚めてしまい、それから寝られず。夜通し降り続く雨が気になったワケでしょうね。もちろん疲れてはいるんですが。夜は何となく暑く、シュラフとジャケットのジッパーをはだけていたくらい。そんなこんなで小説を22時ごろまで読み次いでいました。



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バックパッキングCM:17

源流から岩稜へ 1日目

2009/08/06(木) 23:34:53

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金曜日、オフィスを速攻で辞して19時すぎに帰宅。シャワーを浴び、晩メシを喰い、21時に慌しく自宅をデッパツ。さて。夜行7泊8日という久しぶりとなる長旅のスタートです。そのワリにはザックが小さく見える、ような。最終的にはシュラフカバーも加えたから、水ヌキで19kgくらいの目方になりました。

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千葉から北アルプスに出かけるには、けっこう手間がかかりますね。今回、ラード的には初めての長距離バスに乗るワケ。京葉線からメトロ有楽町線に乗り換え、池袋駅へ。しかし池袋が近づくにつれて地下鉄車内は徐々にブタ混み化。股に挟んだザックにしなだれかかる立ちんぼの乗客。いきなり昔の中央本線のアリサマを思い出せるシチュエーションです(w というワケで、23時発の富山駅行き西武バス、7,340円。コレが安いアプローチ費用かといえば微妙ですが、寝てる間に富山くんだりまで運んでくれるのだから便利の極み。
長距離バスといえば、ワシらの世代は昭和のスキー・バス「サミーツアー」の劣悪な車内環境ってのが、悪しき思い出(汁 ヒーターがガンガンで暑くってね、寝るどころじゃナカッタもんでした。

さて、23時を少し過ぎて発車した現代のバスはゴージャスだった。なんと3列シートのデラックス・カーだったのです。ふむ。その仕様は同時に3台デッパツするうち、最初の1台のみだと思っていたワケですが、まあその。ラッキー。ワタシは中央列の後ろ寄りという席ですが、通路が両脇にある。つまり3列が均等に配置されているワケ。全25席くらいで、もちろんトイレも半地下に設置してある。リクライニングと足置きはヒコーキのビジネスクラス並みに平たく展開するし、コンビニで買ってきた缶チューハイをグビグビやりつつ、こりゃあサイコーなアプローチじゃないか、そうほくそ笑むワタシでした。

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【7月25日】
5:30、富山駅前着。とりあえず晴れている。ココでバスを富山地鉄の「折立」行きに乗り換えます。朝イチの駅前をチンチン電車がゆっくり通り過ぎる。イイねえ。

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折立行きのバスには、登山者のみ15名くらいが乗車しました。6:15発車、3,400円。空いている。ちなみに高速バスは満員でしたが、山のカッコをしていたのは3号車ではワシのみ。帰省と商用の客がほとんど、そんなムードでした。それにしてもこの折立行き運転手兼ガイドのオッサンが異常に明るいヒトで、車掌がまんまヤング・ギャルだし、楽しいひとときでした。

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薬師岳や雲ノ平エリアの登山基地「折立」には、8:00着。晴れている。水を2,5㍑ほど入れ、装備をあらため、8:30にデッパツ。せっかく書いてきた自前の登山届は提出し忘れました(汁

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登り始めは、林間のそれほど急傾斜ではない土の道。クネクネと標高を上げていきます。

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徐々にお天気が「いくない…」傾向へ。関東甲信越だけが梅雨明け(その後に戻り梅雨状態でしたが)して、それ以外は日本全国のお天気が荒れ模様という、異常な7月後半のスタートです。

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「三角点」を過ぎると、軽く雨が落ちてきました。ニッコウキスゲが色鮮やか。

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スタート地点の有峰湖方面を見下ろす。登山道は良く整備されています。というか木道の代わりの人造岩畳道がエンエンと続く、というか。そうでもしないと掘れまくって塹壕のようなルートになっちまうワケでしょうね。昨夏に歩いたイイデみたいに。木道にせよこの岩畳にせよ、これらを敷設する労力にはホント頭が下がります。

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バスは立派でも快眠できたのは2時間程度だったワタシ、わりとヨレヨレしながら太郎平の小屋に到着。この付近では完全な雨模様です。ココから1kmほど離れたテン場へと向かいます。
ちなみにこの「テン場」というコトバですが、いまの今まで使うのに抵抗感があったワタシ、だった。というのも、現役のころには一般的ではない単語だったんですよ、おそらくね。まあその。当時のワシらは「天幕」を「幕営地」に張る、でしたからネ。何時代じゃ(w 「サイト」とも呼んていましたが、ま、今では「テン場」と言わないと小屋の兄ちゃんともマットーなコミュニケーションが取れなさそうだから、ようやく使うようになったオッサンでした。

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13:00、太郎平「テン場」着。ゆるやかな薬師岳への尾根のコル部分にあります。1980年夏に一夜を過ごしているんですが、何ひとつ思い出せず。さておき、今回の山旅では昼ごろに行動を終えるようにスケジューリングを考えました。そんな一所懸命に歩けるもんかっての(w 午後からサイトでダーラダラだぜ。
そんな目線でこのテン場を見ると、一等地には学生のデカいテントが2張。すでに歌とか出ていてキケンなので、ボサが風をやさしく防いでくれそうなこのフラット・スペースに決定。しかし何で山でテントだと歌を唄いたくなるんだ、キミたち。え。いやワシはそんな状態にならぬように、MP3ウォークマンを持ちこんだワケですが、何か(w

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他にスペースはナンボでもあるってのに、千葉MTK高(モンベルのチーム・オリジナルTシャツを着てるから分っちゃった。松井の出身校とはカンケーないハズ)(「登魂」だってヨw)の登山部(?)の3名がナニ考えてんのか、真後ろに(汁 とくに顧問のセンセがモーレツに偉ぶっていてガミガミと始終コドモたちに指示を出す。いまの若い生徒は耐えられるんだろーか。後期(知ってっか? 今は高校も2学期制なんだぜ)がスタートする前に退部届でも出しちゃうんじゃなかろうか。それにしても五月蠅い。

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濡れモノを乾かす間もなくドシャ降りとなり、ソレが続きました。遠くで雷鳴がゴロゴロ。そして晩メシを作っています。胡麻味噌タンタンぶっかけごはん(袋喰い)、サラダにスープ、そして肉代わりのカルパスをつまんでいる。美味いんだ、コレが。
その後、寝る前のオシッコ兼張り綱チェックでもと、外に出たら豪雨でキャンプ用長ズボンがビショビショに濡れて即死(汁 そのままでは決して乾かぬ重量2倍の「お荷物」となり果てました。だもんで、シュラフには下半身はツンパ一丁で。サイトは全6張で、夜半は少し冷えたかな。サイトは砂地で浸水などは無く、その点では快適。就寝は18時前、しかし一晩ぶっ続けで雨が降り続くからイマイチ安眠できず、でした。

バックパッキングCM:10

山上で暮らしてきた。

2009/08/03(月) 17:58:39

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源流から岩稜へ。花畑から岩畳へ。
ハタチから、アラフィーへ。

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むかし昔の楽しい記憶を再訪する山旅だった。

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しかし不思議なものだ。
「あっ。ココ、覚えてる」。そんなフラッシュバックが無かったからだ。
しいて言えば、湯の花に満たされたこのにごり湯の印象だけだったかも知れない。

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だからワタシは毎日を新鮮なキモチで過ごせた、そうも言えるだろう。

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山は変わらぬようで、変わっていた。
否。自分の身に起こった「変化」のほうが上回っていたかも。

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ヒザ、痛い。
岩場、怖い。
高価いカンビール、コイツが美味い(w

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とはいえ、まったく今夏の荒天はどうしたことか。
「修行」と言ってもいい、厳しい日々が続いたのだ。

ちなみに8日間の内訳と言うと、終日雨が降らなかった日は1日のみ、終日雨降りが3日。
それ以外の4日間は午前中が晴れもしくはガスで、午後からキッチリ雨というファンキーさ。

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ところが、だ。
面白いもので、そんな中にも絶妙の摂理が働くらしい。
まあその。お天気がワタシに対して「ツンデレ」を演じやがるワケです。

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いやいや。ツンデレ、そんな平和な塩梅では断じてなかった。
ツンツンツンデレツンツンデレツンツン、こんなムード(w

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でも、その「ちょっとだけよン」の部分が素晴らしいのだ。

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そのピンポイントな「デレ」の印象が、刺さるのだ。
強烈なまでにワタシのココロを揺さぶるのだ。

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「やはり、山はいい」。


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