ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

掘ったイモいぢるな?

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ラード

Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

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北へ、そして頂から海へ。Day2

2013/10/04(金) 18:13:08

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【8月4日(日)】
このバスが見かけによらずオンボロでして、乗りゴコチは悪かった。座席の前後が狭い上に振動がヒドい。右側の壁にアタマをもたれたりしたら、ビリビリ震えて寝られやしない。このバスは、ハズレですね。ちなみに新宿を23時に出て、スグに消灯。そんなこんなで睡眠はウトウト・レベル。途中、PAでトイレ休憩が2回。
明けがた、バスは七倉ダムや扇沢など、「ゴタテ」(後立山連峰のこと)の各登山起点にキッチリ立ち寄っていきます。これは美点。そうして、5:40、ワタシの降車場所「白馬八方バスターミナル」に到着。
その直前から、バスのフロントガラスに雨粒が(汁 

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降ってんのか曇りなのかイマイチ判然としない中、スキー宿が連なる細い道を15分ほど歩き、ゴンドラリフト・アダムの乗り場に到着。

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八方尾根から入山するというのは、きわめてイージーかつグッジョブ!な方法です。ゴンドラ1本とリフト2本を乗り継いで、標高1,850㍍の登山スタート地点「八方池山荘」まで一挙に運んでくれるんだからネ。これはもう、「ワープ」。

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ずいぶん久しぶりにこういう乗りものを使ったワタシだもんで、そのワープ感の霊験、じつにあらたか(w 15kg以上の場合にかかる「荷物代」を含めた片道料金が1,600円と高価いクセに、マッタク惜しいとは思わない優れた存在です。

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ココに来たのは、1980年の年末から翌正月以来となります。あのときは、「ゴーロク豪雪」との激闘の後、そのまま兎平にある「薬大ヒュッテ」横に張ったBCテントを基点に、ゲレンデスキーを5日ほど行った。当時は今よりもリフトが1本分少なく、八方尾根のスキー場とは兎平までしか存在しなかったのだ、そういえば。

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八方尾根とその終点である「唐松岳」は、ワタシは大学山岳部の冬合宿で1年と2年次に登ったのみ。1年時の1979年年末のときには、ホイホイと登頂。雪洞訓練も無事にこなして、小学校低学年以来となるゲレンデ・スキーも何とか馴染めたハズ。

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いやその。「はず」ってのは、その翌シーズン、1980年の年末にまったく同じ内容の冬合宿を行う予定だったのに、豪雪に巻きこまれて、「生きるの死ぬの」的壮絶イベントに発展した。その2回目の印象があまりに強烈だったからでしょうが、前年の「楽しかったおもひで」ってヤツはきれいサッパリわがカボチャ頭から消え失せ、何ひとつ覚えていないというワケです。

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6:35、八方池山荘にイージーに到着。山荘前は登山者とハイカーで混雑しています。リフトに乗りつつ喰い始めた朝メシの最後は、コンビニおにぎり。
清潔なトイレで大キジを撃って、いまにも再び降りだしそうな空の下、7:00にデッパツ。

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4泊5日のテン泊装備を詰めこんだ5年も使い続けているザック「アルパインパック60」は、飲用水の合計4,5㍑(本日のキャンプ地・唐松山荘では、水は「売りもの」だからネ)含めて、20kgちょっと。
この入山日のザックの重さってのは、毎年ほぼ同じ。つまり初日に20kgのザックを背負って歩けるか。これからホントのジジイへと劣化していくワタシが「ひとり夏合宿」を続けていくに当たって、これがガイドラインになります。

とはいえ、きょうの行程は4時間も歩かないラクチンなもの。理想的な初日のスケジュールと言えましょう。

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八方池までは、日帰りのハイカーさんたちと共存します。カラマツを目指す登山者たちも多いが、ワタシのように大きなザックは、やっぱり珍種。立派な木道は歩きやすいが、尾瀬の至仏山のような茶色の岩に覆われた登山道部分は、濡れて滑って歩きにくい。

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7:47、八方ケルンに到着。「ガラガラ沢」方面を見つめる、この異様なモニュメントとは初対面です。少なからず、フクザツな気分。ほとんどのヒトはココを素通りしていきますが、ワタシはザックを降ろして裏に回る。

あった。墓碑銘が。
約30年前、ただでさえケルンが林立する尾根上にコイツが追加された「原因」、ある遭難事件については、ワタシにとっても今なお忘れがたい思い出なんです。

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1980年の年末、「五六豪雪」が魔力を発揮し始めた最初のドカ雪攻撃にやられ、神奈川の「ZK」高校という私立学園の山岳部パーティが、冬合宿として登山に来ていたココで遭難したのだった。部員5名と顧問教諭の全員が死んだ。

そのとき、ワタシがサブリーダーを務めていた4名パーティも、ココにいた。入山初日は、この「ZK」パーティと同じ夜行列車で、同じスケジュールで歩いて、その日に幕営した場所も隣同士だった。すなわち、この八方ケルン付近(たぶんw)の稜線上。
その翌朝の二日目、唐松岳を目指して八方尾根の登行を開始したワタシが最後に彼らの天幕を見やったときは、まだ起床もしていないムードでしたね。「やつら、きょうは沈殿するのかな」と、しんしんと降る雪に思ったものだ。

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そうしてその4日後、すさまじい荒天から生還してきたワシら4名(1日かけて登った地点「下の樺」付近で、ドカ雪のため唐松アタックは断念し、撤退開始。ところが、ラッセルに次ぐラッセルで、登った分を下るだけで何と2日を要した。さらにその翌日が風速50㍍ほどの地吹雪で、1日沈殿させられたワケ)が見たのは、地吹雪にやられて幕体がビリビリに破れ果て、中の荷物たちが周辺に広く飛び散らかっている、あるじ不在の遺された「ZK」の天幕だったんです。

おそらくは、視界を奪う濃密な雪に、コンパスすら持たず「散歩にでた」彼らは呆気なく方向を失い、冬山を知らぬ顧問は「マイッタ。登り返すのはムリ。この斜面を下りまくれば、いずれ里に出る」という最低の決断をし、ガラガラ沢の上部で、背後から音もなく襲ってきた雪崩に飲みこまれてしまったのでしょう。

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後にこの遭難は「雪山どシロートのリーダー引率による殺人事件」とまで呼ばれました。加えて、オフィシャルの行事と認めずに責任を忌避する学園側と山岳部員たちの遺族間で、長期のドロドロ裁判闘争へと発展。その余波をモロに受けて「ZK高」の社会的評価は地に堕ち、そして潰れる寸前まで追いこまれたと聞く。

ワタシもこの数ケ月後、NHKの遭難検証ドキュメント番組に出演したり、事件から4年後にもなって、ある月刊誌の取材を受けたりした。その雑誌記事の中で、今でも忘れられないネタがあるんです。
年末の遭難から半年後、まだ見つけられぬ数名が出てくるかもと、下流域のダムを試しに放流したら、ようやく顧問の遺体が流れ出てきて収容。しかしそのとき、部員の遺族のひとりが、その「オロク」さんのアタマを蹴り飛ばしたっつーんだもんな(汁 もちろん、こんなコトはオフィシャルの学園史で触れちゃいない。

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鎮魂の碑・八方ケルンが建立されたのは、1984年夏。ワタシが雑誌取材を受けたのと同時期で、「そろそろ裁判にメドがつきそうだから、あらためて総括しよう」と記事にする意図を聞いたワケです(八方ケルンの銘文がワケわからん抽象的な表現になっているのは、このため)が、結局、オフィシャルの遭難報告書の刊行と合同慰霊祭を実施して最終的に解決したのは、なんと遭難から10年後、1990年のコトでした。

ちなみに古ぼけた写真は、その冬合宿のもの。ちょっと解説を加えましょう。
上の写真は12月26日の朝、「ZK」パーティと分かれて尾根を登っているワシら4人パーティ。ワカンを履いてくるぶし程度の積雪ですね。ところがこの2日後、同じ場所を下るときには、頭上をはるかに超える積雪のラッセルで1日に500㍍しか進めなかったんです。
真ん中は27日、あまりの積雪に唐松アタックを断念して下ることに決めた朝。現在の視点では、粗末きわまりないウェアです。ヤッケは「カモシカ」のゴア製雨具。当時、ゴアの雨具を持ってる部員なんて、キヨミズっちゃったワシのみ(w その下はウールの登山シャツと父親のお下がりのラクダの肌着。オーバーズボンは、防水性なんか無いタダの二重ナイロン製。その下はいつものアディダスのジャージ。さらにウールの股引と木綿のブリーフ。足元は「ショウィナード」の赤いオーバーゲイター。登山靴は「ゴロー」のフルオーダー・シングル皮革。見えていないが、木製ワカンを着用しています。手袋はウールのジャガード5本指の上に、ナイロン製3本指のオーバーミトン。サングラスは度付きのメガネで、偏光レンズ(今でもあるのかね?)は明るい場所ではスモークに変化して、暗いところでは透明へと無段階に色が変わるヤツ。カッコつけたいお年頃のワシにはドンズバの製品でした(w
下の写真は29日の午後、猛烈な地吹雪にエスパースのポールが折られ、大あわてで4人用の雪洞を掘り始めたワタシ。

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8:00、八方池に到着。あれから約33年後のワタシ。ステキな山ガール2名に声をかけて撮ってもらいました。「不帰のキレットが見えなくて残念だね」「それ、なんですか?」「あの雲の中あたりが、ギザギザに切り立ってるんだよ」「なーるほど。カエラズってカンジですねー」などと、たのしくコミュニケーション(w

これまでワタシは「二度と八方尾根には来ない」と決めていたんです。夏でも、冬のゲレンデスキー・レベルであってもね。広い意味で言うと、大糸線の沿線エリアを訪ねたくなかった。理由は、もちろん「縁起でもない」場所だから。この写真の右下方向が「ガラガラ沢」なんですが、なんか「ZK」の連中がワタシを発見して、そして異界へ引きずりこんでいくような、そんな恐ろしい妄想を長いあいだ思い描いてきた。
だから墓碑銘では手を合わせましたよ。「ひさしぶりだね。俺の登山の安全を、どうか見守ってくれよな」。

とはいえ、豪雪に閉じ込められたり荒れ狂う地吹雪に天幕を潰されて雪洞を掘って生き延びた「あの場所」ってのがドコだったか、今はもう雪の有る無しという要因も加わって、ぜーんぜん分からんかったのは内緒(w

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ハイカーの散策エリアはこの八方池までで、ここから上は登山の領域なんですと。このときのウェア、上衣はユニクロ・ドライEX半袖ポロシャツ1枚に、下は5年モノのサウスフィールドの長ズボン。ところが、ついに雨が降り出して、カッパの上下をキチンと着ました。風が強く、手の甲が冷たい。

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ハクサンシャジン。いよいよ高山植物たちのお出ましです。

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「下の樺」の樹林帯に入ります。この区間は長いように感じましたが、ペースは快調。小学校の林間学校イベントなんでしょうが、大編成の学童たちがワサワサ下ってきたりもした。唐松岳というピークとその頂上小屋は、そんな需要も多いみたい。それにしても、ちょうど下山するタイミングでカチ合う彼らとは、すれ違いに苦労させられます。

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タテヤマウツボグサ。

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風雨強し。休んでレーションをつまんでいると、汗が冷えて震えがくる。スントの「コメット」をチェックすると、15℃。そりゃ、寒いわ(汁 まあ、このお天気のおかげで、水をほとんど飲まずに済みましたが。

そういえば先ほど、八方池の横で休んでいたとき、ちょっとイヤなシーンに出くわした。あれはシニアの登山サークルなのだろうが、7名ほどのパーティで、そのうちの老婆ひとりが駄々をコネて、反抗しているんです。「アタシ、後からひとりで行く」「皆さん、どうぞ先に登って」と。ゆるい登り1時間ほどのこの場所で、すでにそうなっちゃってる。リーダーのおじいさんが叱っていた。「アンタ!ダメだよ」「だから、リフト終点で待ってろって言ったじゃないか」。
いやはや。メンドーな婆です。メンドくせーレベルを超越している。歩き始める地点から、ブーたれてたワケですか(w ワタシも今年は「ミクシ」のある山コミュに積極コミットしているから、今後、登山オフ会の場でこのような事態に出くわすケースもあるかも。ひええ。想像するだに恐ろしい。それにしてもこの婆、その後はどうなったのか。

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9:42、丸山ケルンを通過。雨脚は弱まって、ガスガスながら霧雨に変わりました。

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ハクサンイチゲ。

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ちょっと緊張する場所が出てきました。ガレたトラバース道がしばらく続き、濡れているから少しビビる。まあ、こうした「アクセント」があったほうが記憶に残りますけどね。

これを抜けたら、10:20、唐松岳頂上山荘がガスの中からヌッと現われました。ただちにキャンプの受付を行います。料金は500円。加えてトイレ使用料(何回でも可)の200円も納める。この小屋、ホスピタリティ的にはイマイチみたいですね。ワタシは翌朝の出がけにトイレを借りるだけという関わりでした。

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テントを張り終えたのは、11:20。ウスラ寒い。防風対策は念入りに行いました。

唐松テン場 俯瞰 200910

ココのテン場、ちょっと珍しいロケーションなんです。ヒトさまの画像を借用すると、こんなムード。ジグザグの急傾斜は、この画像で見えている倍くらいは下方へと伸びています。そんな場所に張ったらタイヘンだ(汁 
ワタシは早めの到着だったから、この画像で上から2番目の左端スペースを確保できました。少しナナメだけど、水はけは良いし、先人たちが築いた砦っぽい造作は堅固だから文句なんか言えぬ。

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腰を落ちつけたら、「ジンビーム」の水割りで、さっそく始めちまいました(w きょうはゆっくりレーションを喰えなかったからです。食欲はありましたがネ。入山初日ってのは都会生活での飽食をまだ引きずっていて、早いハナシが喰い過ぎなのだ。

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バーボンをやったらスグに眠くなって、お昼寝を一時間ほど。いいわぁ、こんなレイドバックな登山スケジュール(w 2日目以降の行程はラード的にハードだから、こいつは貴重。
起きると、ガスは薄くなってテントの数も増えています。このテン場、旅館の「離れ」のような、適度な距離感があってイイな。でも雪渓の手前に小さく見えてるテントの場所は重労働すぎるが。

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つまみのスパムを焼きながら水割りを飲む。昨年の信越トレイルでは600mlのバーボンでは少なすぎたので、今回は800ml。1日につき200ml。この安心感はデカいものがある(w

ラジオはいつもの「SW22(je)」。FM長野かなんかを聴いてたっけ。文庫本は「本日はお日柄もよく」(原田マハ著・171g)という小説を持ってきました。ある結婚式で聞いたスピーチにココロ打たれたOLが「スピーチライター」というプロフェッショナルを目指す物語。泣いて笑って、勉強になって。これが最高に面白かった。

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晩メシは、ママーの早ゆで3分スパゲッティにハウスの「ザ・ホテルカリー」という高級レトルトをブッかけ、うずらのクンタマを添えたもの。カレーパスタはワタシの好物ですが、麺150gは多すぎでした。そして「こりゃ、美味いわぁ」とイッパツで気にいった味噌汁は、永谷園の野菜たっぷりフリーズドライ。3食入りで250円くらいと高価いんですが、山ではやはり、美味いヤツ優先ですね。
そして付け加えておきたいのが、ついにスノピのちゃぶ台「OZEN」を夏合宿に投入したこと。やっぱりコイツが膝元にあると落ち着いてよろしい。悔いなき334gです。

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夕刻、短い時間でしたが、ガスがとれて唐松岳のピークが見えた。稜線を歩く小さな人影も。そして一瞬だけ、黒部の深い谷の向こうに剱岳も望めました。
18時すぎに就寝。その1時間後に、大雨で目が覚めたり。標高は2,600㍍程度のクセに寒く、上衣はフル装備の4枚重ねで寝てました。

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