ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
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山について思ったこと (人の巻・その2)

2007/08/31(金) 23:55:59

DSC03556_800.jpg

ワタシの体験談でご紹介した「利根川本谷」と、グレードが最難の6級となる黒部「黒薙川柳又谷」の違いは、おそらく溯行に要する時間がより長いことだと思う。前項でご紹介したパーティは、谷の中のみで4日間を費やしている。利根川より丸1日ぶんの増量かな。また個人的な印象だが、谷がより深く険しそうなムード。なんたって、あの黒部川だ。天候悪化の場合の逃げ場も少なそうでもある。写真は、丹沢では最難グレードのひとつ、3級の「エビラ沢」。1980年の5月、ハタチのワタシはロンゲ仕様(w

さて、半世紀ちかく昔に成した「S」氏の超人的なエピソードとは、大雑把にしか記憶できていないが、こういうコトだ。パーティは、3名(おそらく)。リーダーが「K」氏で、「S」氏ともう1名が、夏の柳又谷を溯行した。数日間の苦闘を経て、ついに源頭へと辿りついた。もう危険な場所はない。3名とも疲労の極みだった。尾根をあと少し登れば小屋(白馬岳頂上?)がある。一本道だから迷うこともない。各人のペースで登って小屋で落ち会おうと、その時点で初めてパーティを分けた。

そうして「K」氏ともう1名が先に小屋に着き、「S」氏を待ったが、来ない。待てど暮らせど小屋の半鐘を鳴らせど、来ないのだ。大騒ぎになったことだろう。当然、分かれた場所には人を走らせているし、周辺を捜索もしただろう。それでも「S」氏の行方は杳として知れずだった。「沢の中で放置プレイにしたんだろーが」と、「K」氏たちは周囲からあらぬ疑いをかけられ、大タタキにあったという。そりゃ、そうなりますわな(汁

それから1週間後、ヨレヨレで歩いてる変なオッサンが捕獲された。釣り人に介抱されたのだろうか。場所は、この黒薙川柳又谷の出合、つまり沢のスタート地点。これが、何と「S」氏だった。「S」氏発見の報を受けて、家族や周辺の人たち、会社の関係者(社内山岳部の合宿という位置づけだったハズだ)も、えらく安堵したに違いない。もちろん「K」氏たち当事者は尚さらだろう。だがしかし、不思議なコトに、その「S」氏は問題の1週間のデキゴトを何ひとつ、覚えていないという。3名でチカラを合わせてザイルを使ったりして乗り越えた柳又谷を、1週間かけて、ソロで下降したというコトになる。事実は、それしか有りえない。

そんなハナシだ。今でも、この凄絶なエピソードを語ってくれた「K」氏の表情が思い浮かぶなあ。実際のところ、いったい何で「S」氏は分かれた場所で下り始めたのか。ま、本人が一番フシギだと思っただろうが(w 先に進むよりも、通って来たルートを選んだワケだ。それが、とんでもない「道」だとしてもね。また下降中の記憶が一切ナイというのも、スゴイっすね。「意識」のスイッチを、ずーっとオフにしていたんだ。食料は残っていたんですか?どうだっけなあ。でも「火事場の馬鹿力」がこれほど当てはまるケースって無いよな、そんなコトをポツポツと話しあったっけ。

昭和最後のあの夏、「K」氏は2名の古い山仲間と、このときの雪辱戦を果たすために、四半世紀ぶりにこの谷を再訪したのだった。完登したら厳しい登山からアシを洗う、とも。そうして、氏の姿が再び発見されたときは、素っ裸で、沢に半身を埋めた状態で、しかしながら「こうべ」と両手足はきちんと付いた状態で、捜索隊に「腐臭」で自身の存在を主張したのだと聞く。

~8014328_800_800.jpg

この写真は、同じく1980年の8月、夏合宿のハイライトである槍ヶ岳の北鎌尾根に取り付くべく、北鎌沢を渡渉するワタシ。先行した先輩がザイルを渡したから、それを脇にはさんで流木を杖がわりにして慎重に進んでいる。雪解け水は冷たいんだよナ(汁

さて、「S」氏のエピソードを聞いたとき、連想したハナシがある。現役時代に山岳部のある先輩に聞いたものだから、こちらの方が古い。その先輩が何かの折に観た「アイガー北壁(だったかな)登攀」の記録映画、みたいなヤツの印象なのだが、聞かされたワタシですら未だに覚えているほど。それはこんな内容だ。

悪天に阻まれて、氷壁を退却しているパーティがいる。ザイルを使った十数回もの懸垂下降の最中だ。パーティは全員が極度の疲労にある。「生還するぞ」という精神力のみを振り絞って、動いているのだ。あとワンピッチ、ザイルで下れば、その模様をフィルムで撮影している救助隊がいる安全な場所(北壁に穿たれた登山電車の軌道の窓、だと思う)に降りられる。ところが何てこった、最後のクライマーのザイルがからまって、どうにもそれが解けない。モーローとした状態で必死に頑張る。しかし解けない。そして、「どうやっても解けないのだ」という事態をそのクライマーが理解したとたん、いきなりカラダがガクッと二つ折りになった。そのありさまがクッキリ映っているんだぜ。うわっと叫んだぜ。つまりそのときココロが折れて、その場で絶命したということなのだ。

人間の潜在能力とか無意識下での行動とか、人間ドラマがヒト知れず、さまざまな場所で起こっているんだな。

元「山ヤ」の体験談TB:0CM:0
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