ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

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山について思ったこと 「冒険or挑戦」(前篇)

2008/01/14(月) 23:40:23

DSC04139_800.jpg

4冊の古い登山手帖がある。
これは「山と渓谷」誌の別冊付録でした。1976年、つまり高2の夏から4年間に及ぶワタシの登山記録がココにバッチリと記入されている、なーんて思うかもしんないけど、そこはワタクシであるからして。じつは中身がスッカスカ。ほぼ空白。いやその。いつか記録をキチンと書こう、なーんて思ってから早30余年(w すべては遠く忘却の彼方(汁 ところが、浪人生活を始めた1978年の春に、この手帖のメモ・ページにワタシが高校山岳部に入部して以降の登山の目的地と日時のみをカンタンに書き記していたコトを、先ごろ発見(それも完全に忘れていたw)。ちょっと嬉しかったりして。

「ヤマケイ」誌、手帖が付録で付いた1976年7月号以降は毎号を買って熟読したものです。また古本屋で少し前のタメになりそうな特集の号を見つけると買い足してもいた。山登りに関するありとあらゆる事柄を、ワタシは読んで学んだことになりますね。すべての記事が身につく思いだった。ナゼなら高校山岳部なんて大した登山なんかやらないし、顧問や先輩にも参考にできる経験者がいなかったものだから、すべてヤマケイやら「岳人」誌、登山の技術書から独習したワケで、それは大学の山岳部に入部するまで続きました。

1975年、高校1年生のワタシは完全に「山へ連れていってもらう」というスタンスだったんです。夏合宿で登った3千㍍超の南アルプス「北岳」では、美しい雲海が足元に広がる高山独特の光景に感動させてもらったけれど、その後といえば奥多摩やら谷川岳やら伊豆でのハイキング・レベルを部として登るような山行が続いたのだナ。

「もっと登り甲斐のあるコトをしてみたい」。
「もっとレベルが高い山を登りたい」。
そう切望したワタシでした。豁然と目覚めた。「オレが、やるんだ」。
いま思い返すと修行チックな青いニュアンスすら感じるけどねえ(w まあその。シゲキのあるコトをやりたかったのでしょう。直截の動機なんか、もう覚えてちゃいないけれど。小説や登山記録の書籍、そしてヤマケイの記事といった「テキスト」からハゲしくインスパイアされたと思う。そうして新たな領域に踏み出していった。単独行で。ビビリながら。
そんなころのエピソードをふたつ、今回はご紹介しましょう。

DSC04146_800.jpg

神奈川県の北西に広がる丹沢山塊の「新茅ノ沢」。ワタシが初めて「沢登り」をした場所です。アプローチが近く、もちろんグレード1級の入門者向けながらも、スリリングな小滝が連続するエンタテインメント性が豊かな良い沢だったと記憶します。否。ルート図を見て、そう思う(w 登山手帖のダイアリーを見ると、1976年8月2日、月曜の出来ごとですね。ちなみに右側のルート図は手書きで写したモノ。当時はコピー機なんつーモノは身の回りに存在していなかった(「デュプロ」と呼ばれたアイヤキ機は学校にあったけれど)。

DSC04148_800.jpg

これは行動予定表みたいなモノ。左頁の下に右頁が続く。やあ。昔のワタシ、マメではないか(w バス時刻についてのメモが多い。あたり前ですが、社会人になるまでの交通手段といえば電車とバスしか有りえなかった。

やっぱり現場の画像がないとイメージしづらいかもというコトで、優れた遡行レポ、またまた引用させていただきます。それにしても何という明るい記事。あのその。見習いたい(汁
http://nikochans.blog24.fc2.com/blog-entry-40.html
30年ぶりに「新茅ノ沢」の様子をながめたワケですが、山は変わらないね。懐かしい。最初の沢床に下降する場所で、あまりにダークなムードを発散して恐かった16歳のワタシ、「帰っちゃおうか」とホンキで悩んだコトを思い出しました(w クソくだらんハナシですが、大流行した映画「ジョーズ」を観たばっかだったワシ、カマの底から何やらあやしい物体が飛び出してきそうなキョーフも覚えたんです(w そして沢で見る光景のすべては新鮮でオドロキだった。大滝12㍍の直登は、ルート図のメモに書いてあるように最初から諦めていたようですね。

DSC04151_800.jpg

この当時の沢登りは、こんなカッコで行きました。ちなみに別の場所で、ココは西丹沢の「水棚沢」。同じ年の11月上旬。当時の岳友「H」君と初めて一緒に遡行した。ウールのニッカボッカが凛々しいワタシですが、恐ろしいコトに足元は神田「ニッピン」製の登山靴だ。小遣いで生活していた高校生だかんね、沢における正装「地下足袋+ワラジ」に割く予算が無かったのネ(汁 だから登山靴でもスリップしなさそうな乾いた沢を選んでいました。ザイルなんか山岳部にも無く、またその扱いかたも知らなかった。腰に下げた細引きは、まあ、おまじないのようなモノですか。コレで体重を支えられるワケなどないが、当時は「使えるかも」なんて思っていたかもしんない(w

DSC04155_800.jpg

その1段目の滝を登るワタシ。先行した「H」君が写したものですが、なかなかの高度感が吹き上がってくるじゃないか。写真プリント裏のメモを今回ひさしぶりに読んで、この滝が2段ではなく6段で、このときは2段目から上の滝を直登するのはムリと判断、2時間かけて「高巻き」したことが分かった。ええ。もちろん何ひとつ思い出せないです(w (昨年8月の山関連の記事中、この4年後にこの画像と同じ滝を登攀する写真を貼ったけれど、そのときは、まあきっと6段すべてを登りきったコトでしょう)

本格の岩登りは死んじゃうかもしれないけど、グレードの低い沢登りなら何とかイケるのではないだろうか。そう考えました。もちろん写真のような場所から万が一スリップでもしたら、イノチは大丈夫としても片足首くらいは軽く折るかも知れない。歩けない。そんなメに遭遇して他の遡行者にしばらく出会わなかったとしたら、干からびて死んじまう恐れすらあります。だから何ごともトラブルが起こらぬように、自分にできる最大限の注意を払いつつ、ドキドキしながら遡行した。そうしたチャレンジの末、無事に完登したときの大いなる達成感たるや麻薬的で、ワタシは沢へのチャレンジを続けたんです。

その1976年は、8月に「新茅ノ沢」「源次郎沢」「葛葉川本谷」の3本、10月に「水無川本谷」、11月に「水棚沢」「勘七ノ沢」の2本。自宅からソコソコに近い好立地だから丹沢はよく通ったものです。これは戦前から続く首都圏クライマーがバリエーション登山を始めるときの王道だと後に知ったが、ワタシも意図せずしてそのコースを歩んだというワケ。


元「山ヤ」の体験談TB:0CM:0
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