ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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ラード

Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

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ケムリの行方(3)「マイ・タバコ・ヒストリー 中篇」

2008/02/20(水) 23:56:38

きょうという日、つまり2月20日はスーパー・メモリアル・デイだったんです、ラード的には。
忘れもしない、8年前のこの日にタバコをスッパリやめたのだ。とはいえ、未だにドタマからタバコの誘惑を追い払うコトができない、ナサケないワタシだが何か(汁

タバコ

【タバコにまつわる思い出たち】
年がら年中、プカプカとケムリを吐きまくってきたワタシですが、続篇の核心となるタバコにまつわる印象的なシーン、楽しかったエピソードなどを語ろうとして、慄然とした。さまざまの思い出があったハズだが、しかし、ほとんど記憶に無い。それらを忘れてしまっているのです。前篇から間がけっこう開いたのは、そんな理由。

おっかしーなー・・・・(・∀・;)
思い当たった。8年前に禁煙して以来、おそらくワタシは、そういった「タバコとの楽しかったアレコレ」をつとめて忘れよう、記憶から葬り去ろうと念じ続けたのだろう。そうでもしなければ、「1本だけならイイか」などという、あらゆる魔の手や誘惑から逃げられなかったに違いない、意思が弱いワタシの場合は(w

ともかく、まあ、今も覚えている数少ないエピソードをご紹介してみよう。昔は、それこそ傍若無人のエントツ野郎でしたよ。大学の「山ヤ」時代は部員すべてがタバコ呑みで、だから気がねなく夏の閉めきった狭いテント内でもプッカプカ。1㍍先も煙って見えぬ、なんてのがフツーという非日常だったんです(汁

ワタシが1年坊だった夏の北アルプス縦走で、「槍穂」の間に横たわる難所「大キレット」を歩いたときの印象は今も強烈だ。その日はヒドい風雨だったのだ。半月ほどの合宿も終わり間近で、もうザックは軽かった(重たい食料が減っているから)ハズだが、なんたってルートがコレだから(汁 作者の情熱がヒシヒシと伝わる大キレットの記事を、どうぞ。
http://www.abaxjp.com/daikiretto-2/daikiretto-2.html

daikiret46_800.jpg

真夏とはいえ風雨ドバドバの稜線上は寒くてキビシイ。雨よけに「ジャンボ・エスパース」テントのフライシートを皆で車座になって被り、しばし休憩した。そうして行動食を喰いつつタバコを吸った。狭い空間でケムリがモウモウだが、強風でフライがバタバタあおられまくる。するとフライ内にたゆとうケムリ全体もパッパッと、ワシらの面前をマッハのスピード(大げさかw)で前後左右にカタマリ状態で移動するのだ。雨中で吸うタバコのシケた匂いと共に、おもしろがって見ていたそのシーンはワタシの脳裏にこびりついているのです。キレット越えの濡れてイヤラシかったに違いないルートのアリサマは、何も記憶に残ってはいないのに。

山がらみのエピソードが連発しますが、山小屋が営業しているオン・シーズンでは、北アルプスでもタバコを購入できたコトを思いだした。しかし、そいつがイヤラシイ「売りかた」なんだよね。かならずマッチとセット売り。1箱150円の時代に、セットで500円とか(w 考えたもんダ。

当時のワタシ、山では節約して「セブンスター」を1日10本くらい吸っていたんだっけか。もちろん半月から3週間に及ぶ合宿中に吸うべき「ヤニ」は、まとめ買いしてザックの底に忍ばせてある。1年坊のときは必死であった。その在庫を諸先輩に悟られてはイカン。たかられるから。否。ハナから「もっと持ってきてくださいヨ」というヒトが多かったよーな。

あれは1年時の春合宿、北ア・横尾尾根から槍ヶ岳ピストンのときだったか、そうしてセコく節約しつつ最後までキープしていたワタシのタバコすら、皆にたかられて枯渇した。そうして丸3日間くらいの禁煙状態を強いられた。ワシらは苦しみながら上高地に下ったのだが、当時のオフ・シーズンには売店はもとより自販機すら置いて無く、タクシーを呼ぶには、さらに「沢渡」までエンエンと雪道を歩かねばならない。もう、ノドを掻きむしったね(汁 そうしてタクシーに乗り込んで「松本駅まで」と伝え、続けて「タバコ売ってる最初の場所で即止めてくださいっ」と叫んだ(w 運転手さんがそのワケを聞いてくれたので顛末を面白おかしく話したら、「ほれ」と気軽に人数分のタバコを恵んでくれたのだった。「ありがとうございますっ」。運ちゃんが天使に見えた。銘柄はなんだったっけ。マイルドセブンだったか。ともかく、あんなに美味いタバコは人生でなかなか出逢えるシチュエーションではナイと今でも思う。

遅れましたが、冒頭の写真について。これは1980年1月の5日あたりだったか、北ア・鹿島槍ヶ岳をピストンして下山してきたところ。真ん中のロンゲ(ボクですがw)も両脇の先輩も、ヤレヤレとばかりにタバコを吸っている。この山行は、年末の八方尾根(唐松岳ピストン)冬合宿を終えて、有志4名でそのまま再入山。「爺が岳」東尾根経由で吹雪の鹿島槍に登頂するも、往路はヒザ下くらいだった積雪が復路では尾根の下りってのに腰まで。ヒイヒイ言いつつラッセルしてきたワケです。正しく「働いたあとのヤニはウマい」を象徴する一枚かと。

DSC03748_1024.jpg

時期はだいぶ下りますが、昭和末期から平成アタマにかけて、ラード的には第1次マイ・ブームとなる林道野宿ツーリングを、そのころ住んでいた神戸を基点にアチコチで行っていた。そうして私淑する寺崎師の著書(だか雑誌記事だかビデオだったか)に出ていた、野宿地での焚火の際、「いぢり棒」の先っぽを焼いてタバコに火をつけると「木の香が移ってコレがうまい」という教えを、忠実にマネしてみたワケです(w どえらく美味かったものだ。ああ、イカン。思い出はこれくらいにしておこう。まただ。また、

吸 い た く な っ て き た (汁

cas01.jpg

【浮気を語る】
いやその。浮気といってもタバコを「CASTER」にスイッチした理由についてなんです(w 卒業間近に入社前研修ってのがあって、そのとき人事の担当から聞いたのは、タバコ呑みは働きはじめたら吸う本数が「まず、3倍に増えるだろう」という感想。3倍か、1日3箱じゃん。ワタシは考えた。「セブンスターでその量は、えらく健康に悪かろう」。そんなブリリアントな理由から、発売されて間もない「ブランニュー」のキャスターに替えたのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%B3)
キャスターは、以前にも触れたとおり「チャコール・フィルター」を使っているから、ワタシの好みである「ススけた味わい」であり、ニコチン・タールも他銘柄と比べてグンと少ない「健康的なタバコ」だったのです。え。いやいや。当時は「ライト」とか「マイルド」なんて安っぽいバリエーションは存在していなかったので、念のため(w また、甘ったるいけどキライではない香りを備え、セブンスターのソリッドな味と対極のふくよかなムードで、「ボクも社会人だ」なーんて感慨に浸ったもんだ。

それから6年間くらい、ワタシはキャスターひと筋。1日に2~3箱。平均すると50本強を律儀にケムリにしていた。パッケージのデザイン変遷の画像だが、もちろんワタシにとってのキャスターとは最初のデザインだけで完結して、思い出となっている。

さて記憶は薄れているのだが、たしか平成になったころに「節煙」を試みたコトがある。「1日ひと箱」を目標にしたと思う。そのとき、こう考えたのだ。つまり本数をバッサリと減らすワケだから、1本あたりのインパクトというか「吸った感」は、そりゃヘヴィなほうが良いだろ。そうして再びセブンスターへと出戻ったのだ。ところが、まあ節煙なんて中途ハンパな措置を続けられるような固い意思がワタシにあるハズもなく、なし崩し的にセブンスターを定量、つまり1日50~60本というスタイルにごく自然に戻っちゃたワケなんですね(汁 それは8年前の本日まで、ずーっと続く習慣となったのだ。

【値上げの暗黒史】
セブンスターなど、専売公社=JTにおける「メイン・ライン」のタバコ価格、そのダークな改定の歴史を、ここでひとつ。

・1970年 3月~ 100円
・1975年12月~ 150円
・1980年 4月~ 180円
ワタシが「チェリー」を吸い始めたのが高1の春だったワケだが、それは100円時代の終盤だった。ソコから、しかし1.5倍の値上げとは強気だよナ、専売公社。そうしてハタチを向かえ、晴れて堂々と吸っても「おk」となったスグ後に、再び値上がっている。ただし、このころは本数が少なかったから、さして痛手ではなかったのだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88
ちなみに詳細な値上げの経緯を併載しているのが「ハイライト」について解説したwikipedia。ハイライトはワタシが馴染めなかった銘柄No.1なんですがネ。マズかった。ついでに申しますとマールボロ、キャビン、ラークも、もらいタバコですら吸いたくないタバコだった。それにしても価格改定の理由ってのは「煙草税」の増税のみ、なんだな。

・1983年 4月~ 200円
・1986年 5月~ 220円
・1997年 4月~ 230円
・1998年12月~ 250円
ワタシが社会人となったときを見計らうように、200円に値上げ。ちょうど「ディズニーランド」が開園したときでもあった。200円から220円という流れは「そういえばそうだったなァ」といったレベルではある。もちろん1日にタバコ代が5~600円なのだから負担増には違いないけれど、まあ、独身でノー・ローンだし、気軽なモンだったんだろう。バブルに向かってイケイケ時代でもあったしネ。しかし、それから10年余の塩漬け期間を経て230円へと改められたときは、ワタシはヨメもムスメも自宅のローンも備えておったワケだ(汁 さらに続けて(と思えたもんだ)20円上げた理由、コイツは今も忘れられないのだが、「国鉄の借金を喫煙者からボッタくる」というファンキーなものだった。1本あたり1円だね。激怒した。だって、この10年以上も昔に消滅した「国鉄」ネタなんだからヨ(汁 さらに言うと1998年の暮れという時期は、ワタシが名古屋に単身で転勤したとき。だからコレは何か理由をでっちあげて禁煙してやるぜ、などと熱い決意を抱かせるにピッタンコのソースでもあった。今となっては感謝してもイイかも知れんが(w

これ以降、2003年7月から270円に、そして現行の300円へと2006年7月からさらに値上がっているが、ワタシはもう、やめた後だから「300円はツライだろーなー」といったレベル。

最後に、ワタシの肺を通過していったタバコにまつわるネタ、という観点から少し外れることになるが、先週のタバコ価格にまつわるこの秀逸なニュースサイト記事を読んでいただきたい。「ああ。やめといてヨカッタ」とココロの底から思ったもんだ。
http://2007blog2007.blog108.fc2.com/blog-entry-493.html
4年前の今ごろの時期、家族でオーストラリア旅行をしたときに感じたのは、マールボロあたりで1箱500円ってのは、そりゃ高価いよなってコト。本家・英国の1箱800円なんか、どんな嫌がらせであろうか(汁 今後、日本でも「マイルドセブン」が500円に、なんつったら禁煙するヤツが続出するだろうなあ、さすがにネ。国鉄借金返済をキッカケに踏んぎりを付けたワタシのように。現在なら、さらに喫煙者を取り囲む「吸いにくい要件」がいろいろ揃いまくっているから、絶好の機会ととらまえるコトであろう。いやその。税収が減ってしまうではないか。それは禁煙者にも余波が及ぶから得策ではナイ。ってコトで、1箱350円くらいで爽やかに「ちょい」値上げをしたら如何か、なんつって(w

ア・ラ・カルトTB:0CM:0
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