ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

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グッときた。

2008/03/15(土) 23:57:26

【2010年1月17日】
あれから、ちょうど15年とのこと。少しブラッシュ・アップします。

この琴線にピンピン響く2ちゃんエピソードを紹介するために、記事を立てよう。いやその。エントリー数かせぎの埋め草ってワケではナイよ。超ピンポイント引用をしつつ、ラード的に「阪神大震災」を語ります。
その1
その2

そして、その3 
「泣ける2ちゃんねる」系のネタ。

阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。

阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。

夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。

「 あ り が と う  は ん き ゅ う で ん し ゃ 」

運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。

ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。

以上です。コピペによって語り継がれている泣ける話だが、最後の2行は追加・改変されているムード。おそらく中越地震のときのバージョンだと思われる。上記のエピソードが、誰か知らん「名無し」さんの実体験だとすれば、それはこのサイトによれば震災から5ヵ月後、6月12日の出来事のようだ。

匿名掲示板である「2ちゃんねる」とは面白いもので、おおかたのヒトがイメージする通りの煽りや誹謗のカキコがはびこる反面、ごく一部では、こういったムネを打つおハナシが集まる場所があるワケだ。まあ、事実かどうかは定かではナイけれど(w 
しかし、よしんばこれらが創作であったとしても、ワタシを感動させてくれる「ネタ」つまりエピソードであることに変わりはない。語り継がれていく日本の「良心」ではないかとワタシは考えている。そして、記名では赤面して書きこめないようなネタでも、匿名掲示板だから披露できちゃうという利点もあるのではないか。まとめサイトを貼っておこう。

「2ちゃん」発のネタで書籍化やら映画化やらTVドラマ化したパイオニアは「電車男」だが、しかしあの長篇に比べれば、コチラは草の根マインド満載の掌編ばかりで、自分好みのエピソードを読み進めながら見つけるといった楽しみも。語弊があるかも知れないが、あえて言えば敬虔なキモチで「聖書」をひもとく、そんなムード(w

この阪急電車のネタを最初に読んだ後で思い出したのが、浅田次郎氏の小説「鉄道員(ぽっぽや)」だ。10数年前、ワタシはあの短篇を帰宅途中の京葉線で読んでしまったのだ。下車駅に着くまでに読み終えたワケだが、あの物語の「ツボ」部分、お分かりですよね? シートに腰掛けていたワタシだが、けっこう混雑して前にヒトが立っていた状態で助かった。ボロ泣きしたもんでネ。

kousoku_640.jpg

神戸には、ワタシは大震災の起こる2年ちょっと前までの5年半、住んでいた。その間に時代はバブルに突入して、そしてハジケていった。当初から女と暮らせるであろう広さの2DKをチョイスした識見はスルドい(w 3階建て12戸の1階のカド部屋。けっこう壁が薄くてオトが漏れたから「軽量鉄骨なのかネ」なんて思っていたのだが、退去時に家主に確認したら、ちゃんと鉄筋のマンションだった。入居時の家賃は7万円で、その後に7万3千円に値上がった。ところが退去のとき「いくらでこの部屋を貸すのか」と聞いて、ちょっと驚いたものだ。そのとき築6年を経ていたその部屋は9万円で貸すとのこと。これが当時の関西の物価推移というコトだろう。

ハナシが少し前後する。大震災が起きてから1年後の冬のこと、大阪支社時代によく遊んだ同期のヤツが出張がてら、思い出多き阪神間エリアを回って地震後の様子を見てきたことがあった。そのとき、ワタシが住んだマンションを撮影したスナップをもらった。そうして改めてビックリした。その建物自体は、まあキチンと建っている。しかしわが部屋の前に鎮座して日当たりをジャマしていた大きな和風の一軒家は、きれいな更地なのだ(汁 その手前にあった何軒もの家々も取っぱらわれて更地で、その写真を見たときに覚えた違和感とは、すなわちその撮影場所からわがマンションは、以前は見えるワケなかったからなのだ。

そのマンション右側には、壁を挟んで築30年以上に違いない木造モルタル2階建ての長屋のようなボロアパートが隣接していたのだが、もちろん写真には跡形も無い。幽霊物件などではなく、ちゃんと人びとが生活していたそのアパートなんか、一瞬でペチャっと潰されたに違いない。死者とか出たのだろうな(汁 阿鼻叫喚だったのかな。もしワタシとヨメが住んでいたときにこの地震に遭遇したら、はたしてどうなったのだろうと話し合ったものだ。建物はつぶれなくても、デカい嫁入り道具のタンス2棹が高速で倒れてきて、圧死はしないかも知れないが、蓑虫のように身動きがとれなくてヒドイ目に遭ったに違いない。
そのマンション、最寄りの駅は阪神電車の芦屋だったが、住所上では神戸市東灘区深江で、国道2号と43号という大動脈に挟まれた住宅街だった。古くからの住宅街だったから、倒壊の被害は多かったハズだ。そして画像の高速道路がひっくり返った有名な場所は、そう、マンションから1kmも離れちゃいない。阪神高速の出入り口があったあたりで、よく白バイが張っていたっけ。

有名なそのときの宿直の様子
7分間も伝える米国内でのニュース

阪神大震災が起きるまで、今では笑っちまうハナシなのだが、関西のヒトたちは「関西では地震は起きない」という信念を持っていたのだ。「え。地震? ないねん、こっちは」(w この際、イントネーションは「い」と「こ」を強調して読んでいただきたい。ともかく皆が皆、そんなレベルだったのは確かだ。別のエピソードで、こんなのがある。ある出版社のオジサンが出張で東京本社に行った。そのとき、たまたま震度3程度の地震が発生した。おや、けっこう揺れるネ、なんて関東人が感想を言いつつフト気づいたら、そのオジサン、まるで避難マニュアルに描いてあるよーに、デスクの下にアタマ抱えてもぐりこんでいたとか何とか。
すでに神戸を離れてから16年がたった。当時のワタシは独身の遊び盛りで、オマケに時代はバブルで、そりゃあ思い出はたくさんある。モノ、コト、ヒトに。でも、この震災によって記憶が分断されてしまった気がしてならない。再訪するキモチが起きないのだ。それが残念だ。


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