ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
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ピークハントと山系バックパッキング(前篇)

2009/03/12(木) 21:22:28

山の本を2冊、取りあげよう。じつはコレ、1年も前に書こうとしたネタだったんですが。引っぱってるから、こうなっちゃうという(汁 内容紹介にかこつけて、登山についてのワタシの志向を述べていこう。

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最初は、今さらながらのこの本、「日本百名山」です。深田久弥著。初版刊行は1964年。文庫化は1978年。山好きで知らんヒトなどいないロング・セラーですね。わが国でもっとも有名な山の書籍かも。著者は40年近くも昔に没していますが、良きにつけ悪しきにつけ、山に関わるすべてのヒトに今も大きな影響を与えています。

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ちょうど30年前か。奥付に書きつけた購入の日とは、1浪のワタシの私大受験ウィークが目前。文庫化された直後で、きっと「あの名著がついに文庫化した」から、そんなワケで買い求めたのだろう。売れ行き好調の模様で、すでに2刷。書店で確認したら現在は何と48刷になっていた。ベストセラーでもある。

深田久弥氏がけっこうファンキーな人生を送ったというコトは、ウィキの記事で初めて知った。昔はあの「小林秀雄君と一緒に登った」なんつー記述に「おお。スゲー」などと畏敬の念を抱いたものだが、ずいぶんデタラメな前科があるのネ(w

ところがワタシ、この本は長い間ほったらかしにしていた。まあその。現役バリバリの若い「山ヤ」にとっては、いかにも古ぼけて抹香くさい内容だからサ。でも、それから登山「塩漬け」状態の20年を経て、昨夏、飯豊連峰のバックパッキングでフッカツしたとき、久しぶりに読んでみたらコイツが味わい深くて楽しい。旅情をかきたてられる。そう、「アラフィー」となった受け手のワタシが、じつは変節していたのです。

「日本百名山」は、発行がすでに45年も昔(これ、ちょうど「東海道新幹線」が開通した年ですぜ。交通インフラが現代とは比較にならぬほど未発達という状況下。ココに注目されたし)なのだ。また著者の100山の踏破記録にしても、古くは大正時代や戦前のものが出てくるくらい(w つまり現実的には、一般的なガイドブックとしての用は成していないのです。これは30年前にも感じたコトだが。
いま、この本の意義としては、百科事典ならぬ「百山事典」だろうか。島国かつ山国の日本で、山好きが登るべき100の山を提示した事典というスタンス。著者による選定のガイドラインは、「品格」「歴史」「個性」の3つで、ほかに標高1,500㍍以上の山という前提がつく。

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昨夏、ジジイになったワタシが改めて感心した「飯豊山」の項を紹介してみよう。男らしい簡潔な言い回し、歴史の紹介と自身の「山旅」(案内人とポーターをつけた貴族的山行スタイルに注目されたい)の楽しい記憶というゴールデン・コンボです。

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格調高いこの山岳紹介は、やはり歳降りて初めて染みこむココロの滋養、そんなイメージなのだろうか(w だから「中高年登山者」という、この20年で大量に増殖した団塊世代の登山者にビシッと刺さったのかも知れない。
そして、wikipediaにあるように、選定基準のひとつがその山の「歴史」、それも信仰的な成り立ちを重視しているから、そう。四国の「お遍路」制覇を志すのと似た目的、いわば「100名山詣で」といった印象も受けますね。
「万葉集にも、斯く斯くしかじかと歌われた山である」などというドトーの由緒・歴史から説き起こされた紹介というものは、苦労してでも極める価値があるナと自分にとっての「ブランド」と昇華できるワケでしょう。

そもそも、わが国の登山の歴史とは修行の場であり信仰の対象だった。庶民の間では、たとえば江戸時代の「お伊勢まいり」のように、参拝登山旅行というムードだったのでは。
そこに新風が吹き込む。明治中ごろ以降、ウエストンを初めとした欧米人が探検的・スポーツ的な山登りを実践しまくったのです。それを受けて日本人のフォロワーが輩出した。
それら近代登山のパイオニアたちは、得てして「貴族」という富裕層だった。彼らは「山を歩き、思索し、書物に表す」知識階級でもあった。だから勤勉なわが国の登山界には、そんなアカデミックの名残がつい先日まであったワケですよ奥さん。

ついで、より困難を追求するという西洋の登山思潮「アルピニズム」の実践期が続く。これは大学生を含めた特権階級の時代から、社会人登山家の台頭・隆盛へと変遷していく。さらに、登山は底辺が拡大して、一般大衆による硬軟さまざまのレジャー登山・ハイキングが大流行する。
先日、「ビーパル」の最新号「歩く旅特集」をもらって読んでいたら、加藤文太郎が遭難死した昭和10年前後なんつー大昔にあっても、夏山シーズンには、北ア・槍ヶ岳の肩の小屋は登山者で大混雑、そんなビックリしちゃう写真が載っている。女性も見える。スゴイなあ。大衆登山の歴史もディープだ。

今から50年前までの登山史は、こんなムード。この場合のキモは、アルピニズムを体現するための「バリエーション」登山とは、より難しい季節により難しい場所を極めるのがエライ、「格が上」とする風潮があったこと。
それから、登山とハイキングは明解に区別されてもいたのです。ハードな登山を志向していた「山ヤ」時代のワタシは、もちろんハイキングなる遊びは唾棄していた。「合ハイ」、つまり婦女子と集団でイチャイチャする合同ハイキングを想起させるからナ。そんな楽しいイベントには無縁ボトケだったこのラードめにとってはだ。バーロー(泣 アメリカ式の概念かなんか知らんが、だから「ウルトラライト・ハイキング」なんてコトバ、クチが裂けても使いたくはないのだ(w

脱線した。著者の深田氏はある意味、貪欲な求道者であったように思える。より多くのピークを踏みたいという欲求、ですね。大正末期から戦前そして戦後にかけて、この100山「のみ」を登るのでも、当時の交通インフラから考えたらタイヘンですよ。だって、ヒコーキの無い時代に利尻島とか屋久島旅行だもんね。なにやら探検的なニュアンスすら覚える。
ところが現代の視点では、これは山旅に分類されるワケ。「アルピニズム」の対語である「ツーリズム」ですね。後に触れますが、登山が中高年のレジャー産業化へと大バケするまでは、この山岳紀行のガイドブック、需要は別にして存在が地味だったのではないだろうか。

ただし、深田氏は企画化に秀でていた。まず、本のタイトルがイイ。また日本全国から広く100山をチョイスするパッケージングの視点が見事だった。文章も凛々しい。生まれながらに古典的名著の風格みたいなものがあったのかも。

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だから、登山書としてはごく早い段階で新潮文庫にラインナップされたのだろう。この画像は文庫本の目次だが、登った山にマルを付けてある。そう。「日本百名山」の場合、皆が皆、コレをやるハズだ(w いつの時点のマル付けかというと、購入から半年後、大学1年次の秋らしい。つまり夏合宿での事故後、3ケ月間もの不本意なブカツ謹慎中に印したようだ。

改めて今、この深田100名山で登ったヤツを数えてみた。34座だった。高校から浪人のときに13座、大学時代に16座。大学の4年間で合わせて300日は山に入っていたのに、また、大学になってから北アルプスの大縦走をしたのに16座と少ないのは、つまり登りかたが偏っていたことになるネ。社会人になってからの25年間ではわずかに5座だが、そのうちの3座が昨年のマーキングだったりする。

「日本百名山」の魔力とは、つまりココだ。作者は意図的に企画したのではないでしょうが、指を折って数えたり、結局、コンプリートを目指したりしたくなってしまうワケ。

それでは、これからワタシが百名山の完全制覇を目指すかといえば、そいつはまあ、やらないだろう。ワシがそんなサワヤカさんであるもんか、なんちゃって(w 
マジメな理由のひとつは、物理的にシンドいこと。たとえばあの広大な「北海道」には手付かずが9座も点在している。屋久島の「宮之浦岳」なら前向きに検討したいものだが、九州の「九重山」とか「祖母山」なんかゼッタイに有りえぬ。20年前に四国の林道野宿ツーリングを盛んにやっていたとき、「石鎚山」と「剣山」は片付けときゃヨカッタと思うし、登山内容が本格な未踏峰としては、南ア南部の大物「ヒジリ」と「テカリ」が鬱陶しい。なによりワタシが忌み嫌うモニュメント「富士山」が残ってたりする。以上、それらへアプローチするための旅行の労力、費用は格別なモノがあるからです。

もうひとつの理由は、先ほどは「魔力」と述べたこの本の付加価値に与(くみ)したくはナイ、そういうアマノジャッキーな考えからだ。ワタシが山の世界から離れている間に、この100名山を完全制覇するというイベントが文字どおり「ひとり歩き」し、今ではコレを金科玉条とする中高年登山者が相当数いる、らしい。まるで聖典ではないか。なんつーか、この100山を極めれば極楽浄土に逝けるのです、そんなカルトを思い起こさせる(w 
登山という極私的な遊びの場で、そういった流行というか「ワク」にハメられたくはない。そして、ワクにハメられちまったヒトをワタシは唾棄しよう。「アナタ、この山、いくつ目? ワタシは残り10ケよ。おほほほほ」とかゆー極端な会話が山頂で日常的に飛び交っているとも聞く。むは。ソイツはおぞましい(汁

深田100名山のマーキングが至上命題って考えは、ワタシにはまるで「画一的」とか「軍国主義的」(こりゃ、オーバーかw)といったような、コリ固まったものに思えますネ。せっかくマジメで優秀な旅行者という側面をもつ人たちなのに、ねえ。たとえば、季節を変えて再訪したら鮮烈な感動を得られる山がナンボでもあるから、そう言わせてもらおう。

それから、100名山の「登山スタイル」にも目くじらを立てておこう(w もちろんスタイルとはファッションのコトではない。ピークハンティングという、その登りかたについてです。もっとも手短に目的の100名山「だけ」をマーキングする、そんな山行スタイルが一般的になっちまってるらしい。これこそ100山コレクション・ゲームの弊害の極み、そうは言えまいか。
これは、ワタシも昨夏に登った「飯豊連峰」で目にした。飯豊本峰のみをピストンする中高年登山者が多かったからだ。「ああ。これがピークハンターズなのだな」と合点したのだが、どう考えてもイイデで最も素晴らしいのは本峰から大日岳間の山上プロムナードだ。ピークハントだけして帰るとは何ともったいない、そう思った次第。ご紹介した深田氏の飯豊山の山旅では、キチンと主脈すべてを縦走しているのにね。

wikipediaに述べてあるように、深田100名山の流行を仕掛けたのは「NHK」の番組企画とのこと。それ以前から中高年登山というブームが起きているのは、もちろんニュースで知ってはいた。しかしその番組が燃料を投下したカタチで、登山の「産業化」が成された、そんなムードのようですね。マスメディアとタイアップした登山というレジャーのパッケージ化というコトか。いやその。それをワタシがどうこう言える筋合いではナイ。でも、危険と背中合わせの世界では、シロートとかバカな登山者が増えちゃって困るケースは多々出てくるワケでしょう。

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ハナシは変わります。ワタシが本格的に山へカムバックしたとき、ビックリしたコトがいくつかある。たとえば、2本ストック歩行がスタンダードになっていたコト。大型ザックが科学的に進歩していたコト。白馬の大雪渓ごときで皆が軽アイゼンを装着するコト。プロガイド引率ツアーが増えたコト。山小屋のサービスがどえらく充実(人気あるエリアに限って、らしいが)したコト、また高価格化したコト。糞尿モンダイが顕在化しているコト。交通インフラが(人気ある山に限って、らしいが)すごく発展していたコト、などなど。他にいくつもあるんだろうが、とりあえずアタマに浮かんだ順に言うと、ですね。

25年前の上高地は梓川なんてのが、どんだけバッチイ「清流」だったのかは語り草だろう。涸沢やら槍沢などの大規模山小屋群の水洗便所(ウンコを沢の流れでキジッペともども垂れ流してるだけw)からドバッと集約されたウンコ川。カッパ橋のたもとで顔を洗ったら失明するんじゃねーのなんつー心配は、バイオトイレに刷新された現在なら大丈夫、なのかも知れないね。
それから北ア登山のオモテ玄関・上高地にアプローチするのに長距離バスを使う、なんてのもビックリしたなあ。よりラクに、より安価になっている。これらは素晴らしい恩恵と言える。

でもワタシは、快適なインフラが備わったそれら人気のある山で一大勢力化しているという、ジジババ・グループの「ツアー登山」ってヤツに、今のところ直面はしていない。意図的に避けるような山行を組んでいるからですけど。小屋泊まりのツアー客のインモラルな傍若無人っぷりは雑誌のコラムで読んだが、そんなのだけには遭遇したくないもんね、わざわざ山上でサ。

そういう近ごろの山の流行を知った上で、ほぼ1年前にココロ打たれた本との出合いがあったのです。うむ。ようやく本題化するワケだが、いつものコトっすネ、ダラダラ長いワタシのハナシは。スマンコ(w それは後篇で述べていこう。

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コメント

出会った一冊、、、ずばり「遊歩大全」でしょう!
ちがいますねw
亮介 #-|2009/03/13(金) 17:09 [ 編集 ]

>亮介さん
じつは最近の本なんです。もうちょい、お待ちを。

「遊歩大全」は読みそびれました。
もうフツーには手に入らないから、ちょっと後悔しとります。

ラード #-|2009/03/13(金) 17:39 [ 編集 ]

遊歩大全、僕の地元では図書館にありましたね。
最近の本、、、なんでしょう
亮介 #-|2009/03/13(金) 19:32 [ 編集 ]

ウルトラライト・ハイキング・・・先日立ち読みした雑誌にそんなことを実践しているというメガネの男性があったような・・・

こういう記号化は、その根底にビジネスあり、ですもんね。ボクもライト&コンパクトは追求しますけれど、ハイキングにそれはないですね(^^;;
ユウ #2DdjN05.|2009/03/18(水) 13:03 [ 編集 ]

>亮介さん
うーむ。ホントに自宅PCがバカタレ状態なので更新がママならぬ(汁
もうちょっとお待ちを。

>ユウさん
モノマガ別冊のアウトドア特集をもらって(雑誌はもらってばっかですw)読んでたら、ある「ハイキング」系のオピニオン・リーダーがこう発言しています。

「ちなみにバックパッキングでなくハイキングという言葉を使うのは、僕のこだわりです。”背負う”ことではなく、自然に入っていくことを強調したいので」。引用以上。

だとしたら、「トレッキング」と言ってほしいなァ(w このあたりの違和感ってのも、後篇では私見を記してみたいと思ってます。
ええ。しばしお待ちを(w
ラード #-|2009/03/19(木) 17:19 [ 編集 ]
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