ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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山について思ったこと 弔う死・手痛い温床

2010/01/25(月) 18:30:07

昨年7月のトムラウシ遭難事件で、先月、こういう新聞記事が載った。

もちろんホントは昨年中に仕上げる予定だったネタ、なんですがネ(汁 ワタシは同じ記事を、通勤時の日経新聞社会面で読んだワケであって、昨夏の大事件として「日経」でもかなり大きい扱いだった。そして、えらく久しぶりに懐かしい人の名を見た。

事故調査委員会・座長の節田重節さん。氏はワタシがもっとも多感な時期(うひゃw)に、「山と渓谷」誌の編集長だったヒト。高校2年になったころから、ヤマケイ誌を毎号買うようになった、とは以前にも書いたネタですが、書物や雑誌でしか登山技術を知る・学ぶ機会がなかった30数年前のワタシにとって、同誌は有意義なテキストだったのだ。さらに古本屋で面白そうな特集の「ちょっと前」のヤマケイや「岳人」誌を見つけると、買い足してもいた。
そうして、ワタシが高校山岳部に入った1975年の「ヤマケイ」の表紙写真が、この節田編集長が登場するシリーズだったのだ。氏が各地の山で出会った人たちと一緒に収まった朗らかなスナップってのが1年間くらい続いていたのを今も覚えている。なんつーかもう、折り目ただしいヒトに違いない、そんな印象的なお名前だからでしょう。

言わずもがなですが、雑誌の表紙には編集長の方針・主張が込められている。ワタシが向学心を持って買い始めた高2時代の1976年度は、そのころ上り調子のクライマー、山学同志会の川村氏が毎号の表紙で活躍していた。
や。ついでに思い出した。ワタシの山のバイブル第2号、「なんで山登るねん」は、この節田編集長のアイデアでヤマケイ本誌での連載がスタートしたのだった。編集長が高田直樹氏をうまくおだてて実現に持ち込み、叱咤激励しつつ2年間ほど書き続けさせる、そんなエピソードが後に大ヒットしたそのエッセイ群をまとめた単行本に書かれてれている。

ところで、参考になる画像を求めてググってみると、この1976年あたりの「ヤマケイ表紙」ネタが即ヒット。おお。何とすばらしい。
この記事写真の右下、バンダナにナッツをぶらさげて攀るアメリカンな表紙の号が、ワタシが初めて買ったヤマケイなのです。その直前の4月号(左上)のデカいパックフレームを背負ったバックパッキングの表紙も、そういえば覚えている。ナッツぶらさげてクライミング中の足もとがラバーソールのブーツを履いているかは覚えていないが、はたして当時の国内でそんなヨセミテ流クライミングを実践していたヒトなんか、いたのだろうか。
この表紙シリーズは、あの時代のアウトドア遊びの新たなトレンドを紹介しているかのようだ。そもそも「アウトドア」なんつーコトバ自体も、このころに初めて登場したのではなかったかしらん。ちょうど「Popeye」誌が創刊したころでもある。ファッショナブル(死語?)なヤング(死語?)たちが、シェラデザインズの60/40マウンパとかノースフェイス製ダウンベストをヒケラカシながら着ていた時代だ。

閑話休題。タイトルにした「弔う死」とは、ご想像のとおり、昨夏に「2ちゃん」で飛び交ったコトバです。不謹慎のようでいて正鵠を射るネーミングと思うんですが、どうだろう。「手痛い温床」とは、低体温症をイッパツ変換すると、こうなる。コレも何やら暗喩のような含みがある、よーには見えませんかネ(w
そのトムラウシ大量遭難事故を俯瞰した検証は、ヤマケイ・岳人両誌の10月号(だったかな?)にも載っていたし、また、こういう踏み込んだ検証動画も「うp」されている。

最初に貼った事故調査委員会の新聞記事を要約しまくると、こうなる。ツアー・ガイドたちのマインドおよび経験値が低レベルであること。危機管理面でずさんな運営。そしてツアー参加者たちが持つ3つの問題、すなわち工夫ができないという低レベルのアウトドア・スキル、名のあるツアー会社だからと妄信すること、それによって事前に調べたり研究するという当然の事前作業を行わない甘えがあったと。
こうした原因がからみあって、起こるべくして「再び」起こった遭難というワケですね。と言うのも2002年にも同じ山、同じ状況で前例となる遭難があったのだ。この新聞記事に書いてあるコトバ「小屋を出なければ、何も起きなかった」、これが発端としてふたつの事件を象徴している。

ところでワタシの感想としては、これからも「ツアー登山」などというイベントには参加するつもりもなく、また「アミューズ」をはじめとするツアー主催社の(えてしてアコギな)実態も知らんワケで、ココでは触れない。しかしながら、ツアーの参加者たちに対しては思うところが多い。ソコについて述べていこう。

というのも、こんなレベルなんだもん。ナニもここまで「お客さん」マインドを極めなくてもイイではないか。マッタク(w ハイキング・レベルを超越した山岳、トムラウシでサ。もちろん、こんなシロートさんはごく一部だとは思う。しかし、ひとつのパーティとして行動する場合、これらのヒトは言いかたが悪いが「地雷」となる。たまたま同宿や同道した他者も巻き込みながら、歩く地雷となる。

言わずもがな、登山の世界は「自己責任」が基本です。ハナから誰かを、また何かを頼って行く場所ではない。最近では、そんな基本すら理解できずに「山に入れちゃう」というイージーなシステムがあるという点に、留意するべきだろう。
以前とは違って、ネット環境と少しのPCスキルさえあればナンボでも無料でさまざまの情報を得られるワケだから、何ひとつ準備を行わないヒトって余計に始末が悪いと思うんだが、どうか。
前述のわがバイブル、「なんで山登るねん」にあった印象的なコトバを改めて紹介しよう。「山ではおんぶに抱っこと、何でもせんとイカン。せんでもエエのは、産婆だけ」。

ワタシ、もちろん人助けをするのがイヤってワケではない。でも、自分の準備不足を棚上げしてヒトさまに当然とばかりの施しを受けてたりする、「山ヤ」の風上にも置けない輩が気にいらんのだ。え。いやいや。登山の領域に分け入ってくるかぎり、誰だって「山ヤ」であります。「山ヤ」であることを求められるのです。甘えんなよナ。
たとえば、どっかのブログで見たネタですが、ある登山時にひどい頭痛が始まったのだという。もったいねーと感じたのか進むことに決めたから、さあタイヘン。ドロドロのヨレヨレで目的地に辿りつき、その後、見かねたキャンパーから頭痛薬を恵んでもらってコトなきを得たとかナントカ(w これが高校生ならカワイイかも知れんが、小きたねえヒゲを生やしたアラサーの兄ちゃん(当該ブログからカクニンした)だから冷笑もの。あまつさえザックの軽さとパッキングの小ささを自身のブログでネタにして、いつもジマンしているらしい。それにしても基本医薬品すら持ちものから省いてひけらかす「ちっこいザック」って、どんだけ。あはは。 

さて。7月の、たかだか2千チョボチョボの山、しかしながら北海道という別格のロケーションにあるトムラウシでバタバタと倒れた原因が「低体温症」だったという。ラード的には「おニュー」なコトバ、ですね。ワタシが馴染んでいるのは「疲労凍死」だ。この記事によると、疲労凍死は「見た目の様子」であって、低体温症はその「原因」、という解釈でイイのかな?

20年くらい前の「ヤマケイJOY」みたいな雑誌の印象的な記事を今でも覚えている。ある年の8月、北ア・白馬岳の夏山取材レポだった。大雪渓で遭難者が出て、そのヒトを回収している現場に出くわした、というネタだ。「うーむ」と唸ったのは、遭難者が30歳前後で、ビギナーではない単独行の男性。そんなヒトでも夜行列車で入山して、岩陰で冷たい雨を避けながら「ほんのちょっと」居眠りをしたら、そのまま昇天してしまったという。これが疲労凍死。ヒトってこんなカンタンに死んじゃうワケか、と驚いたものだ。
昨年7月の、こんなニュースも「うp」されている。このショップはICIの神保町本店ですナ、正しいチョイスだ。内容は一般の視聴者に発信しているものだろうが、夏山しか考えていないビギナーたちは、もしかしたら知らないヒトも多いのかも。まあその。いかにワシがイモ野郎とはいえ、こんなアルミホイルにくるまりたくはないですが(w 

若いころのワタシはカラダもメラメラと燃えていたから、今では信じられぬくらいの薄着で真冬の3千㍍に暮らしていたし、指は1本も落とすコトなく健在だ。まあ、その程度の山行だったワケですが、当時は「末端あったか症」と自分でネタにするくらい、凍傷にはなりそうもない優秀な手足だった。
そして、上記の装備アドバイスにあるような「濡れても冷えない」ウェアの工夫を取り入れるのは、恥ずかしながら、じつは結構あとになってから。最初の冬山である奥秩父・金峰山(高2の12月、山岳部の友人と2名で、増富からピストン、小屋泊)を登るにあたって、オヤジの着古した「ラクダ」の下着上下をもらったときだった。当時の機能素材なんて、ラクダとウールくらいしか無かったワケです。
それまでは、あまり汗をかかない体質だったコトもあり、フツーのコットン製Tシャツで夏の北岳だの赤石岳だの丹沢の沢登りなんてのを行っていた。それでヒドい目に遭遇していないのは、ただのラッキーか「末端あったか症」のオカゲだったのか。
そういえば、この記事を「うp」した後、当ブログに「末端あったか症 そんなもの ない」とかゆー香ばしいワードで検索にきたバカがいた。そりゃ、ないわサ(w ワテクシの勝手な造語なんだから。ま、そんなマヌケでも啓発にあふれた当記事をお読みくだすっているワケですね。へえ。

そんなころ、自発的に立案・実施した個人山行で今も忘れられぬ「つらい目」に遭遇したときのハナシを、恥をしのんでご紹介しよう。かつて、ワタシにも遭難予備軍のような登山体験があったのです。

P1030266.jpg

写真は八ヶ岳山麓、清里。背景はこの山行の目標、主峰の「赤岳」。2,899㍍。高校2年生になったばかりの1976年、GWのことです。山岳部の同期のヤツと2名で真教寺尾根からピストン、頂上小屋で素泊まりする「夜行1泊2日」という予定。蛇足ながら、まだ「清里」がクソ恥ずかしいメルヘンチックに町に変貌する直前で、タダの高原の寂れたオミヤゲ街だった。

ともかく、このときのウェアが無知もいいトコなのだ。コットンTシャツ+デニム長袖シャツ、千円くらいのナイロン・ポケッタブルかぶりヤッケ、帽子の類はナシ、下半身はコットンのブリーフ、ウールのニッカー、靴下はニッカホーズとショートのウール2足、靴はタダのナイロン製「元祖」キャラバンシューズで、当時はまだピッケルとかアイゼンは触ったコトすら無く、さらに綿軍手だ。防寒着はウールセーターとボア襟付きナイロン製ドカジャン。
右に見える紺色のパックフレームが時代を感じるでしょう。この山行のために買ったモノだったか記憶はオボロだが、三信製織というメーカー(現存してますナ。昨年、「ウィルダネス・エクスペリアンス」という懐かしいザックのブランドをリメイクした)の「ワイルドグース」というブランド。いま思うとチャチな造りだが、当時は愛用のマイ・ザックではあった。アウターフレームのバックパック、そのころ「だけ」流行ったワケだが、欲しくてね。それまでデカいザックといえば山岳部共同装備のカビ臭いキスリングしかなかったからネ。
オレンジのヤッケは、この日、登りルートのどこだかで休憩時に置き忘れるというお仕置きつき。胸に見える「2」という紙製のタグは、ブタ混み状態の中央本線の乗車指定票(指定席券ではなく、自由席の2号車に乗ってよろしいという権利だ)だと写真裏面のメモにある。うーむ。時代ですナ。
それにしても、ですね。ワシ、5月アタマの2900メートルの山に雪があるとは思ってもいなかったのかも知れん。行けば何とかなるだろう、そんなレベルで。バカな16歳なのでした(汁

今では登山道の様子なんか何ひとつ覚えちゃいないが、キョーレツな印象が残るのが、宿泊した「赤岳頂上小屋」でのデキゴトだ。その夜は「満員だもんね」なんつーナマやさしいレベルではなかった(w 敷布団1枚に3名。完全サシミ。後にも先にも不滅の体験です。となりのオッサンが寝返りをグルグル打って、ワシと共有している掛け布団をローラー的にアッチ側へと剥ぎ取っていきやがる。えらく苦しい一夜だった。

そうして翌朝、さらにモンダイが起こる。ヒトより遅れがちにデッパツしようとするときに気づいた。なんてこった、ワシらのキャラバンシューズが「無くなってる!」。今回、この写真プリント裏面にメモ書きがしてあるのを発見、すでにオボロだった当時の記憶が正された。今まで友人の靴のみが無くなったと思っていたのが、ワタシのも含めて二人分、片方だけを、誰かが間違えて履いていったらしい。小屋の従業員の対応はソッケなかったとメモにある。まあ、そうだな。コレも自己責任です。こういうイタイ思いをしつつ、オトナになっていくワケで。
暗い小屋のゲタ箱で、同じ靴なんかナンボもあるだろう。まさか悪意をもって持ち帰るコトもないだろうが、その場に残されたキャラバンシューズはワシらの足にはキツいサイズだった。ちょっとデカい靴を履いていったヤツめ、気づけよ、マッタク。友人はビニール袋を足に巻いて下る、とかホザいてるし。ナニ言ってるんだと必死で止めましたよ。そんなカッコ、外にでたら数歩でスリップして即昇天できるだろう。

P1030264.jpg

ようやく小屋を出たら、こんなファンキーな天候になっていた。天は試練を与えたもうた(w 
ドカジャンを着てますナ。この場所が赤岳のてっぺんなのかは記憶にない。それでも何でも、こんなコンディションをピッケルもアイゼンも持たずに下って行けたんだから、16歳のワシらもヤルではないか。怖くはなかったのか。
しかし、これこそ遭難予備軍だよなあ。「天気を気にかけたか?」、いや。そもそも当時は天気図を読めたのか疑問だったり。「防寒、防水は気にかけたか?」、いや。気にかけていたのかも知れんが、お門違いっぽいわな(汁
再び清里へと下山したワシら、とくに濡れて寒くて死にそうとかいうほどでは無かったと思う。まあ、発育途上のバーニング・バディのおかげで持ちこたえたというコトでしょう。

ところで、昨年末から新たな冬山シーズンが始まって以来、いくつかのネットをにぎわす山での事件が起きた。たとえば富士山での片山右京パーティの遭難は、あれだけヒマラヤでの実績があるヒトたちがテントを強風に飛ばされるなんて、と思った。また、荒れた正月の北ア・黒部五郎で、プロ山岳ガイド・山田哲也氏が天気を読めずにツアー登山を強行、しかし雪に阻まれて動けず、安直に救出してもらうべく「ヘリ」を呼んで「全員、元気に」下山するというイベントも。コレなんか「ガイドが、ヘリタク!」と例の掲示板の有力スレで、ハゲしい祭りになりました。つまりタクシー代わりに無料ヘリを回してもらうという所業に非難が集中したワケ。あまつさえ、このツアーの参加者を募集するときの案内コピーが、こんな香ばしいモノだったからだ。

>八ヶ岳辺りで多くの「雪山登山者」がチャラチャラと食事付きの山小屋泊で行うチンケな
>登山が主流となる中でテント泊で無いと行けない真の雪山は閑古鳥が泣いています。
>わが「風の谷」は絶対に他の登山者が行かない北アルプスのど真ん中・黒部五郎岳で
>合宿講習を行います。豪雪の原生林の森を延々とラッセルし、稜線へと 這い上がり、
>コンパスでルートを捜して立つ僻遠の山頂。数年前に北ノ俣岳で風雪の前に撤退した
>痛恨のリベンジです。

なんという「燃料投下」(w まあ、竜頭蛇尾の典型と言えますね。報道でも「みじんも疲れを見せず」などと茶化されとるし。この山田氏、登山の技術ガイド本などを出版するなど手広く活躍するガイドだということだが、さて今後は…。

こんなときに思いだす有名な動画がある。身につまされるような、冬の「吾妻連峰」での大量遭難事件の検証ドキュメンタリです。未だ見たことがないヒトは、「ニコニコ」の全3話を、じっくりごらんいただきたい。
これ、典型的な「擬似晴天」という悪魔のトラップにやられた山スキー(今ではBCスキーと言うらしいね)のパーティ。しかしまあ、冬山をナメていたということになるワケですね。3度目となるコースだから慢心したのか、7名パーティにして誰もラジオ、ツエルト、スコップを持っていない。予定調和的にドンドン「いくない」方へとナダレこんでいく。怖い。なんとなく「トムラウシ」の一件に似ているムードでもある。
このときの大荒れだった首都圏の様子ってのは、ワタシもよく覚えている。ヨメがちょうど臨月で、ヨコハマの外れにあったアパート周辺では積雪が30cm近くになったのだ。コーフンしたワシはムービーを持ちだして、町内をひと回り(w
ああ。あんな状況の冬の稜線にいたワケか。山を知らぬ「ニコ厨」のガキどもが糞くらえなコメント、あ。いや失礼。ウンコ食べなさい的な放言をしていますが、言っておくと、1994年とはケータイ電話は一般的でなかった。まだ「8」系の電話番号が登場する前、だったんではないか。いずれにせよ、こんな山中でつながるワケない(w もちろん「ガーミン」などハンディGPSがあるワケもない。
最後、死を悟った女性メンバーの「今まで親切にしてくれて、ありがとう」というコトバには、ツアー登山ではありえないだろう山仲間の「絆」を覚えて、見るたびに涙腺がブチ切れてしまうワタシだ。

もうひとつ、「ようつべ」の動画をご紹介しよう。こちらには、希望がある。詳しくは書かない(うp主のコメントを参照されたし)けれど、ある山岳救助隊の活動記、全5話だ。
この中では、第2話の冒頭、穂高で滑落したソロ登山者を救出するところが、グッとくる。「死んじゃうのかな」「言わない!救助隊員に、そういうこと言わない」。泣ける。

あらためて思う。
山ってのは、いつでもドコでも、誰にとってもリスキーなのだなと。
それでも何でも、そこに行く、そこに登る価値を、すべての登山者は思い定めているワケですが。

元「山ヤ」の体験談CM:18
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コメント
長くなりました。安全関連の話題大好きなもんで
自分がひとり歩き好きなのは、なにもかも自己責任なところが多分、いろんな意味で気持ちいいからだと思います。ヒロイックな思いこみも多少あって、イザ遭難したら単なるはた迷惑になるのは自覚していますが。
しかし、その代わり、安全関連の装備は日帰りでもかかせません。そしてものすごく臆病です。

で、困るのが他人を連れて山に行く時。めったに山に行かない人々にとってはただの「ハイキング」である時に、どこまでリスクの可能性を自覚させ、どういう装備まで要求するか。。。夏の低山であれば、綿のTシャツもありだろう、いや、念のために。。。云々

結局、自分のザックに彼らの分まで「念のため」余分な装備を忍び込ませてゆくことになります。さらにルートもなるべくリスクの少ないエスケープだらけのところを選びます。

で結局、やっぱりひとりがいいや、となるんですね、これが。

あとひとつ。
イタリアの山好きと話すと、天気図というものの存在すら知らぬ人が多いことに気づきます。確かにラジオ放送でそういうものがあるのか未だに不明ですし。日本ではあれが書けないと2ちゃん辺りでボロボロに言われますが(笑)それで気がついたのは、もしかしたら、テント泊縦走というスタイルがこちらでは存在しないためではないかということです。キャンプ指定地も高所にはなかなかないようです。小屋どまりのみだったら、確かに、天気予報は小屋主から毎日聞けますからね。

亮介 #-|2010/01/26(火) 03:16 [ 編集 ]

>亮介さん
サンクスです。

「単独行」。ロマンあふれる響き、ですよね。
そもそも野郎の「山ヤ」って、たいがいロマンチストなんだから、ソレに憧れるんじゃないですかネ(w

パーティを組む場合、ヒトの世話をする・面倒を見られるヒトじゃないと、うまく立ち行かないですよね。
そんなときに依存心バリバリのヤツが紛れこんだりすると、ムカつくワタシはガキだと言われます(w

イタリアの登山事情って、えらく興味ぶかいハナシです。
ヨーロッパ・アルプス自体、昔から営業山小屋が充実していると本なんかで読みました。
「オートルート」みたいなのも、小屋泊で続けるんですかね。あるいはビバークか。

一昨年の夏、はじめて「尾瀬」を訪ねて実感したコトですけど、日本でも、これからは「山での幕営」ってのが規制されていくのでは、などと思います。
「環境」保護の視点から、いいワケないですからね。極論すると、入山規制も将来は導入されるかも知れません。
まあ、オトナな文化のヨーロッパとは違って、ダラダラな日本では、できたとしてもずいぶん先でしょうけど。山岳信仰登山という歴史もあるし。

いや、おもしろい。そういう山の比較文化論みたいなヤツ、ぜひ、ブログ記事にしていってください。
ラード #-|2010/01/26(火) 11:07 [ 編集 ]

イタリアでも北部に住んでいれば、アルプスの登山事情をリポートできるんですが、中部に住んでいるため最寄りのアペニン山脈のシビッリーニ山地というマイナーな山域にばかり通っています。
オートルートもちょっとググって見たら、やっぱり山小屋泊が基本のようですね。

シビッリーニは最高峰でも2450mくらいで、稜線まで羊のむれがやって来るような場所です。なので、徹底的に人の手が入った「自然」です。

自然公園として天泊は禁止されていますが、一部の時期のごく一部のルートをのぞけば登山者は極めて少なく(誰にも会わない山行も多いです)、羊飼いの小屋(大半は廃虚と化していますが水場があります)のそばなどでビバークする分には罪の意識が軽いです。もともと荒らされてますから。

オーバーユースという現象がほとんどないためか、山小屋関連の人たちと話しても、天泊について厳しく言われることはありません。なんで「小屋があるのにわざわざ寒いテントで眠るんだ」というごく自然な疑問を呈されては言葉につまるわけですが(笑) その辺があるいはイタリア人登山者の平均的な意識なのかも知れません。
亮介 #-|2010/01/26(火) 19:02 [ 編集 ]

イタリア北部って、ドロミテでしたっけ?
メスナーが住んでいたトコロ、だった記憶が。

まあ、わざわざテントを張って寝るのが好き、なんつー「ヘンタイ」を理解してもらうのは、説明がメンドーですわネ(w

こうしてみると、日本の飯盒炊爨文化とか野営文化って、わりと独自に発展したワケですね。専門メーカーが規模のワリに多いし。
いや、面白い。
ラード #-|2010/01/26(火) 22:05 [ 編集 ]

イタリア北部の右手にドロミテが、左手にアルプスがある、で、半島中央の背骨部分にもとアペニン山脈がずっとあるという感じです。

「ヘンタイ」w この手の喜びはふつうのイタリア人よりドイツ人のほうが分かってくれそうですね。メスナーも一応イタリア人ですが、ドイツ語圏の人間ですから。
亮介 #-|2010/01/26(火) 22:51 [ 編集 ]

もとアペニン山脈>アペニン山脈

誤記でした。
亮介 #-|2010/01/26(火) 22:54 [ 編集 ]

ははぁ。ドイツ人は、よりヘンタイですか。さすが元「枢軸」。
あ。伊太利も同じでしたね(w

そんな整備された環境・風土で、よく昔からヒマラヤ遠征なんかの長期間の集団キャンプ生活とかできたナ、なんて感心します。

で、今さらですが、イタリアの国土をグーグル・マップで確認しました(w
長靴形の半島から、ずいぶん大陸まで食いこんでいたんですね。ミラノ市なんか、あんな位置なのか。
アペニン山脈も理解できました。山国なのね、イタリアって。

ラード #-|2010/01/26(火) 23:25 [ 編集 ]

  おはようです。

 正月休みに入る前に年末年始の週間天気を見ていて「今年は遭難事故がかなりあるな」と思っていたけどやっぱりありましたね。
 そして救助された人から必ず出るのが「こんな悪天今までに経験したことない」の言葉。
 そんな経験したことない悪天が毎年のようにあるんですけど・・・。
 このまま行くと日本の冬は温暖化どころか南極かパタゴニアみたいになっちゃいそうです。
IK #-|2010/01/27(水) 07:11 [ 編集 ]

>IKさん
どうもどうも。
「イイワケは、イイわけ無い」。キモに銘じたいと思います。

黒部五郎の一件は、疲れる前に回収ヘリを呼んじまったから論外ですが、北穂に逝ったヒトなんか、あと半年くらいは雪に埋まったままなんでしょうね。南無。
尾瀬で吹雪の中を3日間ほどビバークしたベテラン・ソロの女性が家族に捜索依頼を出されて、晴れたからトコトコ下ってきたところを身柄確保された、とかありましたが、昔と違ってこのあたりの判断がえらくナーバスですね。
こんなんじゃ、ケータイが通じるインフラが整った冬山しか、登られなくなっちまうかも。

ラード #-|2010/01/27(水) 11:03 [ 編集 ]

映像も文も読み応え有りました、お疲れでした。

滑落って怖いなぁって思いました。
片山右京パーティの件は野口健氏のブログでも触れられてましたね、乗り越えて欲しいとも思いますが。

杉山隆男著「兵士を見よ」のF転(戦闘機から降ろされる左遷、この時は救護隊配属)を命じられ”実戦”を経験するパイロットの話が良かったです、パラメディックの話も有るので。


>あと半年くらいは雪に埋まったままなんでしょうね
逗子開成高校の冬山登山でGWに回収ってのを思い出しました、合掌。
http://www.zushi-kaisei.ac.jp/history/100history/100story/100story7.html#mountain1

アンデスの聖餐(ウルグアイ空軍機571便墜落事故)とか思い出して更に…いや、「生きてこそ」得られる物が有るのだと思います、orz
古美根 #NTJgKIh6|2010/01/27(水) 22:32 [ 編集 ]

>古美根さん

あー。その高校の一件、よく覚えてますよ。ご存じなかったか(w 
ちょうど4年前に書いた以下の記事、シリーズで6作を、どぞ。
http://uemat.blog33.fc2.com/blog-entry-54.html

事後、公共放送局の「るぽるたーじゅ・にっぽん」という検証ドキュメンタリに出演したし、事件の5年後くらいに「潮」という雑誌の取材も受けました。
まあ、それくらいの大事件。昨夏の「トムラウシ」遭難の衝撃以上、ではなかったかな。学園もツブレかけたし。

公共放送局のギャラ、ひとり3k円でした。主将の先輩と収録の帰り道、「ウマいスパゲッティ屋があるんだ」と言われ、ギャラを握りしめて渋谷スペイン坂へ。ハシで食べる大評判のその店ってのが、今はドコの町にもある「五右衛門」の第1号店、だったのサ。
ヒトに歴史あり、みたいなハナシでしょ?(w
ラード #-|2010/01/28(木) 01:13 [ 編集 ]

ラードさま
どもです。
見ました-、ZK高校は相当、無謀だったのかな?って思いました。
山は自己責任、これは野口氏も言ってました。

バイクのエントリーやサバゲの所も見ました。
千葉は個性的なラーメン屋が多いですね。
ゲームで千葉まで行ってるんだからもう少し味わってから帰りたい物です(違
暖かくなったらバイクでぶらり旅で行きたい物です、流石にバイクの時はゲーム無しの時にしたいですがw
この20年、愛知や多摩&埼玉方面に住んでて一昨年から地元の湘南に帰って来て浦島状態で楽しんでます。
愛知関連でのエントリーって有りましたっけ?
古美根 #NTJgKIh6|2010/01/28(木) 18:42 [ 編集 ]

>古美根さん
あー、本日25回に及ぶアクセス、サンクスです(w

名古屋時代のネタ、まだ何も書いてないですねー。
いずれ「サバゲを始めたときのこと」という8年くらい昔のコトを書くハズ、ですが。
ラード #-|2010/01/28(木) 21:54 [ 編集 ]

ラードさま
プーは暇なもので、いや就活もしてますがw

名古屋関連、特に食い物関連を期待してます、独特な名古屋めし系を…関東でも食えるのが有りますが、あんかけスパとかコメダ珈琲のシロノワールとかw
(岐阜や三河との違いとかも面白いんじゃないかな?とか思います)
自分は愛知の岡崎に都合7年位居ました。
古美根 #NTJgKIh6|2010/01/29(金) 02:00 [ 編集 ]

冬の遭難は以前は雪崩や行動中の雪庇踏み抜きの滑落って感じだったけど、最近は悪天即遭難って感じですよね。だから尾根上の一般登山道が多いし、場所も八方や八ヶ岳など手軽な場所が多い。
 また携帯が通じるからすぐ救助要請するし、逆に通じないと家族がすぐ救助要請しちゃう。警察だとタダだからなぁ、やっぱり救助費はしっかり取るべきだと思いますね。たしか長野県の遭難ヘリ経費は3億って言ってた気がします。
 たまには「悪天で下山が遅れるけど回復したら下山するから大丈夫だから騒ぐな!」ぐらいのこと携帯からないんですかね。

 北穂でも遭難はありましたっけ?ま~出るのは秋でしょうね。
 学生の時北穂で1人逝って見つかったのは秋、また10年ぐらい前北穂で1人逝ったけどそっちはまだ見つかっていません。たぶん魚のえさになって骨は今ごろ下流のダム湖でしょうね~。
 
IK #-|2010/01/29(金) 17:52 [ 編集 ]

>IKさん
なまなましすぎのコメント、サンクスです(汁
では、ワシも。

30年前で、課金される方の長野県警が1分1万円、でしたよ。
イージーに下界と連絡がつくブツを持ってると、つい依存しちゃうワケですかね。山岳保険にも入ってるし、とかで。まあ、この時期にあんな場所に行こうってヒトは、もっと根性だしてほしいですね。そんなトコにもう行かないワシは、つくづくそう思う(w

北穂はマチガイ、奥穂でした。
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/1939/100103sounann.htm
そういえば、元同志会のネイチャー・カメラマン、岡田昇さんも冬の穂高に消えて、かれこれ8年ほど。まだ見つからないですからねえ。

例のゴーロクのときの「ZK」パーティ、全員が出たのが夏前、だったかな。業を煮やしてダム湖の水門を開けたら、流れ出てきたとか。その中にコモンの先生がいたらしい。そうして、その遺骸を生徒側の親がケットばしたっつーんですからね。たしか「潮」に書いてありました。いや、山で死んではいけないト。
ラード #-|2010/01/29(金) 18:54 [ 編集 ]

  ゴーロクの時はまだ民間ヘリだったけど、あれいくら掛かったんですかね~?想像しただけでも身の毛のよだつような金額だったんでしょうね~。

 まだ出てこないのはそのOです。ちょっとした知り合いなんですよ。たしか出たのはカメラだけだったような気がします。
 
IK #-|2010/01/30(土) 04:10 [ 編集 ]

>IKさん
「身の毛のよだつ」、たしかに(汁

ゴーロクで、ワシらパーティの2日遅れで爺ケ岳南尾根に取りついたヒトの記事を見つけ、貼らせてもらいました。あのときの天気図があるんです。

「O」氏、知り合いでしたか。遺骨も無いというのは遺族にはつらいでしょうねえ。
個人的な氏の印象は、アナの開くほど読みこんだ「谷川岳の岩場」のカメラマンだったこと、これまたハマった椎名誠の「あやしい探検隊」のメンバーだったコト、ですね。
ラード #-|2010/01/30(土) 12:05 [ 編集 ]
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