ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
奥義を研究する日々(w

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山について思ったこと 赤石山脈とワタシ

2010/08/29(日) 23:48:34

P1040777.jpg

夏山紀行をスタートする前に、まずは、ワタシと南アルプスの山々との「係わり」を記しておこう。
まあその。個人的な備忘録、美しい「おもひで」ってヤツです。昔のネタを蔵出しするのは「ロック・デイズ」のシリーズでお終いにしたハズだったんだが、ココを押さえとかないと、今回のバックパッキング・テーマ「荒川三山リベンジ」ってのがご理解いただけないだろうからネ。ワタシの登山キャリア最初期となるヘンなファッションの写真たちをペタペタ貼りつけて押し売り的サービスをしますんで、笑いながら読んでくださいませ。

ほら、ワシ、山なんかタマにしか出かけないからサ、もったいつけないと始まらんワケじゃよ(w

さて。ワタシが登山を始めた高校生時代から7年間というもの、夏といえば毎年、南アルプスの登山だったワケです。最初は高校山岳部だ。メイン・イベントである「夏合宿」は、1年次が北岳、2年次が赤石岳。そして3年生の夏はソロで鳳凰三山を歩いたし、翌年の浪人時代には、これもソロで黒戸尾根から甲斐駒と仙丈ケ岳に登ったものだ。

だから、ワタシが北アルプスにデビューしたのは、大学山岳部に入ってからのコトになる。ずいぶん遅咲きだったことよ。わが高校の山岳部が「南ア」にしか行かなかった理由は、まあ、想像がつきます。北ア山域よりは近いこと、北アよりはヒトが少ないこと、そして北アよりは危なくなくて手ごろ、そんなムードだろう。
ところが、後で述べますが、夏合宿では毎回、計画どおりに進まずに予定を短縮しちまうっつー低レベルな集団だったワケ。そんなレベルに飽き足らず、だからワタシは独自に「沢登り」を始めていったんですけどね。

そのころ、北アルプスの山々ってのは敷居が高いというイメージが、ワシらにはあったようだ。南アと比べて困難に思えた。大学山岳部で北ア「ばっかり」登るようになると、やはりいろんな面で北アの山々には「華」がある。比べると南アってのは、いかにも地味だった。まあ、アルピニズム的なコトを追求していた時分の若気の至りな考えですが、これは仕方ないコトでしょう。

それでも何でも、えらく低レベルな山行(「さんこう」と読むんだよ。最近、変換しないからか「山行き」とか書いてるアホ多すぎw)だったとは言え、ワタシの15歳の夏に、3,000㍍峰などという未体験の非日常な世界の扉を開けてくれた高校山岳部ってのは、やはり非常にありがたい存在と言えました。

そんな時代を含めた赤石山脈とワタシの7つの山旅を、ご紹介してみよう。






◆北岳・間ノ岳ピストン@1975年7月22~26日 

P1040775.jpg

これがワタシの3,000㍍初体験となった、高1の夏合宿です。15歳。当初は「白峰三山」という定番コースの縦走を予定していたのだが、女子部員がバテたからという理由だったか、間ノ岳までのピストン・ルートに変更されたのだ。

これらスナップ写真の裏面には、この年の暮れに記したというボールペンのメモ書きがあり、今回、何十年ぶりかでタイムカプセルのように、その内容を見たワケです。また、資料としてはもう1系統あり、「ヤマケイ」誌付録だった登山手帖の1冊に、ワタシの高校時代3年間の「登山譜」ってものを書きつけてある。すでにドコをいつ登ったのか忘れかけていた1978年の浪人時代にカンタンなメモを残していたのを、これも今から数年前に「発見」したのだった。
それによると、この夏合宿までにワシらは、5月の奥多摩・御前山を日帰りで、6月に丹沢の鍋割山~搭ノ岳~バカ尾根をやっている。このときは二俣というところで、ワタシは生まれて初めての幕営体験をしたんだった。この山行はボッカ訓練だったと思うが、その次の3回目で白峰三山とは、そりゃ、ちょっとブッツケ気味だよね。

さて、写真は「2日目」(日程のカウントについては、夜行列車に乗るだけでも、とりあえず1日目と数えましょう)の朝、広河原にてデッパツ準備中。腰にタオルを垂らしているのがワタシです。北岳バットレスと左に大樺沢が望める。

この合宿時までに自前で調達した個人装備なんか、ナイロン製のキャラバンシューズとウールのニッカボッカとニッカホーズ(長靴下のこと)、水筒とアルミ食器くらいだったのではないかな。マッタク思い出せないのが雨具で、いったいどんなヤツを使っていたのだろう。それらの装備たちは、もっとも高校から近くにある山道具屋、鶴見の「IBS石井」で調達したハズだ。
そういえば、寝袋についてもナゾがある。どんなモノで寝ていたのか。いや、部の装備品を皆で借りていたハズだけどね。個人で寝袋を所有するヤツなんか、あまりいなかったんではないか。ワタシだって羽毛(モドキ)の「ニッピン」オリジナル・シュラフを買ったのが、2年次の夏合宿前だったくらいだから。きっと部室には大量の寝袋が、共同装備としてストックされていたんでしょう。さすがにマミー型だが、中身は化繊綿のチープでガサばるヤツが(w

P1040776.jpg

このときの登山ルートは「逆回り」で、裏面のメモによると、2日目は御池小屋で幕営している。覚えてないけど。ま、計画を縮小するくらいだもん、ワンデイで肩の小屋まで上がれるワケはないでしょう。
この写真はその翌日、3日目の登り。両肩「のみ」で重荷を背負うキスリングは後ろに引っぱられて、だいたいこんな前傾姿勢になったもんだ。クッション素材なんか入っていない肩ベルトがギッチリ食いこんでいるようです。山岳部共同装備のキスリングを含めて、重さはどれくらいだったのだろう。日程は短いし人数も多いから、せいぜい25kgくらい、だったのかな。ちなみに、上の赤いモノは家型テントのフライシート。

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妙に変則となった行程は、こんなムード。当然すべて幕営なのだが、2日目は御池小屋、3日目は肩の小屋まで。4日目はカラミで北岳と間ノ岳をピストン。5日目、装備を背負ってナゼか再び北岳を越え、大樺沢を下って下山するという。ヘンなの。
この写真は、北岳山頂にて。4日目の往路での一枚だが、左端でカッコつけてるのが、ワシ(w なーんにも考えてなかったこの当時の上衣は、コットンのTシャツに非防水の裏地つきナイロン・ジャンパーで、これはオヤジのお下がりだ。
そして当合宿の参加者は、顧問の先生が2名、3年生が1名、2年部員が男子3名、女子2名。1年生がワタシを含めて男子4名、女子2名。在籍部員だけなら、この他にも1、2年生が10名近くいたと思う。

P1040781.jpg

これは肩の小屋、早朝の雲海模様だ。これが4日目か5日目かは覚えていないが、わが面前でビシッと展開したスペクタクルは、脳裏に焼きついています。ブロッケン現象と共に、かつてこんな記事にしたくらいの衝撃的な体験だったからだ。

ところでこの写真には、ちょっと反射して見にくいのだが、7張りの天幕がある。すべて「サンカク」型ってのが、ワタシとって最も「時代」を痛感できるコトなのだ。重くてガサばって、建てるのも仕舞うのもメンドーで、雨に弱くて濡れたらジゴクというこの天幕が。ついでに言うと、フライがかぶさっているテントなんか超デラックス仕様ってムードですがネ。 
そして、ワタシの幕営「原体験」ってのは、この風景にある。だからテントという装備は、やはり、改良と進化と快適化を遂げてきた登山用の、軽量ナイロン製・自立式ドーム型・前室付きダブルウォール・バスタブ式という定番をチョイスしてしまうのは必然、というワケ。

P1040779.jpg

肩の小屋で、ナゼかメンズのみの集合写真。撮影者はココに写っていないイソノ部長だろう。裏面のメモによると、北岳ピストンから戻ってきた晩メシ前のひとときです。この前日、ココにたどり着いたときに雨が降りだして、家型テントなんか設営に手間かかるワケで、その間にズブ濡れになったらしい。ああ。それでワタシは青いデニムの長袖シャツを脱いでいるのかと、いま気づいた。そんな服って乾かないもんね。

このとき、肩の小屋の水場ってのは、バットレス方面に15分くらいガンガン下ったところにある沢の源頭にあった。そして水汲みは1年坊主のシゴト。あるとき、デカいヤカンを蹴っころがしながら大騒ぎで水汲みに行く高校山岳部の連中がいて、ワシらは大笑いしたもんだった。初めてナマの関西弁を聞いた機会、でもあった。
そういえば、左から3人目の3年生・コバヤシ氏は、いつもドコからか木の枝を拾ってきて、ステッキにしていたっけ。見てのとおりの仙人風なヒトだった。最終日、大樺沢の大雪渓の上部で、右から3人目の2年生・アンドー氏が「わーい」と叫んで尻セードで下ろうとしたとき、いきなりコバヤシ氏は「駄目だ駄目だ!」と激怒したもんだ。このとき、赤いジャージのムライ先生すらも尻セードをしようとしていたのを覚えている。ま、誰もピッケルなんか持っていないから、実際とんでもないコトをしようとしていたワケですが、しかしイッパツで皆を諌めるとは、さすが仙人。

当のアンドー先輩は、帰路の中央線車内で、大評判をとっていた集英社の新雑誌・月刊「PLAYBOY」の第3号を買ってきてワシに見せてくれたっけ。そんなヒトだった。「お前、いつまで金髪のヌード見てんだァ」と茶化されたが、じつはワシはその中の硬派ルポ「アッティカ刑務所」の記事を読みふけっていたのを、またまた思いだしてしまったね。いやしかし、昔の記憶の断片がプカプカと浮いてくるのが面白い。
あ。裏面メモによると、この先輩とワシは4日目の晩、テントでコソコソとタバコを吸ってる場面をムライ先生に見つかっている、らしい。その後を記憶していないから、見逃してくれたのだろうが、いやしかし(汁

◆赤石岳ピストン@1976年7月22~26日

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次の南ア登山が、高2の夏合宿となる。本来、荒川三山から赤石岳へと縦走する予定が、例によって短縮化されたワケ。部員の誰かがバテバテになっちまったのだろう。とはいえ、このコース変更、「登ってもいないうちに発動したっつーコトか?」と、この地に詳しいヒトはギモンに思うかも知れませんナ。

「椹島(さらわじま)」は、今も昔も南ア南部を代表する登山基地なのだが、34年前のこのときは、どえらく隔絶された場所だったんです。ソコまで行くには、まずは東海道線を静岡駅まで。次に大井川鉄道(近年はタマにSLを走らせるコトのみで知られる)に乗り換えて井川駅まで、ソコから乗合バスで畑薙第1ダムまで。そしてソコから椹島までの大井川沿いの林道を18kmほど、真夏の炎天下にボッカしつつ歩くというファンキーさなのだ。その苦行がもれなく往復分(w 山深いにも、ほどがある。そして、この死の行軍で誰かが死んでしまったから、赤石ピストンになったと思われる。

ナゼこれほどメンドくさい山を目標にしたのか、ワタシは部活運営に関わっていないから、知らん。ともかく、初日は東京駅に22時集合、ドン行に乗ったのだろうが、この写真は2日目の午後、椹島に設営したところです。テント手前にデカ鍋が見えるな。夕食時のヒトコマと気づいた。

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1年次の北岳合宿は、さすがにワタシのアルプス初体験だから、あれから35年を経た今でも記憶に残っているアレコレが多いもの(たとえば大樺沢の雪渓を下降中、誰かからもらった梅干が「甘い!」。「疲れていると酸っぱいモノが甘く感じるんだよ」「ほほー!」ってネタもあるw)だが、このときの登山時の思い出は一切ない。手元にある合宿の写真たちで、ごく一部の断片は覚えているくらいなのだ。
この写真は、3日目、赤石小屋の幕営BCをデッパツして、モルゲンロートに染まる赤石岳を仰いでいるもの。見事な金色(こんじき)だ。また、赤石岳ってのはドコから眺めても立派な山容で、「ジャイアントだな!」という感想を持ったコトを、先日の縦走のとき、34年ぶりに思い出したワタシでした。

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そして赤石のピークにて。首からカメラを下げたサングラス姿のカッコつけてるのが、ワシ(w 部のユニフォームとして、赤シャツをあつらえたのだった。着ていないヤツもいますが。右のヒトたちは別パーティだよ、まぎらわしいカッコですが。この当時は皆、律義にウールのニッカズボンを履いていたもんだ。クソ暑いのにね。ワタシは、とくに夏場はウールのニッカホーズでスネがチクチクして、イラつくコトが多かった。
この写真、撮影者はムライ先生なのかな。右下の3名が同期の2年部員、立っている赤シャツのワシ以外が1年生だ。標柱に抱きついているヤツが、たしか仙人・コバヤシ氏の実弟。他は名前も覚えていないな。
それにしても、足元にはパンパンのキスリングが置いてある。すると赤石小屋に張った天幕をたたんで、フル装備でココまで登って来たとでもいうのか。そんな徒労をするかな、いやその。まったく思い出せないけれど。

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大倉尾根を下りてから再び設営した椹島BCにて、またまた夕食時の風景です。アルミ食器のフタで、いったい何を喰っているんだろう。大学山岳部の時代も含めて、ナゼかサンダルのような履きモノを持参したことが無かったな。暑苦しい(w 
この合宿の2か月前、ブタ混みの赤岳頂上小屋で紛失したキャラバンシューズの代わりに購入したニッピンの革製登山靴がピッカピカだ。こんな「おニュー」で往復36kmに及ぶ林道歩きをしたワケだが、靴ずれするコトもなく快調だった。
ああ。ごく断片的に残っている記憶のひとつに、帰路の静岡駅で買った週刊「平凡パンチ」がある。そのころワタシはテレビ番組をマッタク見ていなかったのだが、山口百恵の「横須賀ストーリー」が流行っていて、その特集をしていたっけね。そんな本筋ではないネタしか引っかからないフシギさよ。

◆鳳凰三山縦走@1977年7月14~16日

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高3の夏やすみは、ソロで鳳凰三山を歩いた。部の山行が二度も雨で流れて、いてもたってもおられず出かけたようだ。若いネ(w 
ちなみに詳細な記録をとっている。こんなときは物価の推移ってのが面白いもの。中央本線の乗車券(新宿-穴山駅)が、1,200円。タバコ(セブンスターだが、オイw)が150円。おそらく新宿駅のキヨスクで、カンビール(オイw)が、150円。12枚撮りカラーフィルムが、400円。もちろん「コンビニ」なんつー便利なインフラが身近に存在していない時代ですから念のため。そして、御座石鉱泉の送迎マイクロバス代が1,500円で、鳳凰小屋の素泊まり料金が1,200円。夜叉神峠から甲府駅までの乗合バス代は、1,050円だった。

初日、新宿を23:55にデッパツする「山ヤ」御用達だった中央本線ドン行に乗る。用心して20時前にはアルプス広場に着いたらしいが、単独なら、後からどうとでも潜りこめるハズと反省している。それでも順番待ちは20番目くらいだったようだ。ま、そんな賑やかだった国鉄時代のハナシです。

2日目・穴山駅(3:45-4:15)御座石鉱泉(5:15-7:40)燕頭山(11:35-12:45)鳳凰小屋(14:20)

穴山駅には深夜到着。ワタシの他には3組4名が下車し、御座石鉱泉の送迎バンに乗る。ギュウ詰めで1時間半。この同乗者たちとは最後まで仲良く行動した、とのことだ。御座石鉱泉はひどくオンボロな宿舎だが、お茶と山菜をもらい、仮眠していけと勧められ、1時間ほど休んだ。
この日、当初は曇りだったか。初日は急登が続いて、苦しがっている。記憶にないが、燕頭山というピークでは、同行の皆とともに大休止している。ワタシはノドがえらく渇き、水筒の水を飲みきっている。やがてガスが巻き、雨が降りそうな中、鳳凰小屋に到着。
小屋内はけっこう広い。メモには「今回、晩メシは豪華にいこうと、ジフィーズやキュウリに味噌をつけて丸かじりにするのや、ともかくうまかったぜ」とあるが、いま思うと、なんじゃこりゃ(w 同行の夫婦にトン汁をごちそうになって感激している。19時就寝。

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3日目・小屋(6:00)地蔵岳(6:50-7:15)アカヌケの頭(7:30-8:15)観音ケ岳(9:05-10:10)南御室小屋(11:25-12:50)杖立峠(13:55-14:05)夜叉神峠(14:40-15:10)夜叉神バス停(16:00-16:28)甲府駅(17:50-18:05)帰宅(21:20)

4時半に起床。ドピーカン。この日、同行者の単独のヒトと一緒に歩いている。写真は10枚以上撮っているが、メモの内容は少ないね。気分よく歩いているが、カンカン照りで暑い。そして樹林帯に入ると、ハエや蚊がいっぱいいて休めない、とも。南御室小屋で、コケネンでジフィーズの昼メシ。ずいぶん各所で長く休んでいるのだが、同行者のヒト(今ではマッタク記憶にありません)に合わせたから、などと書いている。
その後、夜叉神峠から道を間違い、高谷山なんつーピークをナゼかピストンしてしまい、慌てつつバス停まで駆け下りている。まあその。これは今も続く根深い持病、なんであります(w

◆黒戸尾根から甲斐駒・仙丈@1978年8月28日~9月1日

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思い出すだにコッパずかしい、浪人時代(それも宅浪w)のおセンチな単独山行がコチラ。「死ぬかもしんない」と思いながら計画を立て、そして実行していたワケで、根本的に精神を病んでいたとしか思えん(w そのワリには何もトレーニングせずに、「何とかなるかも」と特攻しているのだ。孤独な中でも山がココロのよりどころ(もひとつ、解散したキャンディーズもだw)だった、そんな鬱屈とした記録です。

新宿を23:55発の中央本線ドン行に、今回も乗車。韮崎駅には、3:32着。メモにはタイムのみ記して、感想などが抜けている。よって詳細が分からん(w

2日目・韮崎駅(6:10)駒ケ岳神社(6:40-7:05)カユモチ石(9:39-10:28)笹ノ平(10:42-10:50)刃渡り(12:30)五合目(14:40-14:45)七合目(15:55)寝(18:40)

竹宇神社(だったよな?)まではタクシー(600円)に乗っている。同乗者がいたのだろうが、覚えていない。黒戸尾根ってのは、ともかくシンドい修行のような登山道で知られている。ネット情報がたんまり揃う現在なら予習もカンタンだが、まあ、昔は当たって砕けろだったね。
そして詳しく覚えてはいないが、やっぱり砕けたらしい(w このタイムが証明している。ザックの目方は20kgくらいで、久しぶりの重さだったからだ。

7合目の小屋には管理人がいたらしい。幕営代200円を払っている。そう、このときは幕営山行だったんです。上の写真がソレで、この年の春、自分だけのソロ・テントを購入したのだった。吉祥寺の山道具屋「スポーツ山幸」のオリジナル・テント。この店は現存していますナ。当時はまだ、各ショップのオリジナル山道具が盛んにリリースされていた時代だったのだ。
この2人用ドームテント、現在、怪しげな中華製の同等グッズなら2せんえんでゲットできるようなシロモノだったが、価格は1978年4月時点で、なんと16,500円。祖母(「おいらく山岳会」会員の現役ハイカーだった)に費用を出してもらったと記憶する。
自分だけのおウチで寝泊まりできる、これは何にも代えがたいヨロコビで、たいそう嬉しかったワタシだったのだが、何回か使ったら、グラスファイバーのチャチなポール1本がポッキリ折れて、以後はお蔵入りにしてしまった。

季節外れだからか幕営地にはワシひとりで、メモには「寂しい」とか書きこんでいる。てへ(w 写真に少し写っている当時の装備について、解説しておこう。ワタシの右後ろ、ミドリのプラケースは、白ガスのコンロだ。いつ買ったのか記録に残っていないが、今は亡き「HOPE」社のマナスル300。コレ、コールマンの名品「GIストーブ」のモロパクリなんですが、イマイチ信用のおけないブツだった。そしてすべての水をまずくするエバーポリタン、2㍑。足元の先に見えるのが、一昨年まで愛用していたニッピンの4季用羽毛シュラフの袋(ラインホルト・メスナーのサイン入り。家宝w)と、青いのはウレタンのロールマット。エバニュー製だったかなあ。夏山ならモンダイなし。
そして、ナゼか知らん、喰ったものは列記してある。メモによると、朝はオニギリ1ケ。昼はラーメン(つけめん)、夕食はモチとマッシュポテトってコトだが、何じゃそりゃ(w

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3日目・起床(3:25)発(4:55)八合目(5:45-6:18)甲斐駒ケ岳(8:20-9:00)駒津峰(10:35-10:50)仙水峠(12:20-12:30)北沢峠(13:45)

やっぱりメモ書きがないから、この日のデキゴトを思い出せぬ。前日よりはまだラクに歩いているのだろうが。甲斐駒のピークに近づくと、真っ白い花崗岩が印象的に迫ってくる。
画像のパックフレームが、高2になった直後からこのときの山行まで愛用した「三信製織」のモノ。本家のアウターフレームパックがどういう構造になっているかは知らないが、コレ、たった6ケ所のピンでザック部分を架装しているのだ。20kgもモノを入れたら、いま思うと、ちょっとしたハズミで破れちまいそうな造りだなあ。仙丈ピストン用の赤いザブザックを上に積んでいる。

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甲斐駒の頂上にて。背景は鋸岳。この山行では雨にやられた記憶はないです。北沢峠は、現在は乗合バスが横付けする一大登山基地になっているとのことだが、当時はうら寂しい、ココまで上がってくるアプローチも長いタダの山中だった。ココでも幕営代200円を払っている。この日のメシといえば、朝がラーメン、昼は無し(ホントか?)、夕食はボンカレー・ライスとキュウリとマッシュポテト。

それにしても、当時の装備や持ちものを記したメモとか晒した写真ってのが何ひとつ残っていないのは、面白いコトだな。この「山ヤ」時代も、また昭和の終わりごろからハマった林道野宿ツーリングの時代も、機能的ウェアやらキャンプ道具といった「モノ」に対してのコダワリを、ワタシ、ほとんど持たなかったんです。そういえば当ブログを書き始めてからのココ4~5年のことなんだナ、妙にこだわってきたのは。まあその。昔は単純に「山へ登る」やら「ダート林道を走る」という「コト」に対してピュアだったのだと思っています。

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4日目・起床(3:30)発(5:10)北沢峠(5:25-5:30)大平小屋(5:47-5:55)馬ノ背ヒュッテ(8:27-8:36)仙丈小屋(9:30-9:45)仙丈ケ岳(10:03-11:30)仙丈小屋(12:00)

沢筋を詰めて、仙丈小屋へ。荷物をデポしてから、仙丈をピストンしている。写真は頂上にて、背景は大仙丈ケ岳。ピークにえらく長居をしていて、メモには「ひとりぼっち」とかナントカ(w ほとんど他の登山者に会っていないようだ。
仙丈小屋も現在では2階建ての営業小屋になっているようだが、このときは粗末な無人のホッタテ避難小屋だった。この日のメシは、朝がラーメン(つけめん)、昼はパンとジャム、夕食はジフィーズのボンカレー・ライスとキュウリ。17:20付けのメモで「荘厳な甲斐駒の夕景を見た」と記している。
このころ流行っていた歌謡曲で、コレとかコレといった名曲を聴くと、否応なく、この山行の其処かしこで茫然と四周の景色に見とれていたコトを思い出す。泣ける。

5日目・起床(3:50)発(4:30)仙丈ケ岳(4:45-5:40)仙丈小屋(5:48-6:05)馬ノ背ヒュッテに寄って水汲み(6:40発)丹渓山荘(10:00-10:25)戸台(12:35-13:12)伊那市駅(14:30-15:45)帰宅(22:20)

この日、ホッタテ小屋のココに泊っていたのは、ワタシだけだった。まだまだウブだったワシ、オバケなんか出ませんよーにとビビりながら寝ていたワケですが、深夜、鉄製のドアを開けるガタガタ音で叩き起こされた。死ぬかと思った(w まあその。実態は仙丈でのご来光を目指す中年男性2名のパーティだったのだが、いやはや。彼らとは一緒に登って、ほかに誰もいない、ドピーカンの頂上での光景を眺め続けている。

下山ルートは、馬ノ背から尾根通しで1,500㍍下り、丹渓山荘から戸台川沿いに7kmあまり歩いて戸台のバス停に向かうというもの。ところで、書店で最新の「山と高原地図」を立ち読みしてきましたが、コレは「丹渓新道」と言うのだった。現在は交通インフラが発達し、南アルプス林道(うーむ。「野呂川スーパー林道」から改名したのかw)が北沢峠まで全通してバス運行しているから、かつての西側の登山基地「戸台」は寂れ果て、丹渓山荘などは跡かたもないらしい。今は昔だ。

やはり下山時の模様は、いっさい記憶にない。ヘトヘトになって戸台に下り着いたとメモにある。この日の朝メシはビスケットで、昼は伊那市内でタンメンとビール(計620円)。いつものようにドン行列車に乗って、この日遅くに帰宅した。
ちなみに下山して帰宅するのに、中央本線の急行はともかく特急に乗車したコトなど、学生時代は一度もない(w 社会人になった翌年のGW、残雪の前穂北尾根をやった帰りに、生まれて初めて「あずさ号」に乗ったワケだが、なーんか堕落しちゃったなあ、などと思ったワシでした。

◆黒戸尾根・早川尾根・鳳凰三山縦走@1979年7月6~8日

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1年ぶりに、再び南アルプスへ戻ってきた。しかし、ワタシを取りまく登山環境は大いに変わっていた。それは大学の山岳部に入って、一声かければ「じゃ、行くか」と即答してくれる山仲間がたくさんできたからだ。技術的にも体力的にも、それまでとは格段に短時日で向上している。
そんな中、梅雨明け前の南アをビシバシ歩こうという個人山行のネタが持ちあがって、ワタシも即、無条件で参加した。

初日・新宿(23:55発)
このときは部室から皆でデッパツしている。朝メシ用に牛丼弁当。もちろん当時の牛丼とは「吉野家」しか有りえぬ。しかしお代が300円とは、まったくデフレを実感できるネタですね。他に「インベーダー」200円、なんてのも(w そんな時代だ。新宿-韮崎の電車代は、1,600円。
参加者はワタシ含めて5名。3年の「K」氏、「K2」氏、「K3」氏と、2年の「T」氏に新人のワシなのだが、「K3」氏以外は留年してるのでヤヤこしい(w なかでも「T」氏は7年間も在籍した猛者だったのだ。

2日目・韮崎駅(3:32-3:40)竹宇駒ケ岳神社(4:08-4:42)笹平(7:03-7:14)刃渡基部(8:05-8:20)五合目(10:12-11:33)七合目(12:39)

この日の天気は、晴れから曇り。例によってメモしてあるのはコースタイムのみ。状況はマッタク忘れております。まあ、ワイワイ楽しく登っていたんでしょう。そんなにタイムが早くもないのは「K3」先輩がバテたから、だろうな。

3日目・起床(3:00)発(4:40)八合目(5:10-5:20)甲斐駒ケ岳(6:17-6:33)駒津峰(7:25-7:35)仙水峠(8:25-8:35)栗沢山(9:58-10:17)アサヨ峰(11:15-12:40)早川尾根小屋(14:15-15:11)白鳳峠(16:32)その上の野宿地(16:40)

この日の天気は、晴れ。上の写真は甲斐駒山頂にて、背景は仙丈だ。「1年前のくらーい山行とは別次元だなあ」などと思った、生まれて初めて当てたパーマ姿が新鮮なワシ(w そしてあつらえたばかりの「ゴロー」の登山靴が妙に目立ってもいます。
行程後半で休憩時間が異常に長くなっているのは、やはり「K3」先輩が原因か。さすがに付き添いを「K」氏に任せてパーティを分けたようだ。白鳳峠を過ぎた稜線上に設けた野宿地に後続グループが着いたのは、18:12だったとメモにある。

P1040797.jpg

ところがソコは、このよーに素晴らしい場所なのだった。標高は2,500㍍くらいか。背景の北岳バットレスと大樺沢が見上げる位置だ。ワシは紺のセーターのヤツ。焚火を囲んでの星空の宴会は、さぞや楽しい語らいだっただろう。
それにしても、このフライ無しの4~5名用エスパースに5人で2泊していたワケか。当時は文句もナニも無かったが、今では到底できないコトですね(w

4日目・発(5:03)高嶺(5:53-6:07)赤抜沢ノ頭(6:42-7:28)観音岳(8:28-9:15)薬師岳(9:35)南御室小屋(10:25-10:42)杖立峠(12:15-12:30)夜叉神バス停(13:35-14:22)甲府駅(15:35-17:14)帰宅(20:55)

この日は、晴れから曇り、一時雨のあと曇り。うーむ。ナニひとつ記憶にありません(汁 
それにしても、そんなにぶっ飛ばす必要もない行程だが、足並みがそろったメンツでこのルートを「カモシカ山行」にしたら、このころの体力なら1泊2日で歩き通せたかもしれない。それが「楽しい」山登りかどうかは、ともかく。
というのもこの山行の5日後(!)、第1次夏合宿として奥秩父全山のカモシカ縦走をやっている。そのときは、増富温泉を7月14日の深夜0時にデッパツして、2ビバークの末、7月16日の13時には奥多摩・日原のバス停まで歩き通しているからだ。ほとんどが雨の中でヘロヘロの重登山靴での強行軍だったが、やればできちゃうワケなのだった。

◆北岳バットレス登攀から仙丈ケ岳縦走@1980年6月5~8日

それから約1年後、今度は「北岳バットレス」を攀るためにやって来た。パートナーは現役最強の4年生「K」氏で、それから間もなく出発するアラスカ「マッキンレー」遠征隊の一員だった氏のトレーニング山行も兼ねていたんだナと、いま思い出せた。登攀後は仙丈ケ岳を経て北沢峠まで歩いている。

【追記:2010年9月4日】
無いと思っていた記録のメモ、発見しました。登山手帖にコースとタイムをキチンと書いてあった。コメントはないが、やあ。うれしいな。まったく思い違いの記憶だった記事、以下、書き直します。ただし、軽量化のためにカメラを持って行かなかったから写真が無いのは、変わらんが。

最初に物価ネタ。出がけにセブンスターを2箱、360円。新宿-甲府の「国鉄」運賃が1,350円。甲府-広河原のバス代が、荷物含めて1,450円。帰りの甲府駅で、駅売りの新聞(おそらく朝日)が50円だった。

初日、新宿駅を21:02発。おそらくドン行。23:26に甲府駅着で、ステーション・ビバーク。

2日目・甲府(6:05発)広河原(8:00-8:17)二俣(10:00)北岳(16:05-16:30)肩の小屋(16:50)

まず、ビックリした。バットレス登攀の印象が強すぎて、その後に仙丈まで縦走したルートがイマイチあやふやだったどころか、全体の登山日程までも記憶とマッタク違っていたからですが、むーん。まいった(汁
この日、じつは壁に取り付いていなかったとメモを見て判明。大樺沢を「二俣」まで上がってから、しかし次が「北岳山頂」とは何だ?
そもそも「二俣」ってのを覚えていない。この記録の地図を見たら、ほほう。こんな場所でこういうルートが取れたワケか。やはり思い出せないけど、ワシらも同じコースで肩の小屋に上がったト。まさか八本歯のコル経由ではないハズ。お天気は、広河原では曇りで後に晴れたようだから、するとコレは予定通りの行動だったんだろう。肩の小屋のテントに荷物をデポして、身軽にバットレスを攀れるからね。なるほど、ようやくナットクできました。

【追記その2:2010年9月12日】
とある会合で、この「K」先輩と久しぶりにお会いしたので、このときの「顛末」を聞いてきた。
ワタシはくっついて行っただけだから記憶がアヤフヤなんですが、さすが、企画したヒトは覚えがイイ。ワタシがディテールを振り出しながら質問していくと、つまり、こういうコトだった。この日、じつはバットレスには取りついている。フル装備を背負ったままね。ところが、二人とも初見のこの壁で取付点を間違い、なんかテキトーな場所をテキトーに攀って北岳のピークに出てしまったのだそう。そう聞かされてもワタシは相変わらずサッパリですが(汁 というワケで、翌日にキッチリ攀り直したワケだ。

3日目・起床(3:00)発(4:07)白根御池(4:47-5:00)二俣(6:00-6:08)バットレス取付(8:23)マッチ箱のコル(10:55)終了点(11:35-12:05)北岳(12:17-12:30)肩の小屋(12:47-13:42)両俣小屋(15:55)寝(20:30)

この当時の個人山行でナニを喰っていたのかは、悲しいかな、メモに残ってないからマッタク分からず。ま、質も量もロクでもないモノだったに違いない。また天幕は「エスパース」ではなく、軽量化のために2人用のツエルトを使ったと思う。この日は朝から昼までは晴れ、後に曇り。バットレス取付きまでは、こういうルートを取っているワケね、なるほど。
登攀の詳細は、コチラに思い出を書いてあります。バットレスを攀りきると北岳のピークに出るというドラマチックな演出が素晴らしい。
そして、またまたビックリしたのが、肩の小屋に戻って来たら荷物をまとめて、そのまま縦走にデッパツしているコトだ。といっても1,100㍍を下りっぱなしで両俣小屋までだが、いやしかしウットリしてしまう体力とスピードだな。

4日目・起床(3:00)発(4:02)野呂川越(4:37-4:51)高望池(6:11)仙丈ケ岳(8:46-8:55)北沢峠下(11:10-12:00)~ヒッチハイク~夜叉神峠(13:45-13:47)甲府駅(14:40-16:18)帰宅(20:25)

お天気は、朝はガス、バカ尾根の稜線に出てからは雨とガスが交互に。この日の記憶は一切ない。フツーなら戸台まで徒歩で下っていくところを、なんと、野呂川スーパー林道を夜叉神峠までヒッチハイクしている。北沢峠の休憩時間が長いから、何かアテでもあって、林道関係者の許可車両にでも乗せてもらったのだろうか。とまれ、伊那から下山するよりは大幅に時間を短縮できたようだ。

【追記その2:2010年9月12日】
ヒアリングした「K」氏によると、前日の両俣小屋ではビバークではなく小屋に泊まったらしい。まだ管理人が入る前のタイミングだったのだろう。そして当初の計画では、北沢峠から甲斐駒に登って「摩利支天」の登攀ルートに取りつくハズだったとのこと。摩利支天のルートって何だったっけ? キッチリ忘れているので調べたら、そういえば「サデの大岩」なんてのがありましたね。
「K」氏は、しかしこのヒッチハイクについては覚えていなかった。まあ、30年前のコトをホジクリ返すのも、なかなかタイヘンなワケです。


◆北岳~塩見岳カモシカ縦走@1981年7月2~5日

P1040815.jpg

渡り鳥のように、この夏、ふたたび南アに戻ってきた。これはワタシが主将のときのトレーニング合宿山行。一応、第1次夏合宿と銘打っている。「岩ばっかり」とはならぬよう、いやらしいカモシカ縦走をミックスしているのが計画のキモだ(w 日本最高所の岩壁「北岳バットレス」第4尾根を攀り、翌日は長駆「塩見岳」を越えて三伏峠まで、2日分を1日で。なかなかチャレンジングで楽しい行程だろ、そう喜んだワタシだった、のだが。
メンバーは4名。3年のワタシ、4年生だが1留・途中入部で3年扱いの「S」氏、1年生の「O」と「H」。「H」はこのハードな山行を終えてスグ、退部しちまった(汁

初日、新宿を23:55発のドン行に乗る。このときからすでに雨。まあ、梅雨ですし。

2日目・広河原(10:03)二俣(12:12)北岳山荘(16:52着)

甲府に着いたら、さらにドシャ降りが続く。心配したとおり、野呂川沿いの林道で、夜叉神を越えたあたり(鷲ノ住山、かな)で法面が崩落、大型バスは通過できないってコトで降ろされ、ソコから広河原までエンエンと雨中の行軍となる。地図で見ると7km強か。これでバットレスの登攀はあきらめた。
ところが試練は続く。雨は上がった大樺沢を登り始めたのだが、この年は「ゴーロク豪雪」の名残で残雪が異常に多く、ルートファインディング系統に根本的なモンダイを抱えるワシ、ガスの中で右のバットレス側へと寄りすぎてしまったワケ。で、写真のように、ピッケルも持ってないのに(え。アイゼンってナニ?w)こんな場所をトラバっているんですね。ちなみに写真の奥の方へと進んでいる。まあその。誰も滑落しなくて良かった。
その後はハイマツ帯に突っこんで、泳ぎに泳いで稜線にたどり着いたト。そしてその晩、濡れそぼったツエルトが雨で酸欠となり、死にかけたってのは今まで何回か書いてきたコトです。いやはや、タイヘンだった。

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3日目・発(4:40)間ノ岳(6:22)熊ノ平(8:00)北荒川岳(10:34)塩見岳(13:48)三伏峠小屋(17:05着)

天気は、曇りのち雨。足元は登山靴だが、フラットな場所なら小走りに駆けるくらいのムードで歩き通している。他の登山者になんか逢っただろうか。記憶にない。写真は、間ノ岳にて。ココに写っている3名で、その後、穂高と谷川岳での一カ月に及ぶ登攀合宿を行ったのだ。
極端に軽量化した装備で、ザックは18kgくらい。しかし今となってはうらめしい、ザイルをはじめとした登攀用具がクソ重く思える。ちなみに当時は、北岳山荘(まだ「稜線小屋」という名前だったかも)から三伏峠までの間には山小屋が無かった。熊の平小屋が焼失していて、けっこう長い間、再建されなかったからですがネ。
そして塩見岳のベラボーな登りで「H」がシャリバテ、ひどく遅れた。全員、ズブ濡れのヨレヨレで、営業開始前の三伏峠小屋に転がりこむ。寒さであまり眠れず、また、枕もとに置いた翌日分のワタシのレーションがネズミに喰われる、という恐怖体験は、これも前に述べたハナシです。

P1040818.jpg

4日目・発(6:43)塩川(9:17)鹿塩(11:56)伊那大島駅(12:43着)

下山のための一日で、ドピーカンだった(w 現在は鳥倉というところまで林道が入って、入下山がずいぶんとラクになっているとのコトだが、この時代は、まだまだファンキーだった。塩川という沢沿いをガンガン下って、R152にある鹿塩という集落まで行かないとバスに乗れないからなんですね。水平距離で10km、そして高低差1,900㍍の炎天下での下り。これまたヘトヘトになったもんだ。

さて。これら7回の山行が、若き日のワタシと赤石山脈との関わりだった。

お分かりのように北部エリアは、取付きやすいコトもあるが、十分に足跡を残していると言えます。しかし南部エリアは、荒川三山のひと周りが赤石のみのピストンに短縮されて、それも詳細なんか覚えてもいないという幼い時代のままで収まっているワケだ。
ヨーシ。「では、南ア南部をこの夏は歩いてみっか」。そう思い立ったのは、じつは今年の7月に入るころ・・・だったのだ。

元「山ヤ」の体験談CM:9
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コメント

う~~ん、ニッカズボン・キスリング・三角テント、同世代だ~。(笑)
 高校の時カッターシャツはたしか同学年はたしかオレンジだった気がします。

 三角テントとキスリングは雨が降ると倍の重さになって嫌だったなぁ。
 ドームテント(たしかエスパース)は高2の時に初めて部で1つ買って「こりゃ良い!」って思いましたよ。

 
IK #-|2010/08/30(月) 16:42 [ 編集 ]

>IKさん
いらっしゃいませ(w 
笑っちゃうでしょう。

ユニフォームのカッターシャツが、別にウール製では無いという。ポリ混だったと思いますが、それじゃ意味ないという。

三角テントは、ワシら、あんな不便なモノを山で使っていた最後の世代だと思うんですよね。5歳も若かったら、ドーム型しか知らないんじゃないでしょうか。
先日の南ア行の最終日、バスを待っているときに楽しく会話した「アラカン」(アラウンド還暦、なんだってサw)のヒトたちは、その昔、テントのポールが「木だった」と。「木、ですか!」。古いウインパー型とかでしょうかネ。さすがにそんなの、見たコト無いもんね。

エスパースは、大学の山岳部がソレでしたが、グラスファイバー製の茶色いポールがよく折れたもんです。
ラード #-|2010/08/30(月) 18:29 [ 編集 ]

ボクも目白のゴローでオーダーメイドした登山靴、愛用してましたw

たしか冬用の二重靴もゴローで作ってもらったもので・・・数年前にちょっとヤフオクに出品してみたところ、法外な値段で値段が釣り上がり・・結局5万ほどで売ってしまいました。

鉄、っていうクソ重たい靴を履いていた仲間もいましたww
ユウ #2DdjN05.|2010/08/31(火) 18:53 [ 編集 ]
↑↑↑↑↑↑
目白じゃなかった。巣鴨でした。
ユウ #2DdjN05.|2010/08/31(火) 18:56 [ 編集 ]

>ユウさん
ゴローの靴は、大事にメンテしていけば一生モノですもんね。
以前にゴローの記事を書いたんで、けっこう検索でウチに飛んでくるヒトが多いですよ。

いまワタシが履いてる、モンベルのツオロミーブーツなんての3足分の値段で、一生モノを買うって考えはイイですよね。
イバリが効くし(w
ラード #-|2010/08/31(火) 21:12 [ 編集 ]

ところで・・・・
別記事に飛ぶバットレス登攀ですが、
50cmズリズリと滑ったのって、
もしかしてマッチ箱への、
あのつるつるの壁だったりして・・・w
ユウ #2DdjN05.|2010/09/01(水) 16:54 [ 編集 ]

>ユウさん
改めてトポを見てたら、マッチ箱の前か後だったか、分からなくなっちまった・・・。

ホールドの妙にこまかい、ツルリとした「フェース」だったと思います。
ってコトは、ユウさんって昨年、ココをやったんでしたっけ? その記憶が正しいのでしょう。

いやしかし「Ⅲ+」で落ちたワケですね、そのときのワシ。
でも、難しさで失敗したワケではなく、登山靴のつま先がズルリ、というケアレスミスだとかナントカ(w


ラード #-|2010/09/01(水) 17:36 [ 編集 ]

あの箇所は、Ⅲ+とは言っても・・
とにかくすごく嫌らしいほどつるつるで、
フラットソールでも、けっこうドッキリきましたw
ユウ #2DdjN05.|2010/09/01(水) 22:31 [ 編集 ]

>ユウさん
しかし今でも本チャン登攀を続けてるとは、すごいですね。
筋ガネ入ってます。

このときのズリズリ50cmは、じつは今もキチンと「この瞬間だけ」、よく覚えているんです。
なんと忌まわしい(汁

このときの「K」先輩とは、来週お会いできるんで、思い出せないバットレス登攀後のルートを聞いてくるとしましょう。
ま、先輩も覚えてないでしょうが(w
ラード #-|2010/09/01(水) 22:50 [ 編集 ]
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