ラード・アラモード

アウトドア好きのオッサンです。山系バックパッキング、サバゲ、林道野宿ツーリング、好きなモノ、好きなコト、昔ばなし(w のんびりと、自分の興味をご紹介します。

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Author:ラード
千葉県在住
バイクはXR250「Baja」
クルマはE46「325i Touring」
メインアームは「SIG552 SEALS」


林道焚火野宿のバイク旅と
サバゲ、そして
バックパッキングの世界を愛する。
風流なオッサンとなるべく
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ワタシのバイブル 山の本篇 その4

2006/04/21(金) 17:42:06

DSC01411_640.jpg

「喪(うしな)われた岩壁」佐瀬稔(山と渓谷社/中公文庫)

ワタシが4年生になんとか無事wに進級できた、ちょうどそのころ発刊されたノンフィクション。著者は有名登山家のルポも多く手がけた社会派ライターです。
戦前から戦後にかけてロック・クライミングに命をかけた社会人クライマー列伝といった内容で、松本龍雄氏はじめ「サムライ」たちがビシバシ登場します。

岩壁のサムライは、誰ひとり手を付けていないルートを攻略して完登することが己の「生きざま」を表現することであり、歴史に自分の名を刻む「舞台」と捉えているかのよう。真剣勝負の物語です。ストイックな情熱をかたむける彼らには、ある意味「丹下ジム」みたいな場所(もちろん「あしたのジョー」のネ)でボクシングに熱中する若者とダブる。あのころ特有のさまざまな社会情勢も含めてね。

そこに骨太な文章とツイストを効かせた構成が加わって、最後までグイグイと読ませます。ラード的には前述した「初登攀行」とワンセットで、宝モノだ。ただしこちらはロック・クライミングについて詳しく知らなくても十分に楽しめます。むしろ優れたヒューマン・ドキュメントだから。熱烈にオススメしよう。

物語のクライマックスで、主人公のひとり、故・安川茂雄の詩がでてきます。氏の最初の著作「谷川岳研究」から引用されたもので、戦中のあの時代、何ものかに追われるようにココ「一ノ倉沢」で激しい登攀を続けた安川茂雄が、後に当時の情熱を愛惜した詩。
ワタシは、打たれました。もちろんそんな切羽詰った思いでイノチを削っていたワケではない。比べるべくもない。でも、その100分の1くらいは共感できるコトをしていたと思うのです。引用させていただこう。

日は没り 日は沈む
非情の歌の残る 岩稜の空
たしかに喪われようとしているものがある

458.jpg

「喪われた岩壁」でも、ほとんどの舞台が谷川岳とくに一ノ倉沢での戦いになります。首都圏から夜行日帰りで行ける交通の良さと、なによりこの凄惨なまでの威容が社会人クライマーをトリコにしたワケですね。

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ワタシも、大学2年(1980年)の秋に一ノ倉ではもっともポピュラーな「南稜」でデビューして以来、合計10本くらい登攀しました。とはいえ冬にアタックするほどの度量なんか無かったけどね。

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ついに昔の写真が(w 誰あろう、四半世紀昔のラード本人であります。今より20Kgは軽かったんだよナ(遠い目 一ノ倉デビュー戦の「南稜」終了点にて。このように烏帽子沢奥壁の手軽なルートを登っているとき、つねに背後にはこの圧倒的なヌメヌメの「壁」が迫ってくるのだ。

20060413173823.jpg

「初登攀行」を読んだのは、ちょうどこのころだったと思う。「あれが3スラか…」。いつしかワタシの憧れ、激しい目標となっていったのだ。

しかしココは上級者向きのルートと云われてましたね。長距離ルートだから多分に冒険的な要素がある。当時ワタシの周辺20名くらいにヒアリングしたが、コイツを登ったのはセミプロ(大学に8年間在籍した猛者だw)の先輩1名のみだった。

a_800.jpg

「絶対に登ってやる」。虎視眈々と機会を伺っていた3年次の夏。コップ状岩壁に向かう途中、「略奪点」にて。一ノ倉沢の出合からだと滝沢スラブの全容は見えないんだよナ。

「3スラ」は3つのルートの継続登攀になり、正確には「滝沢下部ダイレクトルート~滝沢第3スラブ~ドーム壁」。登攀ルートだけでも合計800mくらいのロングルートです。この古ぼけた写真のえぐれた影の部分でもっとも長いのが、3スラ。

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アナの開くほど読みこんだ当時のスーパー実用的アンチョコ「谷川岳の岩場」(山と渓谷社)より。

就職活動の時期を目前に控え、タイムリミット寸前の4年生になったころに読んだ「喪われた岩壁」は、正しくワタシのケツに火を付けた。「もう時間がないんだ」。

20060417171703.jpg

ようやく条件が整った6月の中旬、だったと記憶します。前日にコレもやっかいな難しいフリーのルート烏帽子沢奥壁「南稜フランケ」ルートを登攀したイキヲイを駆って、後輩部員ふたりと3名でサワヤカにアタック。

たまに雨がポツッと落ちてくるような天気だったが、どうにか崩れずにすんだ。快調なペースだった。行けば登れちゃうんだな、と思った。覚悟をキメるまでがタイヘンなんだよナ(w 登攀そのものは8時間くらい、だったかな。もはや記憶があいまいですが。全体の行動時間は15時間くらいだったかな。

もちろん目標を成し遂げたワタシは満足だった。ちょっとは周囲に自慢できるもんね(w ヤバイ山登りはコレにて終了だという安堵がありました。

でも、同時に目的が無くなったという寂しさも感じたのもまた、確かです。なぜなら学生のときにしかできない「山行」とは長期間の合宿と、体力が充実しているうちのロック・クライミングだとワタシは心得ていたからです。さらば青春、そんなムードもあったんですよ(w たとえレベル的には「サムライ」諸氏の足元にも及ばなかったとしてもね。





イキヲイついでに昔の山の写真をちょっとご紹介しよう。

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信じられないだろうけど、ロンゲな時代もあったのだ(w これは1年生の春合宿のとき。

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見るからに寒そうで今では冗談ではナイが、3月中旬の北ア・槍ヶ岳から下山中の一枚。2年生の春合宿。真ん中がワタシ。たしか荒天で3日間ほど「肩の小屋」で沈殿したあとだ。やっぱり喰いものが無くなってきて、つらかった(w

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なんだかワケわからんでしょう(汁 一ノ倉・コップ状岩壁は「緑」ルートのオーバーハングを乗っ越してる最中のラードです。3年生の夏。読者諸氏はPCのディスプレイ左右を両手でがっちりと保持し、そのまま天井にかざしていただきたい(w そういう「アングル」で撮影された写真でありマス。

時代の流れで云うと、このときはすでに戸田直樹氏によるコップ状岩壁「雲表」ルート・フリー化の翌年で、一部の特化した「ハードフリー(死語w)」の猛者が既存の本チャン・ルートを片っぱしからフリー化していた時期ですね。

もちろんワタシも登りました。なんたって松本龍雄氏の最大の名作です。これは信者の義務ってモンです(w たしかフリーではさすがにムリで、アブミを一回使ったと思います。

*すばらしい記録と画像があるサイト。一部お借りしています。

http://www.big.or.jp/~arimochi/climbing.photo.index.html


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